20100214

抜粋: ピーター・テミン「大不況は再び起きうるだろうか?」

天から降ってきたのではなく、地から沸いてきたテミンさんの 1993 年論文の一部を訳しました。「Journal of Economic Perspectives Volume 7, Number 2 Spring 1993 pp.87-102. Peter Temin "Transmission of the Great Depression"」 の pp.99-100 の翻訳です。まいどお世話になりますです(業務連絡w)。

1993 年とちょっと古い話で、ここで述べられている"危機"は 1992年の欧州通貨危機です。ヨーロッパはマーストリヒト条約でごたごたしていましたし、まだユーロにもなっていません。話題になっている通貨制度は「欧州通貨制度(European Monetary System)」で、当時は原則的に為替レートの変動幅が年 ±2.25% 以内とされていたそうです。1992 年 9月 17日、イギリスは欧州通貨制度を脱退。ポンド危機あたりを参照してみてください。

テミンさんの邦訳が読みにくく、でもやだやだ言っててもしかたがない...で、いただきものの翻訳に逃避してみました(笑)


「大不況」は再び起きうるだろうか?

「大不況」は、為替レートの固定以上に、金本位制度という政策枠組みへのこだわりによって世界中に拡大した。われわれが再び時代遅れのイデオロギーに執着し、世界経済をぶちこわしてしまうことはあり得るだろうか?

1992 年 9月におきたヨーロッパ通貨危機は、この文脈では好ましいニュースであったといえる。通貨危機というマクロ経済的ショックに直面したヨーロッパ各国の政府は、教条主義的 (訳注: ドグマティズム、コチコチに頭の硬い) にではなく柔軟に対応したのである。最優先すべきは通貨危機のショックを回避することであったと言えよう。万一これが達成できなかった場合、次善の策は 欧州通貨制度 (European Monetary System) が命じている変動幅の小さい為替レートを一時停止することであった。

1992 年の通貨危機は、東西ドイツが統一されたことと、そのドイツ国内でコール首相 (訳注: 旧西ドイツ首相) が増税に足踏みした (もしくは彼にはそもそも増税できなかった) こと、のふたつがあわさっておきた。歴史家は東ドイツ再建にかかるコストが選挙前 (訳注: 1990年の選挙、東ドイツでもおこなわれた) にわかっていたかどうか論じあうだろうが、統一前にはわからなくとも、きっと選挙後すぐそのコストは明らかになったはずだ。マクロ経済的にみて、統一ドイツにとっての最善の選択は、一時的に増税し、それを旧東ドイツへの投資に使うことであった。

コール首相は借金によって旧東ドイツへの投資を融資することにし、これとは別の道を選んだ。マクロ経済的にみると、かなりの財政拡大政策を非常にタイトな金融政策が押さえ込んでいるというのが統一ドイツであった。このように設定された政策によって、ドイツはヨーロッパ経済と欧州通貨制度に大きな衝撃を与えることになったのである。

しかしながら、ヨーロッパを襲ったこのショックは真新しいものではない。 1980 年代のアメリカもレーガン政権下でまったく同じ政策をとっていた(Blanchard, 1987)。財政拡大政策 - 東ドイツ再建にくらべれば、アメリカのそれはまっとうな目的には欠けるが - とタイトな金融政策との組みあわせは、多額の資本流入をまねくような政策であり、結果としてドル高をもたらすものでもある。数年後、ドイツは同じ政策をとったわけだが、それはアメリカのものと同じ効果があるはずだった。

ドルは他の通貨に固定されてはいないし、マルクにしてもそれは同じだ。しかし、欧州通貨制度がヨーロッパの他の通貨に対するマルクの上昇を許さなかった。その結果、まわりの国々に大きな圧力がかかって、ヨーロッパ各国は政策金利を上げて自国の通貨を守らねばならなくなり、 (見当違いな) ブンデスバンクへの激しい非難が巻きおこったのである。

この緊張によって、1992 年 9 月にフランスでおこなわれたマーストリヒト条約批准を決める国民投票があやうくなったのである (訳注: 結果はほぼ半々の僅差だった)。1930 年代初頭と同じで、欧州通貨制度による為替レート固定へのこだわりがマクロ経済的ショックをヨーロッパ全域に広めてしまう恐れがあったのだ。ところが、フィンランド・イタリア・イギリス政府は、戦間期の為政者たちとは違って、自国経済が深刻な影響を受ける前に欧州通貨制度を破棄したのである。

この通貨危機がヨーロッパの通貨体制にどう影響するかを判断するのはまだ早い。しかし、抽象的な理想への奴隷的な盲従や固執ではなく、柔軟さと創意にあふれた対応が予想できる。新しい均衡状態が訪れるまで、投機行為がおきたり不安定になったりするかもしれない。しかしそれでも、「大不況」が示唆するのは、新体制構築にともなう痛みは従来の体制にしがみつこうとしてこうむる痛みに比べれば小さいだろうということだ。かつて金本位制に遅くまでしがみついた国の多く(訳注: "the gold bloc"、フランス・ポーランド・ベルギーなどかな?) は、(少なくともしばらくは) 欧州通貨制度を維持しようとしている。これらの国々が 1930 年代中頃のような経済収縮を再現してしまう運命にあるかどうかは、時間が経ってみないとわからない。

「大不況」がまわりの国々へと伝わっていく様子は、現在のわれわれに次のような教訓を残してくれている。マクロ経済的ショックを避けるのが一番の方法だというのがそれだ。しかし、そのショックに遭遇してしまったなら、次善の策は為替レートを固定している縛りを一旦解くか棄てるかすることである。「大不況」の初期、各国は為替レートの固定によって結びついていたのだから。そのマクロ経済的なショックが 欧州通貨制度のような枠組みを放棄せねばならないくらい強くて大きなものだったら? 政府と中央銀行はどれくらい早く反応すべきか? これらについては、歴史をつかさどる女神クレイオーも沈黙を守ったままだ。「あまり待ちすぎないように」としか彼女は言っていない。ラルフ・ホートレイ(訳注: 1879-1975、イギリスの経済学者でケインズの友人) は、1931年のポンド切り下げ後、イングランド銀行がインフレと闘うために金利を上げた時、「それは間違っとる。それは"ノアの洪水のさなかに火事だ火事だと叫ぶようなもの"だ」と言っているのだが(Hawtrey 1938, p.145)。

■ コメントをくれたベン・バーナンキとエルハナン・ヘルプマンに感謝したい。誤りがあれば、もちろんすべて私の責任である。

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