20110905

Harold James and Matteo Albanese 「さよなら"グローバリゼーション"」

小ネタです。『Project Syndicate』からハロルドさんとマテオ・アルバネーゼさん共著のエッセイをば。原文は「Goodbye to "Globalization" - Harold James and Matteo Albanese」(http://www.project-syndicate.org/commentary/james49/English)。

あー日本語むずかし。


さよなら"グローバリゼーション"


"globalization" ということばが世界中にひろまったのは1990年代です。それがいちばんポピュラーだったのは2000年と2001年で、2001年のル・モンドには"mondialisation(訳注1)"という単語が3500回もでてきます。しかし、その後は減りつづけて2006年になるころには2割以下になってしまいました。2007年に金融危機がおきてからというもの、ニューヨーク・タイムズやフィナンシャル・タイムズといった有名新聞でこのことばを目にする機会はさらに少なくなりました。グローバリゼーションという言葉にかつてのような勢いはありません。

グローバリゼーションという概念のみじかい歴史をたどり、すりきれて陳腐になった用語をほかにも探してくらべてみると事態がみえてきます。

20世紀にでてきたもっとも重要な概念は、"全体主義"と"グローバリゼーション"のふたつです。両方とももとはイタリア語でした。"全体主義"は20世紀なかごろの騒乱のなかで、"グローバリゼーション"はおなじ20世紀のおだやかな世紀末に定義されたものです。"全体主義"のほうは1989年にとうとう空中分解してしまい、グローバリゼーションが勢いをえることになりました。

どちらの言葉も批判のなかから生まれ、そこに描かれている政治的風潮を攻撃しやっつけようとするものでした。でも両方とも、その風潮を支持する側がうるさく熱狂的につかうだけになってしまった用語なんです。

"全体主義"は1923年に生まれた概念で、リベラリストのジョバンニ・アメンドーラがムッソリーニの新政治体制という誇大妄想な主張を批判したりパロディ化したりするなかで生まれました。ところがその数年あとには、ムッソリーニ政権のジョバンニ・ジェンティーレ教育大臣のあとおしで、イタリア・ファシズムが鼻高々に自らを規定するさいの概念になってしまいます。ジェンティーレはのちにムッソリーニ政権のオフィシャルなファシズム哲学者になり、『ファシズム百科事典』ではムッソリーニのゴーストライターになった人です。

賛否どちらの立場でその言葉をつかおうと、概念としての全体主義は生活のあらゆる面にかかわる活動を政治・経済・社会的に一貫した理念であらわそうとしていました。ファシストというのは自らに完全なる知識とすべての権力があると考えたがるひとたちだったんですね。

"グローバリゼーション"という用語がどこで生まれたのか知る人はいまではまずいません。『オックスフォード英語辞典』をひくと、学術論文でいまのように使われるようになったのは1972年からだとあります。意味はかなり違いますが、ことば自体はもっと古くから使われていました。外交の場面で、共通点のない政治分野どうしがリンクしているのを示唆する用語だったのです。たとえば、金融政策の問題と国防の問題をいちどに交渉するようなときにつかわれました。

『オックスフォード英語辞典』にあるグローバリゼーションの語源は英語以外の言語を無視しています。ほんとうは大陸ヨーロッパの急進主義的な学生たちによる独創的な使いかたがはじまりです。1970年のこと、イタリアの急進左派のアンダーグラウンド雑誌『Sinistra Proletaria』 に「The Process of Globalization of Capitalist Society」という記事がのりました。記事にはIBMがでてきますが、"IBMはそれ自体が団結したひとつの総体であり、利潤を得るためにあらゆる活動をコントロールし、製産プロセスすべてを'グローバライズ'する組織として存在するのだ"とあります。IBMは14ヶ国に工場をもち109ヶ国でそれを売っていて、"資本家による帝国主義支配のグローバル化(mondializzazione)の一部だ"からだそうです。この無名の左翼出版物が、現代的な意味でグローバリゼーションという言葉をつかった最初のものです。

それ以降、この用語は浮き沈みを経験してきました。1990年代にだんだんブームになって相手をののしるのによく使われるようになりました。1990年代のおわりから2000年はじめにかけては、WTOやIMF、世界経済フォーラム、マクドナルドなんかを標的に反グローバル化のデモがおこなわれていましたね。当時は1960年代のイタリア左翼とおなじ意味あいで使われていて、選ばれたテクノクラートが世界の貧しい人々を金にものをいわせて搾取するのがグローバリゼーションだったのです。

ところが2000年にはいるとこの言葉の意味はかわります。グローバリゼーションはもうちょっとポジティブな意味で注目されるようになりました。グローバル化の勝ち組に急成長中の新興国がふくまれるようになってきたのが大きな理由です。たしかに、かつては "後発"だとか "第三世界" とかよばれてきた国々が世界の主導権をにぎりはじめるようになってきていました。それにくわえて、以前はグローバル化を批判していた人たちも、気候変動や経済危機や貧困のような国際問題を解決する道として世界的なつながりを認めるようになってきていました。

歴史学者はグローバル化をさかのぼる研究をはじめています。グローバリゼーションは、資本市場を原動力に世界が統合してきたここ20年だけのお話ではもはやなく、金本位制や大西洋横断電信ケーブル(訳注2)であたかも世界がひとつになっていたかのようだった19世紀の"グローバル化の第一波"についてのお話でさえありません。歴史観としてのグローバリゼーションはもっと幅広くもっと深みがあります。それはローマ帝国や中国の宋王朝をも視野にいれ、アフリカに起源をおなじくする人類のグローバル化の足跡をたどっていくような歴史観です。

わたしたちは全体主義やグローバリゼーションということばで複雑な政治的社会的現象を表現してきました。これらの言葉の変遷にはおもしろい両義性があります。相手を非難することをねらってつくられた概念には、相手をたたえるような言葉にころっとかわってしまうものもあるのです。

2011年には反グローバル化という言葉づかいはほぼ色あせてしまっています。グローバル化はやっつけるものでも持ちあげるものでもありません。人類史はまったくことなる土地やさまざまな話題がひどくもつれあうもので、グローバル化はその根っこにある性質です。つまり、グローバリゼーションはかみつくべき論点ではくなり(訳注3)、まさにそのせいで概念としての魅力もなくなってしまったといえましょう。

訳注 1: mondial = "全世界の"という形容詞。

訳注 2: Atlantic telegram。

訳注 3: polemical bite。

20110830

骨盤の対称性の問題、僕が行きついた答え。

cyclingnews.com のfittness コーナーでもう10年くらい相談をうけている、スティーブさん(Steve Hogg )が2006年に書いた記事、「The problem of pelvic symmetry - an answer at last!」の翻訳。原文はググってね。

2011年8月30日18:06 追記: スティーブさん、今年からブログをはじめたらしい。→ http://www.stevehoggbikefitting.com/

【使用上の注意 その1】 ネタになっているFSAのK-force、代がわりしてしまって、ヤグラは"Delta Head"から"Minimal Top Clamp"にかわってるので、2011年版のポストにはそのまま適用できない(はず)。でもアイディアは使える。僕が実際やってみたころ(2006年ころ) はたしかに下の文章のようだったんだけど、残念。

【使用上の注意 その2】 肝心の"あなたの場合サドルを左右どちらにずらすべきか、またそれをどうやって判断するかについては書かれていない"。前出の fittness コーナーの過去ログを読むと、"体のねじれや使いかたのクセ"と"乗車姿勢やパフォーマンス"の関係は人によってさまざま。過去ログをあさればヒントはあるものの、くれぐれも試す際にはオーバーなくらい少しずつやるのが吉。もちろんミリ単位で。自分の体がどうねじれているのか、それはなんでなのか、骨のせい(長さとか)なのか筋肉のアンバランスのせいなのかをよく知るのも大事。"leg length discrepancy" でググって頂戴。(ちなみに僕の場合、パフォーマンスはあがったけど日常生活に支障がでました。体がすごくねじれてるようです...orz)


2006年4月24日

はじめに

ほぼすべての人は自分の体が左右対称だと思っているんじゃないだろうか。でもこれはありがちな間違い。たしかに鏡をみれば、僕らの目はふたつだし、耳も鼻の穴もふたつ、腕も脚も2本ある。しかし、よくみると体が左右対称だというのは思いこみだ。片方の手はもう片方より大きいだろうし足の大きさも左右で違うだろう。目も左右どちらかをよく使うクセがあるだろうし、手足には利き手・利き足があって不器用なほうがある。さらによ~く見ると、左右どちらかの肩が高くなっているかもしれないし、骨盤の高さも左右で違うかもしれない。足のアーチの形や回内・回外の程度が違っていて、それが他のものの原因になっていることもある。手足の長さが両方でおなじという意味なら、僕らはだいだいは左右対称だけれど (これも多くの人にはあてはまらないけどね...)、機能面では左右でさまざまにことなるっていうのが実際のところだ。

乗車姿勢という点にかぎっていえば自転車は左右対称な乗りものだ。サドルはフレームの中心線上にあって、クランクは左右おなじ長さでハンドルからおなじくらい離れている。つまり、機能的に左右非対称な僕らが自転車に乗るってことは、僕らが自転車という左右対称なモノに常に "あわない" 状態でいるってこと。その "あわなさ" の程度は大きかったり小さかったりするだろうけれどね。したがって、乗車姿勢の調整 (訳注1) の大きな役割のひとつは、乗り手をできるかぎり機能的に左右対称に近づけてやって、その "あわなさ" のクセや傾向を小さくしてやることなんだ。

僕は自転車に長くかかわってきたし、なん千というたくさんのお客さんもみてきた。そのおかげで、腕や脚の長さがいかに違っていようと、腰や膝や"くるぶし"が左と右でいかにちがった風に機能していようと、つねにその影響を最小限にする手だてがあることがわかった。体ができるかぎり左右対称に機能し、左右バランスよくコントロールできるよう乗車姿勢を調整するにはどうすればよいのかも学んだ。ひとつの例外をのぞけばだけどね!

問題

その例外っていうのは、腰が機能面で左右非対称になってしまっている場合。自転車にのっているときには、程度の差はあれ誰もが体の片一方を使いたがるものだ。すると、ペダルを踏みこむときに骨盤の片側 (訳注2) が感覚的にわかるくらい下がったり、前に回転したりする。ほんとうはダウンストローク以外の時もそうなっているんだけど、その程度は感じられないくらいだったり、それに近い状態だったりするんだろうと思う。

理想的な乗車姿勢では骨盤がその土台になる。骨盤の底の部分 ("ischial tuberosities"、坐骨) に体重の大部分がかかっているのが理想、代謝的にそれが一番だから。自転車にのっているときの胴体ってのは、
横からみると骨盤のところで一方だけ固定された梁のようになっている。両脚はその骨盤からぶらさがっているかたちだ。骨盤が傾いていたり左右どちらかにねじれていたりすると、左右の脚がことなる平面上をうごくことになって、骨盤からペダルまでの距離が左右でかわってくる。結果的に背骨が片ほうにまがってしまい、ハンドルバーまでのリーチが左右で異なってしまうことになる。たとえ腕や脚の長さがおんなじでもおきてしまうのがこの問題のこまったところだ。

体が機能的に左右が非対称になってても、僕らはみんな、自転車のうえでは自分が左右対称に機能しているもんだと思ってしまう。頭のなかで描いているイメージは左右対称だけれど、現実にはそうじゃないことが多い。たくさんの人がここからくる影響をいろいろなかたちで感じている。いくつかリストアップしてみよう。

  • "力のつよい脚" と "力のよわい脚" がある。
  • 片ほうの手により大きな体重がかかっていたり、片手だけしびれやすかったりする。
  • 左右どちらかの坐骨により体重がかかっている。
  • 片ほうの肩が痛んだり凝ったりする。おなじ症状が首のわきや背中の上のほうにある。
  • 腰の痛みが片ほうでひどい。
  • ペダリングすると、片ほうの足が内側をむき逆の足は外にむく。
  • ペダリングしているときに、片ほうの膝が逆とくらべてかなりトップ・チューブからはなれる。
  • ビブショーツ (や自転車用のパンツ) やサドルの脇が片ほうだけすり切れる。
  • サドルと肌の擦れが片ほうでだけおきたり、片ほうでだけひどかったりする。
  • 片ほうの膝はまっすぐ上下するのに、もう片ほうの膝は横にぶれる。
  • 上記の組みあわせ。

ここに挙げた症状があれば、骨盤が非対称に機能している影響だと思ってよい。こういうことがおきるのは他の要素も影響しているのがふつうだし、機能的なものではなく実際に骨の長さが違ったりするようなこともあったりする。たとえば右と左で脚の長さがちがうとかいうのがすぐ思いつく例だ。腕や脚の長さが左右で違うばあい、骨盤に機能的な非対称性がみられるのは大なり小なりほぼ確実といっていい。

上のリストにあてはまるかどうかはっきりしなければ、次のようなテストをしてみるとよい。まず自転車をローラー台 (後輪を固定するやつなんていうんだっけ?) みたいな室内トレーニング機器に固定する。この際、自転車が水平になるように注意。念入りにウォームアップする。上半身裸になって、あまり負荷を大きくせず楽にやること。そうしておいて、だれかを椅子のうえに立たせて後ろから自分を見てもらう。ハンドルのドロップやエアロバーを持ってペダリングして、ダウンストロークのときの体の動きに注意してもらうこと。ダウンストロークのとき、体の片ほうが落ちるような動きをしていないか、もしくは体の片側が前にでるような動きをしていないか。それでわかる。

どうして骨盤が左右非対称に機能するなんてことになるのか?

左右の脚の長さの違い、左右の体のかたさの違い、長いあいだ片ほうをつかうような悪い姿勢のクセなんかがこの原因としていちばん多い。脳みその機能も影響することがある。僕はお客さんの相談をうけていてこのことを偶然発見した。左右の柔軟性はおなじで、自転車にのらなければ機能的にも左右のバランスがとれているのに、なぜか自転車のうえでは左右のバランスが目にみえて悪くなってしまう人たちにときどき出会ったからだ。彼らはべつにサドルにきちんと座れてないとか (訳注3)、片ほうの腰によりかかるように座っている (訳注4) とかいうわけじゃなかった。 (これについては逆のこともいえる。体の固さが左右でちがったり体がねじれていたりする人たちはかなりいる。けれど、そういう人でもいったん自転車のってしまうと、自転車にのっていないときよりずっとうまく左右対称に体が機能していたりするんだ。)

僕の説だとこれは次のようなものだ。現代社会は分析的でよく整理された思考のように左脳をつかう思考に価値をおいている。左脳は体の右側をコントロールしていて自転車にのることは左脳的な活動だ。つまり、多くの人にとって脳みその左側からくる信号は右脳のものよりよりつよく、はっきりしたものになる。僕がこう結論したのは、骨盤の機能が左右でアンバランスな自転車乗りのおよそ 95% が、腰の右側が下がったり前に回転したりする右側にたよる人たちだということにきづいたからだ。これは手脚の右利きとはなんの関係もない。自転車のうえで機能的に骨盤が非対称になってしまう人で左利きの人手でも、ペダリングのときに腰の右側が落ちたり前に回転したりする人の割合はおなじように 95% だってことがわかったからだ。

左側にたよりがちな自転車乗りはめずらしくはないけれど、その数は一般的というにはほどとおい。

ほとんどの人にとって、解決策はストレッチをしたり姿勢をよいバランスにもどす体操をすることだ。それより少ないとはいうものの、ふつうの状態では状況がぜんぜん改善しないし、自転車のうえではさらにひどくなってしまう人たちはまだまだ多い。僕のこの文章はそういう人むけだ。おなじく、体をより柔らかくしたり体幹を鍛えたり姿勢をよくしようと懸命に運動をしている人たちにも。そういう努力をしつつ、でも同時に左右対称に乗れるようになる必要のある人、少なくとも現状よりは乗車姿勢を左右対称に近づけておかなきゃならない人たちもこの文章の対象だ。

解決策

お客さんたちの骨盤が左右対称に機能するよう、これまで僕はいろいろな方法をつかってきた。けれど、うまくいき具合はそのときどきだった。サドルの先端の向きをフレームの中心線からはずしてみたり、サドルの片ほうの後ろにパッドを貼りつけてかさあげしてみたり、サドルの下にあるレールを片ほうがさがるようにまげてみたりもした。他にもたくさんあるけど、それらはいろいろな人たちにさまざまな程度でうまくいった。でも、お客さんがトレーニングの強度を急にあげたり量をふやしたりすると、いつもなんらかの程度でうまくいかなくなるのが常だった。問題なのは、彼らの中にはいつも左右どちらかをつい使ってしまうクセが潜んでいて、コンディションがきつくなるとそれが出てきてしまうってとこだ。

このまえデザインの線で考えていて、ヤグラを横に動かせるシートポストをつくってみた。サドルの先端をまっすぐ前をむかせたまま、サドルをフレームの中心線から横にずらすことができるシートポストだ。こいつをつかうと、体の重心が片ほうによってしまうクセがあっても腰をフレームの中心線に近づけてあげられる。で、より左右のバランスよく機能させたりペダリングしたりできるようになる。でも僕はこれはボツにした。3つのバージョンのシートポストを用意しなくちゃならなくて高くつくから。ひとつめのポストはまったく前後にずれてないもの。ふたつめはシマノやカンパニョーロみたいに標準的なオフセットのやつ(こいつらは横からみるとヤグラのさきっちょがシートポストの中心線にかさなる)。3つめは標準より前後のオフセットが大きいやつ。こんな風に準備するのは自転車とお客さんの組みあわせがどんなふうでも対応できるようにするためだ。こうしておけば、お客さんがきたときに僕がこれだと思うサドルをつかって、前後のオフセットと横のオフセットを試せるっていうアイディアだったわけなんだけどね...

FSA (訳注5) にはやられたよ...まったく。FSAのK-ForceシリーズでヤグラがData Headのポストは、15秒くらいの加工で横に12mmぶん動かせるようになるんだ。これなら、サドルの先端をまっすぐ前をむかせたままサドルを左右にオフセットさせられる。K-Forceシリーズのポストはいわゆる2本締めで、セットバックなし・標準セットバック・セットバック多めのタイプがある。ヤグラは横にたおしたアルミの筒を上下ふたつに割ったかたちだ。で、レールを噛んだ筒を上下から金具ではさみ、さらにこの金具を前後両はじにある2本のネジでしめつけて固定している。上半分の筒の表面にはフレームの中心線からずれないよう、"でっぱり"がふたつつけられている。この"でっぱり"をヤスリで削りおとしてやると(とっても簡単、作業は楽勝。)、ヤグラ自体を左右にうごかせるようになるってわけ。

たくさんの"悩める子羊たち"にこの改造をためしてみた。いちばんうまくいったケースでは、サドルをフレームの中心線からずらしたまま、乗り手をまっすぐ左右バランスよくすることができた。うまくいかなかったケースでも、骨盤を左右対称にしてやるという目標にはずっと近づけることができた。完璧ではないものの、こういう風に工夫すること直接間接になんらかのメリットをつくりだすことができたんだ。

このやり方をつかって適切に乗車姿勢をきめてやれば、パフォーマンス上も乗りやすさの点でも、多くの人がかかえるケガ由来の変なクセにも、なんらかのプラスになるだろう。ポジション調整に関しては、僕にとってこれがパズルの最後のピースになった。

じゃ、君たちの幸運を心からいのってるよ。


訳注 1: positioning、各パーツの位置決め。

訳注 2: 原文は affected side なので、ついつい使ってしまう側ではないかもしれない。たとえば"腰のねじれの影響がでやすい側"とか。はっきりしない。

訳注 3: sit square、進行方向にむかって腰が左右対称になるよう座れていること。記憶ちがいでなければ映画『OVERCOMING』で、かのイェンス・フォイクト兄貴なんかも、マッサーに「あいつはスクェアにすわってないから腰が痛くなるんだよ、まったく。」とか言われてたはず。)

訳注 4: hanging one side。

訳注 5: Full Speed Ahead。バーツメーカーね。

20100919

「あほー、需要なんだってば。」 by Paul Krugman from NT

現場に出ていて読めなかった RSS をさかのぼる途中、himaginary さんの記事「中小企業にとって何が問題か?」にいきあたりました。彼の記事にあったポールくんのブログを読むために翻訳。原文は「It's Demand, Stupid」。つか 『himaginary の日記』 読んでね。そのほうが広がりがでるので。

脈絡ないけど、2000年代初頭、僕がインドネシアで "開発協力って何じゃらほい" のまま挫折し、そのあと日本の田舎に引きこもっていた頃、田舎で "いちご掲示板" のみなさんや田中さん、山形さんに励まされ、なんとかここまで生きてきました。そういうのを思いだしました。訳しててだんだん頭に来たのが正直なところ。

では、毎日楽しくくらしましょう。 Goooood Day!!


September 15, 2010, 3:36 pm

あほー、需要なんだってば。

これ前にも言ったよね。キャサリン・ランペルがつくったとてもよい図があって、要点がわかりやすい。 もし君が (ロビイストではなく...) ビジネスを云々したいなら、政府による介入とか、政治がこの先どうなるかなんてことをいつものように探ってもなんのヒントも得られない。ビジネスっていうのは売れなきゃ人を雇わないんだって。以上、ピリオド。終わり。

(キャプション: 中小企業が "もっとも重要な要素だと思っていること↓ (訳注: from What’s Holding Back Small Businesses? by CATHERINE RAMPELL) " ナイスな図!!

で、ビジネスのために政府ができて、一番よくて、彼らにできそうなこと。それはもっと政府がお金を出すこと、そして世の中の需要を増やしてやることだ。 (訳注: アメリカでは...かな) 現実的にはそんなことはおきない感じだけど、僕がここで言ったことが単純な (訳注: 学問上の) 真実なのは動かせないわな。

20100911

「さらに膝とペダル軸との位置関係について。+ ペダリング技術 vs ポジション」

ロードレーサーに乗りはじめたとき、困ってしまうのがポジションの問題。ペダルに固定される足の位置や向き、シートの高さや前後の位置、ハンドルの高さ遠さなどなど。文中に出てくる KOPS は "Knee Over the Pedal Spindle" の略称。どの本でも雑誌にもでてくるアレ。

自転車乗りなら知っている cyclingnews.com には 「Fitness questions and answers」 というコーナーがあります。その August 23, 2004 版から抜粋。原文はここ。金がなくて自転車ばかり乗っていた頃、毎回楽しみにしていました。いくつかは自分のために訳したり。下のやつでは読者とスティーブさんのやりとりが印象的です。ふとひっぱりだして掲載。あと、文中の強調は訳者によるものです。

ではみなさん、楽しい自転車生活を!!

スティーブさんはオーストラリアでお店をもってますよ。Cyclefitcentre.com 参照。


膝とペダル軸の位置関係とポジションの問題について。

KOPS とその有効性についての議論を楽しんでいます。

KOPS セッティングは前すぎのように感じて、最近ポジションをいじりはじめました。少し調整するごとに数日乗ってみて、KOPS の理想値より数センチ後ろのポジションで気持ちよくリラックスして乗れるのを発見しました。どこもしびれませんし腕や肩もまったく疲れません。エアロポジションにも支障ありません。膝にもまったく問題ありませんし、手放しテスト (訳注: スティーブさんがポジション決めの際に参考にするテスト) だってパスできます。つまりどんぴしゃってわけです。膝がペダル軸の後ろに来すぎているんじゃないかという心配をのぞけば... 2 センチ以上も後ろなんです。シマノのペダルで固定クリート (訳注: 赤いやつね) を使ってます。

色々いじってみて一つ気づいたのは、お気に入りのサドルのかなり後ろに腰かけるのが好きだということです。というわけで、やり過ぎを心配してます。サドルの後方によい位置を見つけましたが、以前にも座りやすい位置を見つけようとサドルを引いたことがあったのに思いあたりました。よい結果を求めてやり過ぎてしまったのです。

(膝が) ペダル軸のどれくらい後ろだと後ろ過ぎになるのでしょうか?

もっと実際的には、警告ベルが鳴り止むとすればそれはどれくらい後ろの時になるのでしょう。サドルの前後調整についてアドバイスするのは、調整後にサドルの同じ位置に座っているかどうかをなかなか判断できないのでかなり難しいです。なので、もうひとつ別の質問をしておこうと思います。

サドルやその前後についてどうアドバイスしていますか?

乗り手は自然にもっとも快適なサドル位置に落ちついていくのものなのでしょうか。それとも、たとえ見かけは変でも、僕ら乗り手が動いておちついたところが最適な位置なのでしょうか?

Dean Georgaris

Steve Hogg replies:

ポジション調整で、きみが発見したよい点は僕が常々言ってきたことと同じだけれど、はまりやすい所がいくつかあるんだ。

1. ほとんどの人は、上半身にかかる力をある程度取りのぞいてやると、遠いハンドルに手が届きやすくなる。これは数ミリから数センチだろうね。ふつうは同時にハンドル位置も再調整する必要があって、通常は微妙に高くなりステムも変えねばならないかもしれない。

2. ペダル軸からどれくらい後ろに膝があるべきか。これについて確固たる数字はないんだ。僕は数年前に自分の経験を信じるようになってから、この部分を測るのをやめてしまった。これが個人的な値だということしか言えなかったんだ。この値はペダリングしてない時の関係を測っていることに気をつけて。でも実際には僕らはペダリングするわけだ。昔僕がこれを測っていた頃、その幅は 5 ~ 50 ミリで多かったのは 10 ~ 25 ミリ。でもこれは 5 年ちょっと前で、それ以降、僕の考えややりかたは進化し改善されてるってことも覚えておいてね。

3. きみが後ろすぎだとすると、明らかになることがふたつある。シッティングのペダリングからスプリントでのダンシングへの移行がぎこちなくなり、時間がかかるようになること。もう一つは、ハムストリングスのふくらみが厳しい登坂でかなり痛んだり、制限要因になりやすいということだ。

4. きみが書いていることは問題ないみたいなので、心配しなくていい。ただの数字だよ。ひとつ話をしてあげよう。レースの最中、僕にいつもポジションのアドバイスを求めてくる奴がいた。僕はその度「ひどいね、シートチューブが立ちすぎだよ」と言っていた。彼とは数年会わなかった (僕には家族ができていたし) んだが、ある時、Trek OCLV のシートチューブ角が 72 度の一番でかいサイズのフレームを買ったんだって連絡をもらった。すごい。なんて違いだ。彼を見て、やっぱり僕は正しかったと思った。ポジションがよくなったのは自分でもはっきりわかってたけれど、彼はそれでも僕の意見を聞きたかったってわけ。で、TIME のシートポスト (もう売ってない) でさらにサドルを 30mm 引いてあげたら、彼は力を出しやすくてスムーズだって有頂天。今なら、お金を預けてもらって、カスタムフレームを使うところだけれど。シートチューブ角は 69.5 度が効果的だ (彼は普通の人じゃなかった!) って言ったときの "そんなの乗れない!" っていう反応が笑えた。彼は丘陵地帯に住んでいたんで、ポジションの善し悪しはすぐわかるだろう。これで試しに乗ってみてよって言ってさよならした。4 週間以内に、お金を払うか気に入らないからシートポストを返すか電話で話しあうことにしておいた。後の電話で、前よりどれくらいうまく乗れるようになったか、今のシートチューブ角がぴったりなのでフレームを新しく買う気はないことを話してくれた。そう、これはただの数字だ。

5. この話はみんながみんな、サドルをぎりぎり後ろに引けってことじゃない。この経験が僕に何か教えてくれたとすれば、それは、ポジションについてはその人にあわせた答えしかないってこと。そして、包括的なやり方ってのは本質的に無効なんだってことだった。

6. 梃の力が増したように感じるけれど、速く回せなくなるっていうのは後ろすぎだ。正しくやれば、梃の力が増したように感じるのは、強くなったわけじゃなく、広い範囲でクランクに力をかけられるようになったからだ。だから回転もよりスムースになるはず。

きみが言っていることから判断すると、別に心配するようなことはないと思う。そうじゃないって言う時はまた連絡をください。

[Dean then responded:]

特定の人にぴったりのサドルを見つけるのがどんなに難しいかよくわかりました。例えば、先日の新しいポジションだと、ペダルを "踏んで" (訳注: hammering) いなくとも、サドルの前にずれれば好きな時に使う筋肉を変えられます。けれども、これにはサドルが制限要素になってしまうのです。サドルの曲がりがきつすぎて腰をずらし難くなっているのでしょう。

厳しい坂を登ってみて、以前とは違って両脚の前後を均等に使えていることがわかりました。前は大腿四頭筋をより使っていたのとは対照的です。ほとんどの間、ケイデンスは 95 回転なので、大腿四頭筋には問題ありません。腰を引いたポジションにするとたぶんケイデンスが少し減るでしょうけれど、僕の場合は脚の梃の長さが長くなったからですよね?

そのうち、ポジション調整後の数百キロで感じたことを書きこむつもりです。

Steve Hogg replies:

我々が選ぶ機材で、人によって一番異なるのはサドルなんだ。坐骨のまんなかに体重をかけるべきなんだけれど、市場に出まわってるサドルのほとんどは、サドルの先端を 1 ~ 2 度上向きにしないとこれが実現できない。サドルが気になるくらいたわむなら、買い替えの時期だね。軽量サドルは長く使うと断面がハンモックのようになって、いつまでもゆらゆら腰が安定しなくなってしまう。このサドルだけってわけじゃないんだけれど、有名な Selle Italia のフライトシリーズではこの傾向が顕著。僕の場合、お客さんがフライトを使ってるエリートライダーだったら、新品のうちに上にまっすぐなものを乗せて、サドルのへこみ度合を測っておく。ふつうは 3 ~ 4mm だ。うちの店ではこれが 2mm 以上沈んだら取り換えてる。

ふたつめの話は意味がよくわからない。脚の長さやその部分部分の長さが、大人になってから変わるものかどうかわからないし。サドルの後ろに座れば、クランクが描く円のより広い角度で力を加えられるようになる。これは上下の "死点" の影響を教えてくれるものだってこと。上死点付近ではいくぶん早く、下死点付近でもいくらか早く引けるようになる。こうすることで "力が入る" 部分への移行がスムーズになり、力の大きさの変化も少なくなるっていうわけだ。試しに度を越えて後ろに座ってみよう。すると脚の動きを一番うまくコントロールできる位置から外れてしまうのがわかるはず。さらに、きつい坂では重力との関係が変わって、機能的に意味あるシートチューブ角が小さくなる。ペダルを前で引っかいているように感じるのは、脚が下死点に届きにくくなり、力をかけてコントロールするのが難しくなるからだ。

きみが言ってる膝から上の筋肉を "きっかり均等に" 使っている感じは、ぼくらみんなの努力目標にすべきだね。大腿四頭筋のふくらみにぐっと力が入るのをいつも感じるようなら、サドルが前すぎなのはほとんど確実だよ。

ペダリング技術 vs ポジション

[Following on from the above discussion, Dean then asked:]

最後にやっかいな質問を。技術についてはどうでしょう?

オリンピックの水泳選手をみればひとかきひとかきが適切な技術をともなっているのは明らかです。同じ技術は初心者も教えられます。テニスのストロークやゴルフのスイングなど、ほとんどのスポーツでこれは同じでしょう。違いはあるでしょうが、多くは理想的なスイングのように議論されます。

これと同じことがペダルストロークについてなされることがあまりないのは何故なのでしょうか? ランスがペダリングしているのを見て、真似したくなりませんか? 僕は筋力がそれぞれの人で違うのを知っています。でも他のスポーツでは、たとえ初心者レベルでも、適切な技術を探しつづけています。心拍数についてよく耳にするのに、ペダルストロークについてはほとんど耳にしないのは何故なのでしょう? 適切なペダルストローク (があるとして) を実現できれば、驚くような改善が見られるのではないでしょうか。

ポジションについてのあなたの考えは上記のようなことを目標にしているのでしょうか。技術に応じてポジションを調整すべきですか? かわりに技術を完璧に近づけるべきではないでしょうか?

Dean Georgaris

Steve Hogg replies:

すばらしい質問だ。まず、僕は水泳の技術的なことは知らないも同然なんだが、友だちによると "正しい" 技術とされるものの中にも、個人的なスタイルがあるんだそうだ。なんで、きみの例えが適切かどうかははっきりしないということ。まぁしかし、言わんとすることはわかる。自転車界でペダリング技術について言われていることは、水泳のストローク技術で言われていることよりずっと幅広いみたいだ。

例えばフリースタイルで泳ぐにしても、体つきやその機能のしかたで、ひとつの "ポジション" -- 例えばうつ伏せになったときの水面に並行な度合とか -- には人それぞれ違いがあるよね。自転車に乗るにしても体つきやその機能のしかたは人によって違う。自転車の場合だと、この違いは機材選択のちがい、どこをどうポジション調整するかの違い -- サドルやクリート、ハンドルの位置、そしてこれらの相対的な位置関係 -- に直結するわけだ。このことはペダリングスタイルの違いが水泳のストロークの違いより幅広いことを説明してくれる。自転車の乗りがいじくりまわせる機材は水泳選手より多いってことだ。

じゃあテクニックが違うとどんな影響があるんだろうか? 自転車界でメジャーなスタイルは 3 つ。一番多いのはダウンストロークの上半分で踵を落とし、ダウンストロークの下半分のある時点で踵を持ち上げるタイプ。これを山田太郎くんタイプと呼ぼう。で両極端に、つま先下がりタイプと踵落しタイプ。ほとんどの人がどれかなんだけれど、これらのタイプの中でもテクニックには違いがあるってこと、これはお仕着せじゃないってことを誤解しないでほしい。で、他より効率がよいのはどれかっていうのが疑問点なわけだ。

そんなのない。理由は以下。人を (機材やポジション調整抜きに) ある特定のスタイルでペダリングさせようという試みは、レースと同じくらいの強度になった時に失敗するみたい。例えば、心拍数 90% 以上のつらいときなんかがそれ。こんな状況では一回一回のペダリングを考えることなんてできないんで、その人にあった自然なやり方に戻ってしまうってわけだ。そういうわけで、さっき括弧つきで示したように、その人にあったペダリング技術があると僕は思ってる。ペダリング改善したいならたくさん乗ること、そして乗ってないときにも姿勢を矯正しておくこと。自分に自然な動きをなめらかにできるようにするためだ。

ひとつ注意しておきたいのは、プロポーションが同じ人でもペダリングスタイルが違えば、サドルの前後位置や高さも違ってくるということ。極端に踵を落とすスタイルの人は、相応の力でペダリングすればペダリングのたびに自分を後ろに押していることになる。なわけで、そんなに後ろに座らなくても腰が安定する。静止状態で腰を安定させるっていうのは僕がいつも口をすっぱくしていっていることだよね。さらに、このタイプの人はサドルをより低くする必要がある。踵を落とすペダリングでは、サドル高が同じでも踵を落とさない人よりも脚を伸ばさねばならないというのがその理由。他はおんなし。踵を落とす人はつま先下がりの人より足を第二の梃として使う度合も強い。踵を落とすタイプの人を、僕は "小さなストロークでより大きな梃の力を得るタイプ" って呼んでる。

逆に、つま先下がりの人は、足を第二の梃として使う度合があまり大きくなくて、あきらかにサドル高が高くなる。技術のおかげで脚がより遠くに届くからだ。このタイプの人のサドルは、踵を落とすタイプの人にくらべてかなり後ろにくる。つま先下がりテクっていうのは、ペダル上の主なベクトルが後向きになってるってことだからだ。これは同時に体重が前にかかりやすいということでもある。したがって、静止状態で腰を安定させるためにはサドルより多く後ろにひいてやる必要がある。このタイプは "大きなストロークで小さな梃の力" と言ってもいいだろう。

しかーし、僕らの多くはこのふたつの両極端のあいだ、山田太郎くんタイプだ。男は (例外はたくさんあるけど) 踵を落としがちで、女は (これまた例外は多い) つま先でペダリングする傾向がある。

偉大なチャンピオンたちを見てみようか。メルクスは踵を落とすタイプで、イノーは山田太郎くんタイプ、アンクティルはつま先下がりになっている。彼らひとりひとりが史上最高の自転車乗りだ。なかでもアンクティルはたぶん二番手だけど、タイムトライアル選手としては史上最高だろう。三人が三人ともツールドフランスを 5 度優勝し、他のレースでも強かった。僕の記憶では、アンクティルは 14 年間に Grand Prix de Nations で 10 勝はしたと思う。この TT レースを 10 勝もすれば地球最強の自転車乗りの称号にふさわしいと思うでしょ?

きみが機材とポジションに満足なら、メルクスがある少年に尋ねられたときに答えたように、"たくさん乗れ" というのが、僕からみんなへのアドバイスだ。

自転車に乗ってひとつの動作を何百回、何千回、何万回とくり返せば、僕らの姿勢やポジションは鍛えられ、洗練されていくってことだよね。

20100905

セントルイス連銀の記事から: 「インフレ予想について -Expected Inflation Near and Far」

えーっと、『道草』でポールくんのディスインフレネタに出てきた "TIPS (Tresury Inflation-Protected Tresury Securities) " の参考にするために訳していたもの。原文は『Monetary Trends, Feb 2007. by Federal Reserve Bank of ST. Louis.』 (PDF直リンク)。アメリカのセントルイス連銀の記事ですね。


インフレ予想について -Expected Inflation Near and Far

原油価格や非金融的現象の変動は、インフレーションの短期的な見とおしによるものとみなされることが多い。経済学者の多くがこの考えを受けいれているものの、長い期間ではインフレーションは金融政策で決まる。したがって、長い目でみた時のインフレ予想というものは、おもに金融政策当局が目標とするインフレを国民がどう考えるかを反映するものだということだ。言いかえると、金融政策当局があるインフレ目標にコミットしているとみなされれば、原油価格やその他の非金融的現象は国民の見方にはあまり影響がないのである。

予想インフレ率を測定する際、研究者やアナリストはふつう調査や市況をみる。例えば、通常の財務省証券やインフレの影響を受けないよう調整された財務省証券 (TIPS) の同じ満期のものを選んで、そのイールドを比べるのだ。TIPS より通常の財務省証券のイールドが上昇していれば、市場の人々がその証券の満期までにインフレ率が上がると思っていることがわかる。[原注1]



図は 5 年満期の TIPS のスプレッドの月毎の値を 2004 年 1月から 2006 年 11月にわたってプロットしたものだ。2004 年と 2005 年のスプレッドの変動は大きく、不安定な原油価格とカトリーナとリタというふたつのハリケーン後の経済的見とおしの不確実さがあらわれている。それ以降のスプレッドの変化もエネルギー価格の変動と連動している。例えば、2006 年後半にスプレッドの値が急落しているのは、74 ドル/バレルだった 7月の原油価格が 10 月には 60 ドル/バレル以下まで大幅に値を下げたのと同期しているのである。

5 年満期の TIPS のスプレッドの値のような短期の予想インフレ率のものさしはエネルギー価格と緊密に連動しているが、より長期の予想インフレ率のものさしはエネルギー価格の変動の影響はあまり受けない。例をあげると、5-year forward TIPS のスプレッド (5年先以降の5年間の予想インフレ率を反映する) をみると、その値は原油価格より今から 5 年先までをカバーする TIPS のスプレッドに連動している。[原注: 2] 図には 5-year forward TIPS のスプレッドも示してあるが、その値は 2004 年以降 2.25 と 2.75 の間で、原油価格が下がった 2006 年後半でもそこそこ値を下げただけだ。フィラデルフィア連銀が発表する 「Survey of Professional Forcasters」 のように長期間の調査では、予想インフレ率はさらにずっと安定した値をしめしてきた。「Survey of Professional Forcasters」 による 10 年平均の CPI インフレ率の見とおしの中央値は 1999年以降、2.5% から上下 0.10% の幅におさまっているのだ。[原注: 3]

長期にわたる予想インフレ率のほうがより安定しているのは、市場の人々が原油価格の変動の影響は一過的なものだと考えているのをしめしている。国民が連邦準備銀行はインフレ率の低維持にコミットしているとということをしっかり信じつづけていたのがはっきりわかる。万が一、長期間の予想インフレ率が急上昇するようなことがあっても、それは原油価格を反映したものではなく、連邦準備銀行がインフレをチェックして抑制するというコミットメントの信頼性が問題になっているのである。

- David C. Wheelock

[1] An increase could also refrect an increase in inflation-risk premiums. For a discussion od the use of the TIPS yield spread as a measure of expected inflation, see Kevin L. Kliesen and Frank A. Schmid, "Monetary Policy Actions, Macroeconomic Data Releases, and Inflation Expectations," Federal Releases Bank of St. Louis Review, May/June 2004, 86(3), pp. 9-21.

[2] The 5-year forward TIPS spread is obtained by dividing the total inflation expected over the entire 10 years [(1 + 10 -Yr TIPS Spread)5] and then taking this ratio's 5th root (equivalent to raising it to the 0.2 power) to get the average annual rate.

[3] See www.philadelphiafed.org/econ/spf/index.html

まいど前置きが長くなりがちな tmpsoulcage です、こんにちは。イングランド銀行 (BoE) の金融政策委員会 (MPC) のポーゼンさんが 『The Economist』 に寄稿したものを翻訳しました。原文を紹介してくれた hicksian さんに感謝を。

MPC の人たちはけっこう頻繁に講演します。先日の Jackson Hole でも副総裁、チャールズ・ビーンさんが 「Monetary Policy after the Fall」 という題で講演していました。まぁ、65 頁もあるんですが、"まとめ" になっている部分もあるので興味のある方はどうぞ。

個人的なことだけれど、僕のささやかな労力と能力を『道草』をつくってくれた彼に捧げたい。


2010年6月1日の質問:
「世界経済にとってより脅威なのは、インフレとデフレのどちらですか? また、政治家や官僚は構造改革と総需要対策、どちらに力を注ぐべきでしょうか?」
への回答。

アダム・ポーゼン (寄稿者、2010年6月2日 16:54)

大部分のマクロ経済学者はデフレが悪だとかたく信じています。われわれマクロ経済学者は、どうしてそう考えるべきか、理由のリストを作ることもできますよ。1930 年代のデフレーションの不気味な影はとても根づよく残っていますね。それは次の両方のことからきています。ひとつは、1930 年代のデフレが実際の暮らしむきをひどく悪化させたということ。もうひとつは、1930 年代以降、じわじわと悪化するようなデフレというものを私たちがほとんど経験していないということです。このようなデフレの一番最近の事例は日本のデフレなんですが、状況は困惑してしまうようなものになっています。

日本でおきているデフレーションは、上のように私たちが怖がるほど破壊的ではないのかもしれません。とはいえ、かなり長続きしていますし、同時にずいぶん理解の難しい現象なのです。粘着性なのが日本のデフレでして、それは "10年間もいすわって、もっとひどくなるかと思えばそうでもなく、マイナス 1% で安定して" しまいました。それだけでなく、そのペースが速くなったり遅くなったりしましたし、目に見えるどころではない悪影響さえあったんです。標準的なマクロ経済モデルのどれを使っても、こんなデフレは簡単にはつくれないでしょう。それくらい理解するのが難しいということです。

日本では、インフレーションの指標がどれも 1995 年あたりでマイナスになりました。その後も 1999 年にほんの短期間もちなおしはしたものの、少なくとも 2004 年まではマイナスのまんまです。2001 年から 2006 年には、日本銀行がお手製の "量的緩和政策" を実施していました。しかし名目値的にはほぼ効果がなかったように見えます。そうです、2000 年代初期の GDP ギャップがまだ吸収しきれていなかったんですね。ですけれど、その当のギャップがどれくらいなのか、それをまっとうに評価するのが難しい。私自身、日本の潜在成長率を見積もってやってみました。でも、経済回復期にもデフレが続くような状況で、GDP ギャップがどれくらいあるのかを評価するのは難しかったです。仮にそのギャップが物価の下落圧力を受けとめてしまうくらい大きかったなら、どうして 1990 年代にデフレはひどくなっていかなかったんでしょう? 実際には年率でほぼマイナス 1% のままだったので、うまく説明がつかないのです。

デフレのコストについてももっと研究が必要です。私たちが日本のデフレを不気味に思ったのにはちゃんとした理由があると思います。でも、日本ではそのコストが私たちの予想より小さい感じがしますよね。デフレが経済成長の足をひっぱるのは間違いないし、いくら金利が低いといっても、政府が返さねばならない借金の利子分だってだんだん問題になります。日本の株安がつづいたのがデフレのせいなのは確かだし、そのせいで貯蓄に頼る人たちも消費しなくなりました。それでも日本は 2002 年から 2008 年にしっかりした回復をみせ、デフレの勢いはそれを妨げるほどひどくなかったんです。

供給されたマネーが莫大だった [訳注1] のに、それにインパクトがなかったようなのも難問です。現代の経済研究者のおおまかな見解だと、量的緩和政策は国民に対する中央銀行のコミットメントをつうじてインフレや金融政策への予想にはたらきかけるもので、資産やその他の物価をじかに変えるということはまずありません。つまり、日本銀行のデフレ対策で大事だったのは、「インフレ率がプラスで推移するという確かな見とおしが得られるまで、日銀は低金利をつづける」という 2002 年の発表なんですね。けれども、こうした現象を間接的にではなく、はっきり説得力あるものとしてとらえるのは案外むずかしい [訳注2]。そうしたことを私たちはみな心にとめておかねばなりません。近ごろほかの国々の中央銀行によって実施されている非伝統的な (金融) 政策についても同じことが言えるのですから。

2000 年代、日本の実質経済にはよかった頃もありました。そこには、他の主要市場ではなく、2003 年の 金融制度改革のおかげも幾らかはあったでしょう。その影響は広義のマネー [訳注3] の増加にあらわれてしかるべきだったのですけれど、そうなっていないのが現状です。

そういうわけで、デフレがはじまったときに金融政策で何ができるか、私たちはもっと謙虚に考えねばなりません。とくに、金利がゼロあたりまで低くなり、従来とは違った政策 [訳注4] をとる時にはそうでしょう。日本は金融政策をつかって手っとりばやくデフレから逃れることができませんでした。かの国の物価 (今のイギリスでも実はそうなんですが) の動きは、実施された債券買いとりの規模からすると、マネタリストを信奉する人たちの多くが予想したであろう動きとはかなり違っていました。日本をみていると、金融引き締めの不安を払拭するために量的緩和をつかうのはまったく正しいことだったのがわかります。でも、量的緩和政策の結果どうなるかは予測できるものではありません。短期間でデフレを克服できるような大きい成果がえられるかどうかさえわからないんです。

訳注1: 原文は "huge monetary creation"。

訳注2: 原文は "it is rather difficult to discern this effect in any convincing rather than suggestive manner." となっています。

訳注3: "broad money"。 取引や決済に使われる通貨と貨幣だけでなく、財産としてのものも含まれる。

訳注4: 原文は "unconventional measures"。

20100417

FT誌: 日本の議員たちがインフレーションターゲットを求めている。

かえるくんごめん...浮気してしまいました。

しかし、日銀が何をしているかを追っていて、「高校生レベル」でわかりやすく解説してくれる人たちがほしいです。もしこの罠が長期で離れないなら、そして10年先を見すえるなら、必要だと思います。彼らのためにも。

コメントと助言をいただいた night_in_tunisia さんに感謝。

原文は FT誌の 「Japanese MP group to seek inflation target」。


13 Apr 2010 12:00am

日本の議員たちがインフレーションターゲットを求めている。[1]

By Mure Dickie in Tokyo

与党、民主党に属する 130 人ほどの国会議員が、日本銀行に対してイギリス式の明確なインフレーション・ターゲットを課す要求案の準備をすすめている。

これは、最近になって民主党議員が結成した "デフレ脱却議員連盟"[2] によるものだ。日本経済は物価の下落に苦しんでいるが、それに対する中央銀行の腰は重い。この動きによって、与党にひろまっている不満が浮き彫りになったといえよう。

日本のメディアが伝えるところによると、彼らは火曜日の会見[3] で、インフレーション・ターゲットの実施を正式なものとして政策案に取りいれるよう訴えたとのことである。7月に予定されている参議院選挙は民主党にとって非常に重要なものとなりそうなので、デフレ脱却議員連盟は、そのマニフェストにインフレーション・ターゲットを盛りこみたいのだ。

この民主党議員グループの動きによって、日本銀行が新しい緩和政策の実施を強いられると市場は考えるようにはなるだろう。日銀は自らのデフレーションに対する姿勢を、それに疑いを抱いている人たちに納得してもらわなければならないからだ。とはいうものの、中央銀行には公式には独立性というものがある。民主党幹部が、日銀にインフレーション・ターゲットを採用させることにどれくらい意欲的になれるかはまだまだ未知数だ。

民主党の菅直人財務大臣兼副総理は、物価下落問題によりしっかり取りくむよう、日本銀行に公の場で促したことがある。 しかし、彼も中央銀行に対して明確なインフレーション・ターゲットを採用させるという考えを支持するまでには至っていない。実際はといえば、近ごろの彼の日銀に対する態度は軟化している。[4]

日銀の物価安定に対するアプローチは以前に比べれば柔軟になったものの、菅大臣の相手、白川方明日銀総裁は現状を堅持しようと頑なでありつづけている。彼は "現在の金融危機 によって、物価変動にあまりに注目しすぎ、他の経済的要素を無視してしまうことのマイナス面となりかねない部分が示されている。" と言っている。[5]

しかし、目標についての議論の広まりは中央銀行への圧力となるだろうし、日本銀行は少なくとも限定的な政策緩和のようなものを実施しなければならないだろう。それが政府の圧力をかわすためにこれまで用いられてきたようなものだとしてもだ。

このような動きのひとつとして、日銀は先月、銀行が使える3ヶ月の低金利な資金供給を倍額にした。[6] -これは日銀が比較的リスクが少ないと考える政策アプローチだ。しかしながら、アナリストによると、経済はデフレーションにはまってしまっており、ほとんどその効果はないとのことである。

ところが、日銀への政治的な圧力も火曜日に発表されたデータのせいで弱まりかねない。[7] このデータでは原油と原材料の値上がりによって、3月の卸売物価 (年率換算) の下落幅は、2009年1月以降、これまでになく小さくなっているからである。[8]

訳注 1: MP は Member of Parliament の略かと。

訳注 2: 正式名称は「デフレから脱却し景気回復を目指す議員連盟」。原文では "anti-deflation league". 以下、おもに、『金子洋一さんのブログ』から。彼の Twitter アカウントはこちら

訳注 3: 以下に4月13日会合の報道を。

訳注 4: 例えばここにある発言。「平成21年11月20日、菅内閣府特命担当大臣記者会見要旨」 (『菅大臣記者会見要旨』から。これが菅さんの"デフレ発言"についての記事のソースでよいのかなと。)

「私たち自身、デフレ状況という認識を私も申し上げているところで、政府としては、内閣としては、やはりこういう状況の中で金融の果たすべき役割も多いわけですから、今日も日銀の政策会議が行われるわけで、津村政務官が出席をすることになっておりますので、そういう政府としての認識は、機会があればというか、多分機会がありますので、きちっと伝えたいと。」

しか~し。菅さんの 4月バージョン ↓

「白川総裁とは政権スタートから私も当初は経済財政担当という立場で、現在はそれに加えて財務大臣という両面で色々意見交換を続けております。そういう意味で私自身は白川総裁、非常によくやっていただいていると。もちろんそれぞれの独立性とかそういうものをお互いが分かった上で、しかし同時に政府と日銀がある意味では一体となって、特にデフレに対する対応をしてきているわけで、そういう点では私は政府と日銀のこの間の対応は非常に共通の目標を持ってそれぞれの立場で努力するということで、かなりいい形で進んでいる、このように思っております。」 (「平成22年4月6日 菅内閣府特命担当大臣記者会見要旨」)

ちなみに11月20日の菅発言に対する白川発言はこのあたりにまとまってます →JBpress 「白川日銀総裁の正論と菅副総理の危機感 -デフレ問題めぐる2人の発言」

訳注 5: ソースとなる白川発言ですが、いかんせん対応する "日銀文学的表現" が不明なので、検索もできないというあり様でして...すまんそん。

訳注 6: 手前みそだけど、これ→ 「気あいを入れずに化粧をかさねる日銀」。追加緩和と称される "新型オペ" のより詳しい内容については、「日銀が新型オペ拡充」 を参照。ドラめもんさんの辛辣な文体好きなら「「ドラめもんアーカイブ 2010年03月」を "新型オペ" で Google 検索したキャッシュ(色がつくので便利)」。

訳注 7: これのことかな→日銀「企業物価指数」 (2010年4月13日発表、2010年3月分)

訳注 8: この最後の部分、night_in_tunisia さんは以下のようにコメントしています。

"night_in_tunisi: 最後の最後でイギリスのターゲットはコアCPIじゃないっていう弊害が出てるなぁ。。。FT.com / Asia-Pacific - Japanese MP group to seek inflation target http://is.gd/btmEk"

イギリスが使っている消費者物価指数 (CPI) の入口は、「Difference Between RPI, RPIX and CPI」。イギリスの消費者物価指数についてのしおりは 「Consumer Price Indices A brief guide」 (PDF直、1.3M、26頁)。←読まなきゃと思いつつまだ読んでない。イギリスの CPI 関連は Office for National Statictics のサイトにある 「Consumer Price Indices」からどぞ。

インフレ目標2%を断行せよ