20100215

抜粋: ブランシャールほか 『 マクロ経済政策再考』より 「I. はじめに」

いやぁどじっちゃいました。あとで辞書をひいたら「曲解」の意味を適当に理解してたんですね。朝っぱらから TL 汚してすみませんでした → 各位。というわけで、IMF の『Rethinking Macroeconomic Policy』(PDF直リンク,19頁,206KB) から「I. Introduction」のみ抜粋です。ちびちびで申し訳ないけど、かぶるのも嫌なのでご容赦を。


抜粋: マクロ経済政策再考

Olivier Blanchard, Giovanni Dell'Ariccia, and Paolo Mauro

I. はじめに

1980 年代初め以降、景気の循環的な変動[1]が緩やかになっている。マクロ経済学者や政策立案者たちは、ついつい自分たちがそれに大きく貢献していると考えてしまいがちだったし、自分たちはマクロ経済政策をどう行なえばよいかわかっていると結論づけてしまいそうにもなった。われわれはその誘惑に耐えられなかったのだ。しかし今回の危機によって、われわれがそのような自己評価に疑問を持たざるを得なくなっているのはあきらかである。

まさにそれが本稿でやろうとしていることである。3 段階に分けて論じていこう。まずはじめに「自分たちにはわかっている」とわれわれが思っていることについて。次に、それのどこが間違っていたかについて。そして最後に、3 つのうちで最も不確かなこと、すなわち新しいマクロ経済政策の枠組みの青写真について論ずることにする。

本論に入る前にまず注意点を。本稿は一般原則に焦点をあわせて論じている。これらの原則を特定の政策アドバイスとしてどのように翻訳し、先進国や新興国、そして開発途上国むけに仕立てていくかは今後の課題となる。また、本稿は今回の危機によってもちあがった幾つかの大きな問題についてもほとんどふれていない。国際通貨制度の成りたち[2]や金融規制とその監督のしくみ全体などがそれにあたる。これらについては本稿で取りあげる課題に直接関わる範囲でふれるに留めた。

訳注1: cyclical fluctuations

訳注2: the organization of the international monetary system

抜粋: ブランシャールほか 『 マクロ経済政策再考』より 「V. 結論」

Twitter で話題になっている IMF の『Rethinking Macroeconomic Policy』(PDF直リンク,19頁,206KB) から「V. Conclusion」のみ抜粋。4% 云々が話題ですが「自動安定化装置」が本題だと思うな。参考文献にも載っている BoE のワーキングペーパー同様、もっと議論しようぜということだと思います。ブランシャールさんに釣られたんじゃないの~(笑) 田中先生ありがとうございます。つぶやき、勉強になります。この場をかりて感謝 m(_ _)m

お詫びと訂正: 上記取り消し線部分、僕のTwitter 上における同様の発言について、田中先生から「読み違いである」との厳しいご指摘をいただいたので訂正しました。リンク先の発言にある「曲解」という言葉についても、不用意な発言と考え取り消させていただきます。Twitter での引用を含め、田中先生にご迷惑をおかけしたことをこの場を借りてお詫びします。2010年2月15日8:44


抜粋: マクロ経済政策再考

Olivier Blanchard, Giovanni Dell'Ariccia, and Paolo Mauro

V. 結論

今回の危機はマクロ経済政策が引きおこしたものではなかった。しかしながら、危機によって従来の政策枠組みの欠点が露呈し、政策当局者は危機のさなかに新しい政策を探し求めざるを得なくなったし、われわれとて今後のマクロ経済政策の構成について考えさせられているような状況である。

様々な理由から、全体としての政策枠組みに変更を加えるべきではない。その枠組みの究極の目標は、これまで同様 GDP ギャップ[1]とインフレーションを安定させることであるべきだ。とはいうものの、今回の危機のおかげで、GDP の内訳や資産価格の動向、異なる金融主体の資産構成[2]など、政策当局には監視せねばならない指標が多いのがはっきりしたし、彼らが自由に使える政策ツールについても、危機以前よりずっとたくさんありそうなことが明らかになってきた。これらの政策ツールの一番効果的な使い方を学ぶことが課題である。従来の通貨政策[3]と規制ツールをどう組みあわせるか、また財政政策上よりよい自動安定化装置とはどんなものなのかが、今後のもっとも有望な取り組みである。われわれはこれらのテーマについてさらに探っていかねばならない。

最後になるが、今回の危機はわれわれがいつも意識してきた教訓を補強してくれたし、危機を経験することでその教訓をさらに深く心に刻むことにもなった。平時に財政赤字の規模が小さければ、必要な時に大胆で効果的な政策をとる余地ができる。われわれの経済システムをうまく機能させるには、規制に細心の注意を払い[4]、通貨・金融・財政上のデータをわかりやすくかつ入手し易くして[5]、うまく手はずを整えておくことが必要不可欠である。われわれに課されているのは、今回の危機の経験を利用して創意あふれる新政策を考えだすことだけではない。ここで述べたような教訓から生じる困難だが必要な政策の修正や改革において、一般国民の助けとなっていくこともまた、われわれの仕事なのである。

訳注1: output gap

訳注2: the leverage of different agents

訳注3: traditional monetary policy

訳注4: prudential regulation

訳注5: transparent data in ...

20100214

抜粋: ピーター・テミン「大不況は再び起きうるだろうか?」

天から降ってきたのではなく、地から沸いてきたテミンさんの 1993 年論文の一部を訳しました。「Journal of Economic Perspectives Volume 7, Number 2 Spring 1993 pp.87-102. Peter Temin "Transmission of the Great Depression"」 の pp.99-100 の翻訳です。まいどお世話になりますです(業務連絡w)。

1993 年とちょっと古い話で、ここで述べられている"危機"は 1992年の欧州通貨危機です。ヨーロッパはマーストリヒト条約でごたごたしていましたし、まだユーロにもなっていません。話題になっている通貨制度は「欧州通貨制度(European Monetary System)」で、当時は原則的に為替レートの変動幅が年 ±2.25% 以内とされていたそうです。1992 年 9月 17日、イギリスは欧州通貨制度を脱退。ポンド危機あたりを参照してみてください。

テミンさんの邦訳が読みにくく、でもやだやだ言っててもしかたがない...で、いただきものの翻訳に逃避してみました(笑)


「大不況」は再び起きうるだろうか?

「大不況」は、為替レートの固定以上に、金本位制度という政策枠組みへのこだわりによって世界中に拡大した。われわれが再び時代遅れのイデオロギーに執着し、世界経済をぶちこわしてしまうことはあり得るだろうか?

1992 年 9月におきたヨーロッパ通貨危機は、この文脈では好ましいニュースであったといえる。通貨危機というマクロ経済的ショックに直面したヨーロッパ各国の政府は、教条主義的 (訳注: ドグマティズム、コチコチに頭の硬い) にではなく柔軟に対応したのである。最優先すべきは通貨危機のショックを回避することであったと言えよう。万一これが達成できなかった場合、次善の策は 欧州通貨制度 (European Monetary System) が命じている変動幅の小さい為替レートを一時停止することであった。

1992 年の通貨危機は、東西ドイツが統一されたことと、そのドイツ国内でコール首相 (訳注: 旧西ドイツ首相) が増税に足踏みした (もしくは彼にはそもそも増税できなかった) こと、のふたつがあわさっておきた。歴史家は東ドイツ再建にかかるコストが選挙前 (訳注: 1990年の選挙、東ドイツでもおこなわれた) にわかっていたかどうか論じあうだろうが、統一前にはわからなくとも、きっと選挙後すぐそのコストは明らかになったはずだ。マクロ経済的にみて、統一ドイツにとっての最善の選択は、一時的に増税し、それを旧東ドイツへの投資に使うことであった。

コール首相は借金によって旧東ドイツへの投資を融資することにし、これとは別の道を選んだ。マクロ経済的にみると、かなりの財政拡大政策を非常にタイトな金融政策が押さえ込んでいるというのが統一ドイツであった。このように設定された政策によって、ドイツはヨーロッパ経済と欧州通貨制度に大きな衝撃を与えることになったのである。

しかしながら、ヨーロッパを襲ったこのショックは真新しいものではない。 1980 年代のアメリカもレーガン政権下でまったく同じ政策をとっていた(Blanchard, 1987)。財政拡大政策 - 東ドイツ再建にくらべれば、アメリカのそれはまっとうな目的には欠けるが - とタイトな金融政策との組みあわせは、多額の資本流入をまねくような政策であり、結果としてドル高をもたらすものでもある。数年後、ドイツは同じ政策をとったわけだが、それはアメリカのものと同じ効果があるはずだった。

ドルは他の通貨に固定されてはいないし、マルクにしてもそれは同じだ。しかし、欧州通貨制度がヨーロッパの他の通貨に対するマルクの上昇を許さなかった。その結果、まわりの国々に大きな圧力がかかって、ヨーロッパ各国は政策金利を上げて自国の通貨を守らねばならなくなり、 (見当違いな) ブンデスバンクへの激しい非難が巻きおこったのである。

この緊張によって、1992 年 9 月にフランスでおこなわれたマーストリヒト条約批准を決める国民投票があやうくなったのである (訳注: 結果はほぼ半々の僅差だった)。1930 年代初頭と同じで、欧州通貨制度による為替レート固定へのこだわりがマクロ経済的ショックをヨーロッパ全域に広めてしまう恐れがあったのだ。ところが、フィンランド・イタリア・イギリス政府は、戦間期の為政者たちとは違って、自国経済が深刻な影響を受ける前に欧州通貨制度を破棄したのである。

この通貨危機がヨーロッパの通貨体制にどう影響するかを判断するのはまだ早い。しかし、抽象的な理想への奴隷的な盲従や固執ではなく、柔軟さと創意にあふれた対応が予想できる。新しい均衡状態が訪れるまで、投機行為がおきたり不安定になったりするかもしれない。しかしそれでも、「大不況」が示唆するのは、新体制構築にともなう痛みは従来の体制にしがみつこうとしてこうむる痛みに比べれば小さいだろうということだ。かつて金本位制に遅くまでしがみついた国の多く(訳注: "the gold bloc"、フランス・ポーランド・ベルギーなどかな?) は、(少なくともしばらくは) 欧州通貨制度を維持しようとしている。これらの国々が 1930 年代中頃のような経済収縮を再現してしまう運命にあるかどうかは、時間が経ってみないとわからない。

「大不況」がまわりの国々へと伝わっていく様子は、現在のわれわれに次のような教訓を残してくれている。マクロ経済的ショックを避けるのが一番の方法だというのがそれだ。しかし、そのショックに遭遇してしまったなら、次善の策は為替レートを固定している縛りを一旦解くか棄てるかすることである。「大不況」の初期、各国は為替レートの固定によって結びついていたのだから。そのマクロ経済的なショックが 欧州通貨制度のような枠組みを放棄せねばならないくらい強くて大きなものだったら? 政府と中央銀行はどれくらい早く反応すべきか? これらについては、歴史をつかさどる女神クレイオーも沈黙を守ったままだ。「あまり待ちすぎないように」としか彼女は言っていない。ラルフ・ホートレイ(訳注: 1879-1975、イギリスの経済学者でケインズの友人) は、1931年のポンド切り下げ後、イングランド銀行がインフレと闘うために金利を上げた時、「それは間違っとる。それは"ノアの洪水のさなかに火事だ火事だと叫ぶようなもの"だ」と言っているのだが(Hawtrey 1938, p.145)。

■ コメントをくれたベン・バーナンキとエルハナン・ヘルプマンに感謝したい。誤りがあれば、もちろんすべて私の責任である。

20100210

バラバラな援助: 国際援助の断片化はなぜ問題なんだろうか?

VOX のコラムの翻訳です。この話題って、これまでに誰か考えたことがなかったのかな? まさかね... 実際に市場メカニズムを組みこむのが、色々と面倒なのかもしれない。

色々やった方がよいんだろうけど、僕らの税金も、彼らの時間も限られてるわけで。ともかく有効活用しませう。

原文は 「Crushed aid: Why is fragmentation a problem for international aid?」です。


バラバラな援助: 国際援助の断片化はなぜ問題なんだろうか?

Emmanuel Frot と Javier Santiso
18 January 2010

ドナー[1]によって提供される援助がどんどん細切れになり、援助を受けとる国々の多くにとってそれが重荷になっています。私たちがこのコラムで主張したいのは、援助が細切れになりすぎたのが問題なのではなく、援助を提供する側に競争が少なすぎることが問題なのだということです。

国家間の開発援助 (ODA、official development assistance) は急速に発展してきました。100年前はドナーが数えるほどしかなく、補助金を受けとれる国もわずかでした。しかしそれ以降、援助活動は驚くほどの勢いで広まってきています。新しいドナーが登場し、途上国も次々とそれらの国と協力関係を結ぶようになりました。さらに、昔は受け入れ先だった途上国が、今日では援助を提供する側にまわるようになっています。援助される側から援助する側になった国々は、ブラジル・中国・ロシア・サウジアラビア・ベネズエラなど多くはないものの、これによって援助拡大の流れはますます勢いを増しています。

このように援助業界の舞台にあがる役者が増え、援助の分配され方も大きくさま変わりしました。今の援助はてんでバラバラ。つまり、細切れになった(少額の)案件が、多くのドナーからたくさん提供されるという風です(Deutscher and Fyson 2009)。このような援助の断片化は、今ドナーが優先的にとり組みたいと思っている問題です。これまでのところ、ドナー側は調整や分業で援助の断片化を防ごうとしています。この課題は OECD の『援助の効果に関するパリ宣言、およびアクラ行動計画』[2]でもはっきりと示されており、OECD 開発援助委員会 (DAC 委員会、Development Assistant Committee [3]) が断片化の状況を熱心にモニタリングしています。

援助の断片化は緊急課題だと考えられています。なぜかというと、援助の受け手にかかる断片化のコストが、援助の効果を著しく低下させるくらい大きいからです。援助にはドナーが設定した目的や必要条件があまりに多く、事業に関わってくるコンサルタントもたくさんいます。援助の受け手はこのような状況に対応しなければならず、これが負担になって援助の価値が著しく減ってしまうのです。このような作業には相当数の人手が必要で、援助を受けるような国々には管理運営にたずさわる能力のある人が少ないのも普通です。それに、彼ら(のように有能な人たち)はどこか他で働いたほうが国のためにもなるでしょう。これから、私たちの最近の研究成果 (Frot and Santiso 2008, Frot 2009, Frot and Santiso 2010) を使って、問題の広がりや深まりをざっと見てみようと思います。そうすることで援助の断片化についての議論に一石を投じたいのです。

訳注:

[1] 援助を提供する国・国際機関・民間の非営利組織など。このコラムは OECD のデータを使っているので「政府」に限られる(はず)。詳細は Frot, Emmanuel and Javier Santiso (2010), "Crushed Aid: Fragmentation in Sectoral Aid", OECD Development Centre, Working Paper, No. 284. 参照のこと。

[2] 原文は"2005 The Paris Declaration on Aid Effectiveness and the 2008 Accra Agenda for Action"。前者は外務省では「援助効果向上に関するパリ宣言」と呼ばれている。パリ宣言には国際協力銀行による邦訳があるが、アクラ行動計画の邦訳は見つからない。"2008 Accra Agenda for Action"の原文は『The Paris Declaration on Aid Effectiveness and the Accra Agenda for Action』に収録されている。

[3] OECD の開発援助委員会のメンバーは 24ヶ国。オーストラリア、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、アイルランド、イタリア、日本、韓国、ルクセンブルグ、オランダ、ニュージーランド、ノルウェイ、ポルトガル、スペイン、スウェーデン、スイス、イギリス、アメリカ、欧州委員会。出典: OECD 「DAC FAQ」


援助はどれくらいバラバラなんだろうか?

援助の断片化についての数字はかなり刺激的です。援助の分配ががらっと変わってしまった様子をつかむため、ふたつの簡単なグラフでこの40年間の変遷を見てみましょう。

図 1 ではそれぞれのドナーが提供した援助の数を数えてみました。すべてのドナーについて援助の数を数え、ドナー全体の平均値をとって点でおとし、線でつないだグラフです。上の線は私たちが使ったデータに含まれていた開発途上国の総数。つまり、それぞれの年にドナーが援助できる国の上限です。1960 年代のドナーは平均 50ヶ国に援助していました。2006 年にはその数が 100ヶ国以上に増えていることがわかります。もっとも大きなドナーに限って言うと、最近の援助の数は途上国の総数に匹敵するほど多くなっているのが実情です。しかし、このグラフは平均値を使っているため、そのような特定のドナーがどのように援助を分配しているかまではわかりません。

ドナーがより多くの国を援助するようになったため、開発途上国がますます多くのドナーから援助をもらうようになったのは明らかです。1960年には途上国 1ヶ国あたり平均 2つのドナーからしか援助を受けていませんでした。これが 2006年になると平均 28 以上にまで増えているのです。それを示したのが図 2 です。

Figure 1
図1. ドナー 1ヶ国あたりの援助関係の平均 (1960年-2007年)

Figure 2
図2. 援助の受け手 1ヶ国あたりのドナーの数の平均 (1960年-2006年)


援助の断片化の進行状況。

援助の断片化が意味しているのは、単にドナーやその相手国の数が増えたということだけではありません。現状の援助の多くは少額で、普通その管理コストは途上国が格安で負担しています。図 3 はそれぞれのドナーの相手国の数[4]を数えてその平均値を計算したもの、そこに含まれる援助のうち「緊密な援助関係」に該当するものの平均です。DAC 委員会の断片化の定義では、「ある途上国がもらっている援助総額において、あるドナーからの援助額が占める割合」が「そのドナーが実施している援助の総額が世界全体での援助総額に占める割合」より少なければ、「緊密な援助関係」ではないとされています。[5]

Figure 3.

図 3 を見ると、ドナーが援助している国の数と「緊密な援助関係」の総数とのギャップが開いてきているのがわかります。これが断片化の進行です。図 3 の上の線はドナーが相手国をどんどん増やしているのを示しています。それにも関わらず、図 3 の下の線が示しているように「緊密な援助関係」の数はほとんど増えていません。

典型的な場合だと、ドナーの援助予算総額の 80%以上が「緊密な援助関係」に費やされます。「緊密な援助関係」は相手国の総数に比べれば少ないにも関わらず、そのような状況になっているのです。同様に、ある途上国が受けとる援助総額の 80%以上が「緊密な援助関係」にあるドナーからのお金です。ドナーはこれまで相手国を大幅に増やしてきました。たとえそれによって、相対的に少額の援助しか受けられない国々が出てきたとしても、ドナーはそうすることを選んできたということになります。

訳注:

[4] 原文は "the average donor portfolio size"。ドナーの「事業数」の平均かもしれない。上の線が図 1 のものとなぜ微妙に違っているのかは不明。

[5] OECD の「緊密な援助関係」の定義については「訳者によるおまけ」参照。


もう少し掘りすすめてみる: 断片化はセクターで起きているのだ。

ここまでは援助の断片化を国レベルで見てきました。しかし、そこからは断片化の概要しかわかりません。もし DAC 委員会がアドバイスしているように、分業によって断片化を確実に防げるなら、どの部分を補完してやれば断片化を減らせるのでしょうか。それを理解するには、断片化をもっと詳しく見てみる必要があります。

2010年、私たちはセクターごとに断片化の分析を行って、「Crushed Aid: Fragmentation in Sectoral Aid」という論文を書きました。その結果、どのセクターでも断片化が起きていて、その度合いも深まっていることがわかりました。断片化がもっとも激しかったのは社会インフラセクター[6]で、このセクターでは断片化がさら進みそうでした。このセクターが他と違う理由は次のふたつです。

  1. まず、農業・工業・エネルギー関連から社会インフラセクターへと援助項目ががらりと移ってきたこと。社会インフラセクターは今ではかなりの数の援助を獲得する分野になっています。
  2. 通常、社会インフラセクターは投資額が少なくてすむ分野で、他より断片化の影響を受けやすい分野であること。

このように、数を増やしやすい小規模プロジェクトが好まれてきたことも、断片化を生む原因になっているのです。

セクターごとの分析からは、ひとつの国の国内の断片化でさえ複雑な現象なのだということもわかりました。他が断片化していなくとも、社会インフラセクターだけ断片化が激しいのはよくあることなのです。ある国の状況を他の国々にも当てはめるのは難しいと言ってよいでしょう。

こういう事情があったので、私たちは各セクターの断片化がひと目で分かるよう、クモの巣グラフ[7]を使うことを提案しています。これで国どうしの比較が楽になります。この図を比べれば、どの国のどのセクターが一番断片化の影響を受けているかが見えてくるでしょう。

訳注:

[6] 原文は "social sectors"。教育・保健・政府関連のことかと。

[7] レーダー・チャート。あの6角形や星形のグラフ。


断片化を他の切り口で見てみる。

援助に関わる国々がふつう議論するのは断片化の激しさです。ドナーが多すぎるという議論もよくあります。しかしながら、世界には、援助を提供してくれるドナーがほんの数えるほどしかいない国がたくさんあります。そのため、断片化の度合いが小さくなりすぎて、援助をもらえない国が出てきても[8]困ります。この問題をより的確に言いあわらすなら、ドナーどうしの競争が少なすぎるのが問題だということです。

2007年、ある国では一度に 2000件もの事業が同時進行していました。その一方で、ひとつのセクターあたりの事業数の中央値は 19件、平均では 44件になっていました。この数字を見た私たちは、ある特定のドナーがこの国の援助関係を独占しているのではないかと考えました。そして、そのような状況にある開発途上国を見分ける指標をつくることにしたのです。特定のドナーが相手国国内でたくさんのセクターに資金提供しようとすると上の数字のような状況になるのです。

これまでの断片化の研究では、たったひとつの優勢なドナーが得をするのだとするのがふつうでした(例えば、Knack and Rahman 2007)。文献に目をとおしたかぎりだと、データや観察にもとづいた研究も同じような見方をしています。ところが、このように競争がない状況では、私たちの身近な市場のどれもがそうであるように、援助にかかる費用は増えてしまうものなのです。つまり、援助にかかる費用は、(市場原理で決まったものではないので) 実は適切な価格ではないのです。ところが、援助に関する文献をみても、その解決策として挙げられているのは「非競争的な」手段なのです。文献に出てくるのは、例えば、ひもつき援助だとか、外部から影響を与えるだとか、高価なコンサルタントを雇うなどといったものです。

援助「市場」には供給する側が欠けている、という指摘は奇妙ですね。経済学では、ほぼどんな市場でも、競争があったほうがうまくいくことがはっきりしているのですから。けれど、援助業界にはドナーがたくさんいるにも関わらず、競争によって援助の価格が決まるという風にはなっていません。それどころか、援助のコストがかさんだり管理運営上の手続きが増えたりといったことのほうがふつうです。先ほど、相手国を独り占めするような援助を行なっているドナーがいることに触れました。援助を独り占めすると、競争がないせいで、ただでさえ膨れあがっている費用がさらに値上がりするのはあきらかです。しかし、独占的な援助というかたちをとることがコスト削減につながるならば、という理由で好まれているようなのです。

訳注:

[8] 援助が分配されるセクターが少なく、援助の幅が狭いこと。


競争の欠如にどう対処しようか?

私たちの意見はシンプルで、援助の断片化問題の核心は「競争がほとんどないこと」なのだということを示しています。

数え切れないほど多くのドナーが独占状態にあって、競争の恩恵に授かることのないまま、ただコストを倍増させています。ドナーたちが断片化をなくそうと懸命に努力している状況には、そんな裏があるのです。現在とられている方法は、ドナーと相手国が国際会議で約束を交わし、国や組織レベルで断片化を防ごうというものです。約束が守られているかを監視するのは、多くの国々が関わる OECD の DAC 委員会です。ところが DAC 委員会は強制的に約束を守らせることはできません。DAC 委員会にできるのは「悪いのはどっちかな~?」と、まるでお遊びのように問題をデリケートに扱うことだけなのです。

OECD のやり方に効果があるかは怪しいと思います。管理運営コストが大きすぎて困っているのに、さらに DAC 委員会のような管理組織をつくって問題を解決しようとするのは皮肉な感じがします。このような新しい体制で処理コストを減らせるかどうかはまだわかりません。分業体制についても同様です。なかなか分業しようとしないのがドナーの常ですから。OECD のアプローチの問題点は、援助がなぜ断片化するのかという根本的な部分を無視していること。彼らはドナーやその相手国のインセンティブを変えようとはしていません。ですから、彼らの振舞いも大きく変わる見込みもありません。はっきり言えば、OECD のやり方は断片化を生む「競争の欠如」を軽んじているのです。

「中央集権的でない」、OECD とは違った視点でみてみましょう。援助市場において、ドナーはより効率的に、かつもっと説明責任を果たせるようになろうとします。そのため、援助市場を改革し発展させてやれば、断片化を減らすことができるはずです。援助市場がうまく機能すれば、受け入れ国側はもっとも経験豊富で効率的なドナーを選べるようになるのです。このような世の中が実現すると、「緊密でない援助関係」[9] は非効率なので駆逐されてしまいます。また、多くのドナーが競争するようになり、ただコストだけが増えていくような状況にとって換わると思われます。このテーマ、援助業界でどのように市場メカニズムを築くか、について書かれたのが Barder の 2009年の論文です。

中央集権的でない(市場メカニズムを利用した)視点からわかるのは、ドナーどうしが競争しない今の体制が行きついた結果、援助の断片化がおきているということです。市場メカニズムによる方法は、相手国との約束に頼って断片化を阻止するのではありません。そうではなく、競争原理を使って、援助の断片化が長続きしないようにしてしまうやり方なのです。難しいのは、決まり事をつくってインセンティブを適切に設定してやること、そしてドナーにそれを受け入れさせることです。これは決して簡単な作業ではありませんが、今の体制よりやりがいのある将来有望な取り組みでしょう。

援助ドナーたちは、これまで失敗してきたにも関わらず、中央集権的な DAC 委員会方式を採用しました。このような失敗のくり返しが、貧しい国々にとって残念な出来事なのは当然です。援助体制の改革は切実な問題ですが、ふたたび遅れることになりそうです。

訳注:

[9] 原文では "insignificant partnerships" 「緊密でない援助関係」と訳したが、定義は以下のものだろう。以下に続く「訳者によるおまけ」も参照のこと。

III. FRAGMENTATION ON THE DONORS' SIDE

We make use of the OECD DAC definition of fragmentation and extend it to sectors. In each recipient-sector-year, donors・ shares are computed and compared to donors・ shares in the sector at the global level. If the former is smaller than the latter then the partnership is said to be insignificant. Assume for instance that Austria provides 2% of total health aid to Vietnam. If Austria provides 5% of global health aid then its partnership with Vietnam is considered as fragmented or, in other words, insignificant.

訳: われわれは OECD の開発援助委員会による断片化の定義を用い、それをセクターまで拡張した。それぞれの援助受け入れ国における各セクターへの年間割当て額とドナーのシェアを計算し、それを当該ドナーの援助額が世界の援助総額に占める割合と比較した。前者が後者より小さい場合、その2国間の関係を「緊密ではない援助関係」と呼ぶことにする。例えばオーストラリアがベトナムの健康分野の援助で 2%を占めているとする。また、オーストラリアの援助は世界の健康分野における援助総額の 5%だったとしよう。この時、この2国間の関係は断片化していると評価され、「緊密ではない援助関係」にあたることになる。

This first measure suffers from a negative bias towards large donors. Small donors・ global shares are often so low that they correspond to quite small amounts of money for a recipient. It is therefore more often the case that a small donor・s partnership is more significant than that of a large donor. Large donors・ portfolios are likely to appear more fragmented because of this bias. For this reason OECD DAC also takes into account, as a complementary measure, if the donor is among the group of donors that together disburse 90% of total aid to the recipient.

訳: このひとつめの基準には、規模の大きいドナーを過小評価する傾向がある。小規模なドナーの援助は相手国への提供額がごく少なく、世界の援助総額に占める割合も小さくなる。そのため、大規模ドナーの援助に比べて、小規模ドナーの援助のほうがより「緊密な援助関係」だと評価されがちになる。このようなバイアスがあるため、見かけ上、大規模ドナーの援助がより断片化したものだと評価されてしまうのだ。このバイアスには OECD 開発援助委員会も配慮し、当該相手国が受けとる援助総額の 90%の金額で線引きし、当該ドナーによる援助がそのラインを越えるかどうかで欠点を補おうとしている。

出典: Frot, Emmanuel and Javier Santiso (2010), "Crushed Aid: Fragmentation in Sectoral Aid", OECD Development Centre, Working Paper, No. 284. p.20


訳者によるおまけ

「significant partnership」というものの内容が分からなかったので探してみた。たぶん以下がそれ。まとめると、こういうことではないかと... 一応、原文も残しておいた。

基準 1:
「当該ドナーの援助総額が世界の援助総額に占める割合」(A)を計算する。この数字(割合)と、「当該ドナーからの援助が当該相手国がもらっている援助総額に占める割合」(B)を比べる。
基準 2:
当該ドナーの援助額が当該相手国が受けとっている援助総額の 90% を越えるかどうか。
  • B > A、かつ 90% 以上 : 「集中し、かつ重要」
  • B > A、かつ 90% 以下 : 「集中」
  • B < A、かつ 90% 以上 : 「重要」
  • B < A、かつ 90% 以下 : 「特に目立った関係ではない」
Concentrated and important:
(集中し、かつ重要な援助関係)
The donor gives more aid to this recipient than its global share of aid would suggest, and is among the larger donors that together provide at least 90% of this recipient・s aid (i.e. the answer to both questions above is yes).
Concentrated:
(集中した援助関係)
The donor gives more aid to this recipient than its global share of aid would suggest, but is still among the smaller donors that together account for less than 10% of this recipient・s aid (i.e. yes to question 1 and no to question 2).
Important:
(重要な援助関係)
The donor gives less aid to this recipient than its global share of aid would suggest, but is among the larger donors that together account for at least 90% of this recipient・s aid (i.e. no to question 1 and yes to question 2).
Non-significant:
(特に目立った関係ではない)
The donor gives less aid to this recipient than its global share of aid would suggest, and is among the smaller donors that together account for less than 10% of this recipient・s aid (i.e. no to both questions).

Box 4.1. Examples of a donor・s relative presence at country level

Sweden・s core aid amounted to USD 1.1 billion in 2008, representing 1.5% of global core aid. This was extended to 68 recipient countries, of which 31 were priority countries (which received 79% of total Swedish core aid). The average core aid in its priority countries was USD 28 million - versus an average in its non priority countries of USD 6 million.

訳: スウェーデンの援助総額(2008年)のうちコア援助に該当するのは 11億ドルで、世界のコア援助総額の 1.5%である。スウェーデンはこれを 68ヶ国に分配している。68ヶ国中 31ヶ国が(OECDが決めた)「優先的に援助すべき国」で、スウェーデンの援助総額に対する 31ヶ国の割合は 79%。一方、世界の「優先的に援助すべき国々」がもらっているコア援助の平均は 2800万ドル、それに該当しない国々では平均 600万ドルになっている。

  • In Macedonia, FyR, Sweden provided USD 9 million in 2008 representing 4.9% of all core aid to the country. Therefore Sweden・s core aid contribution to Macedonia, FyR is concentrated. Furthermore, Sweden is among the “top 90%” donors in Macedonia, FyR and therefore important in terms of significance. This aid relationship is in category A (concentrated and important).
    訳: マケドニア FYR はスウェーデンから 900万ドルの援助を受けた(2008年)。これはマケドニアがもらったコア援助総額の 4.9%である。したがって、スウェーデンからマケドニアへのコア援助は「集中」状態に該当する。さらに、スウェーデンからマケドニアへの援助額は、マケドニアがもらっている援助総額の「90%」を越えている。そのため、援助関係の「重要性」は「重要」にも該当することになる。すなわち、この 2ヶ国の援助関係はカテゴリー A、 「集中し、かつ重要」な関係であるとされる。
  • In Sudan, Sweden provided USD 12.3 million, representing 1.6% of total core aid to the country and therefore above its global share. However, in Sudan, Sweden is not among the top 90% donors. This aid relationship is in category B (concentrated).
    訳: スーダンはスウェーデンから1230万ドルの援助を受けた。これはスーダンがもらっているコア援助の 1.6%、スウェーデンのコア援助が世界のコア援助に占める割合である 1.5%よりも多い。しかし、スウェーデンからスーダンへの援助は、スーダンがもらっている援助総額の「90%」を越えるほど多くはない。したがって、スウェーデンとスーダンの援助関係はカテゴリー B、「集中」した関係にだけ該当することになる。
  • In Vietnam, Sweden extended USD 32.6 million representing 1.3% of core aid to the country. Despite this smaller share, Sweden is among the top 90% donors. This aid relationship is in category C (important).
    訳: ベトナムは金額にして 3260万ドル、コア援助全体の 1.3%をスウェーデンから受けとっている。割合は小さいながら、スウェーデンからベトナムへの援助は、ベトナムがもらっている援助総額の「90%」以上だ。したがって、この 2ヶ国の関係はカテゴリー C の「重要」な援助関係に該当している。
  • In Sri Lanka, Sweden provided USD 6.4 million, representing 0.7% of total core aid to the country, significantly below its global share. Sweden is also not among the top 90% donors to that country. This aid relationship is in category D (non-significant).
    訳: スリランカはスウェーデンから 640万ドル、コア援助総額の 0.7%の援助を受けている。0.7%という数字は、先程の 1.3%からかなり低い数字だ。また、スウェーデンからスリランカへの援助総額も少なく「90%」ラインを越えていない。このような関係はカテゴリー D、「特に目立った関係ではない」援助関係に該当する。

出典: 『2009 OECD Report on Division of Labour: Addressing fragmentation and concentration of aid across countries』 (pp.19-20. PDF直リンク、全66頁、4MB)

References

  • Barder, Owen, (2009), "Beyond Planning: Markets and Networks for Better Aid", Centre for Global Development, Working Paper 185.
  • Frot, Emmanuel and Javier Santiso (2008), "Development Aid and Portfolio Funds: Trends, Volatility and Fragmentation", OECD Development Centre, Working Paper No. 275.
  • Frot, Emmanuel (2009), "Early vs. Late in Aid Partnerships and Implications for Tackling Aid Fragmentation", Working Paper, 2009.
  • Frot, Emmanuel and Javier Santiso (2010), "Crushed Aid: Fragmentation in Sectoral Aid", OECD Development Centre, Working Paper, No. 284.
  • Deutscher, Eckhard and Sara Fyson (2008). "Improving the Effectiveness of Aid", Finance and Development, September, Volume 45, Number 3.

20100207

FT論説 - 量的緩和が中断されたが、英国債市場は冷静なのである。

さて、2 月4~5 3 ~ 4 日、イングランド銀行の金融政策委員会が開かれました。金利はすえ置き、資産買取りプログラム(APF)は一時中断とのこと。ちょっと動きましたね。ニュースリリースはこちら。議事録は 10 日に公表され、イングランド銀行のサイトでダウンロードできるようになるでしょう。インフレーションレポートも10 17 日発表。現地時間 午前 10 時 30 分からオンラインで会見が見られるようです。再び麗しのキングさまの動くお姿に...いや何でもありませんw

この記事の本意は、イギリスで今年行なわれる選挙を見すえて、イングランド銀行をせっつくことであって、量的緩和が駄目だと言っているわけではないことに注意。くれぐれも誤解なきよう。イギリス総選挙に向けての今後の動向から、何らかの教訓が得られるかもしれないですね。原文はこちら

2010年2月10日: 日付の誤りを訂正しました。


量的緩和が中断されたが、英国債市場は冷静なのである。

クリス・ガイルズ、経済部・編集者、4 Feb 2010 8:14pm

木曜日、イングランド銀行は資産買い入れによって通貨を供給する(creating money)プログラムの中断を発表した。しかし、イギリス政府債市場は砂漠のオアシスのような穏やかさを保ったままだ。

2009年3月に始まった量的緩和制度は、300 年のイングランド銀行史上はじめての試みで、マネーの量を増やして国内の支出が増えるようにし向けるための政策であった。

懸念されていたのは、イングランド銀行が政策金利を 0.5 %に据えおき、マネーの供給を 2000 億ポンドで止めてしまった場合、英国債の利回りへに上昇圧力がかかるのではないかということだった。イングランド銀行はこれまで英国債の最大の買い手だったからである。

しかし、投資家はイングランド銀行の分かりやすい振舞いを読み取っていたし、資産買取りで発生した負債を政府が払い戻す能力も心配してはいなかったということになる。木曜日の英国債 10 年ものの利回りは、発表があった正午過ぎに跳ねあがったが、すぐに下がったのだ。

この日、エコノミストたちは量的緩和が機能していたかどうか議論し続けていた。イングランド銀行の金融政策委員会によると、2000 億ポンドの資産買取りは「しばらくの間、国内経済に金融的刺激を与え続けるのには十分」だろうとのことだ。しかし、量的緩和の効果には具体例が少ないと指摘することもできるだろう。

野村證券のピーター・ウェスタウェイは「量的緩和の導入は(市場の)動向に大きく影響したと思っています。」と述べているが、ファソム・コンサルティングのダニー・ガーベイは「イングランド銀行の量的緩和プログラムによって、何か実質的な変化がおきたことを示す説得力ある証拠はほとんど見つかりませんね。」と主張している。

誰も本当にはっきりしたことは言えない。イングランド銀行が 2009 年 3 月に行動をおこさなかった場合の結末が分からないのは、われわれにとって大問題である。

量的緩和の効果には状況証拠があるものの、効果があると言い切るには証拠がまだまだ足りない。2009 年第 4 四半期、イギリス経済はなんとか景気後退を抜けだし、第 3 四半期には現金支出が 1.1 %上昇してもいる。ともに、不況を阻止して回復を支えるというイングランド銀行の目標をいくぶんは満たすものだ。

この回復が量的緩和のおかげかどうかがはっきりしない。現在、見通しがわずかに上向いているのは、他にたくさんある要素の影響でもあるからだ。経済にはもともと成長する傾向があるし、財政刺激もおこなわれてきた。エネルギー価格は安価で、世界的に見れば資産価格も上昇している。景気見通しの回復にはこれらも影響している。

量的緩和の効果をはかる中間指標には残念な結果に終わっているものもある。一般家計と非金融関連企業の手元にあるマネーの伸び率(平均、年率換算)は、量的緩和後も衰え続け、2009 年 12 月にやっと前年比 1.1 %上向くだけに留まっている。イングランド銀行は量的緩和がなかったなら、その伸び率はもっと小さかった可能性があると指摘する。しかし、そもそも彼らが目指していたのは、この 10 年間の多くの年でみられたような 7 ~ 8 %の伸び率ではなかったか?

社債市場において、イングランド銀行は社債を買い取ってきた。量的緩和の開始とともに、イングランド銀行の買取り要件を満たす証券の利回りが他の証券に比べて下がった。しかしこの効果はやがて弱まってしまった。

政府債市場でも、量的緩和やそれを拡張するような施策が発表されると、政府の借入れコストははっきりと下がった。しかし、2008 年末の金利引き下げに比べればその影響は小さかったし、これまた時とともに減衰してしまうこととなった。

ひとつ成功したのではないかと思われる印がある。それはイギリスの社債市場で企業が - 事実上、(一般の)銀行を通さずに - より多額の借金をするようになり、昨年に比べて社債市場が流動性を増してきているように見えることだ。

このように量的緩和の効き目は証拠不十分。エコノミストも肩をすくめ、量的緩和には「まぁ害はなかったみたいだね」と言っている。しかし、イギリスがジンバブエのようなハイパーインフレに見舞われることはなかったし、経済も今のところは回復しているように見える。

このように、量的緩和について確信のあることを言えないのが問題だ。これから、政治家が財政赤字削減の適切なペースを論ずることになるだろう(訳注: イギリスでは 2010 年前半に総選挙が行なわれる)。その際の討論を有意義にしたければ、金融政策が財政引き締めをうまく相殺できるということを政治家に理解させておく必要がある。イングランド銀行がまだそれを保証できないでいるのは問題として残っているということだ。

インフレ目標2%を断行せよ