小ネタです。『Project Syndicate』からハロルドさんとマテオ・アルバネーゼさん共著のエッセイをば。原文は「Goodbye to "Globalization" - Harold James and Matteo Albanese」(http://www.project-syndicate.org/commentary/james49/English)。
あー日本語むずかし。
さよなら"グローバリゼーション"
"globalization" ということばが世界中にひろまったのは1990年代です。それがいちばんポピュラーだったのは2000年と2001年で、2001年のル・モンドには"mondialisation(訳注1)"という単語が3500回もでてきます。しかし、その後は減りつづけて2006年になるころには2割以下になってしまいました。2007年に金融危機がおきてからというもの、ニューヨーク・タイムズやフィナンシャル・タイムズといった有名新聞でこのことばを目にする機会はさらに少なくなりました。グローバリゼーションという言葉にかつてのような勢いはありません。
グローバリゼーションという概念のみじかい歴史をたどり、すりきれて陳腐になった用語をほかにも探してくらべてみると事態がみえてきます。
20世紀にでてきたもっとも重要な概念は、"全体主義"と"グローバリゼーション"のふたつです。両方とももとはイタリア語でした。"全体主義"は20世紀なかごろの騒乱のなかで、"グローバリゼーション"はおなじ20世紀のおだやかな世紀末に定義されたものです。"全体主義"のほうは1989年にとうとう空中分解してしまい、グローバリゼーションが勢いをえることになりました。
どちらの言葉も批判のなかから生まれ、そこに描かれている政治的風潮を攻撃しやっつけようとするものでした。でも両方とも、その風潮を支持する側がうるさく熱狂的につかうだけになってしまった用語なんです。
"全体主義"は1923年に生まれた概念で、リベラリストのジョバンニ・アメンドーラがムッソリーニの新政治体制という誇大妄想な主張を批判したりパロディ化したりするなかで生まれました。ところがその数年あとには、ムッソリーニ政権のジョバンニ・ジェンティーレ教育大臣のあとおしで、イタリア・ファシズムが鼻高々に自らを規定するさいの概念になってしまいます。ジェンティーレはのちにムッソリーニ政権のオフィシャルなファシズム哲学者になり、『ファシズム百科事典』ではムッソリーニのゴーストライターになった人です。
賛否どちらの立場でその言葉をつかおうと、概念としての全体主義は生活のあらゆる面にかかわる活動を政治・経済・社会的に一貫した理念であらわそうとしていました。ファシストというのは自らに完全なる知識とすべての権力があると考えたがるひとたちだったんですね。
"グローバリゼーション"という用語がどこで生まれたのか知る人はいまではまずいません。『オックスフォード英語辞典』をひくと、学術論文でいまのように使われるようになったのは1972年からだとあります。意味はかなり違いますが、ことば自体はもっと古くから使われていました。外交の場面で、共通点のない政治分野どうしがリンクしているのを示唆する用語だったのです。たとえば、金融政策の問題と国防の問題をいちどに交渉するようなときにつかわれました。
『オックスフォード英語辞典』にあるグローバリゼーションの語源は英語以外の言語を無視しています。ほんとうは大陸ヨーロッパの急進主義的な学生たちによる独創的な使いかたがはじまりです。1970年のこと、イタリアの急進左派のアンダーグラウンド雑誌『Sinistra Proletaria』 に「The Process of Globalization of Capitalist Society」という記事がのりました。記事にはIBMがでてきますが、"IBMはそれ自体が団結したひとつの総体であり、利潤を得るためにあらゆる活動をコントロールし、製産プロセスすべてを'グローバライズ'する組織として存在するのだ"とあります。IBMは14ヶ国に工場をもち109ヶ国でそれを売っていて、"資本家による帝国主義支配のグローバル化(mondializzazione)の一部だ"からだそうです。この無名の左翼出版物が、現代的な意味でグローバリゼーションという言葉をつかった最初のものです。
それ以降、この用語は浮き沈みを経験してきました。1990年代にだんだんブームになって相手をののしるのによく使われるようになりました。1990年代のおわりから2000年はじめにかけては、WTOやIMF、世界経済フォーラム、マクドナルドなんかを標的に反グローバル化のデモがおこなわれていましたね。当時は1960年代のイタリア左翼とおなじ意味あいで使われていて、選ばれたテクノクラートが世界の貧しい人々を金にものをいわせて搾取するのがグローバリゼーションだったのです。
ところが2000年にはいるとこの言葉の意味はかわります。グローバリゼーションはもうちょっとポジティブな意味で注目されるようになりました。グローバル化の勝ち組に急成長中の新興国がふくまれるようになってきたのが大きな理由です。たしかに、かつては "後発"だとか "第三世界" とかよばれてきた国々が世界の主導権をにぎりはじめるようになってきていました。それにくわえて、以前はグローバル化を批判していた人たちも、気候変動や経済危機や貧困のような国際問題を解決する道として世界的なつながりを認めるようになってきていました。
歴史学者はグローバル化をさかのぼる研究をはじめています。グローバリゼーションは、資本市場を原動力に世界が統合してきたここ20年だけのお話ではもはやなく、金本位制や大西洋横断電信ケーブル(訳注2)であたかも世界がひとつになっていたかのようだった19世紀の"グローバル化の第一波"についてのお話でさえありません。歴史観としてのグローバリゼーションはもっと幅広くもっと深みがあります。それはローマ帝国や中国の宋王朝をも視野にいれ、アフリカに起源をおなじくする人類のグローバル化の足跡をたどっていくような歴史観です。
わたしたちは全体主義やグローバリゼーションということばで複雑な政治的社会的現象を表現してきました。これらの言葉の変遷にはおもしろい両義性があります。相手を非難することをねらってつくられた概念には、相手をたたえるような言葉にころっとかわってしまうものもあるのです。
2011年には反グローバル化という言葉づかいはほぼ色あせてしまっています。グローバル化はやっつけるものでも持ちあげるものでもありません。人類史はまったくことなる土地やさまざまな話題がひどくもつれあうもので、グローバル化はその根っこにある性質です。つまり、グローバリゼーションはかみつくべき論点ではくなり(訳注3)、まさにそのせいで概念としての魅力もなくなってしまったといえましょう。
訳注 1: mondial = "全世界の"という形容詞。
訳注 2: Atlantic telegram。
訳注 3: polemical bite。