20100919

「あほー、需要なんだってば。」 by Paul Krugman from NT

現場に出ていて読めなかった RSS をさかのぼる途中、himaginary さんの記事「中小企業にとって何が問題か?」にいきあたりました。彼の記事にあったポールくんのブログを読むために翻訳。原文は「It's Demand, Stupid」。つか 『himaginary の日記』 読んでね。そのほうが広がりがでるので。

脈絡ないけど、2000年代初頭、僕がインドネシアで "開発協力って何じゃらほい" のまま挫折し、そのあと日本の田舎に引きこもっていた頃、田舎で "いちご掲示板" のみなさんや田中さん、山形さんに励まされ、なんとかここまで生きてきました。そういうのを思いだしました。訳しててだんだん頭に来たのが正直なところ。

では、毎日楽しくくらしましょう。 Goooood Day!!


September 15, 2010, 3:36 pm

あほー、需要なんだってば。

これ前にも言ったよね。キャサリン・ランペルがつくったとてもよい図があって、要点がわかりやすい。 もし君が (ロビイストではなく...) ビジネスを云々したいなら、政府による介入とか、政治がこの先どうなるかなんてことをいつものように探ってもなんのヒントも得られない。ビジネスっていうのは売れなきゃ人を雇わないんだって。以上、ピリオド。終わり。

(キャプション: 中小企業が "もっとも重要な要素だと思っていること↓ (訳注: from What’s Holding Back Small Businesses? by CATHERINE RAMPELL) " ナイスな図!!

で、ビジネスのために政府ができて、一番よくて、彼らにできそうなこと。それはもっと政府がお金を出すこと、そして世の中の需要を増やしてやることだ。 (訳注: アメリカでは...かな) 現実的にはそんなことはおきない感じだけど、僕がここで言ったことが単純な (訳注: 学問上の) 真実なのは動かせないわな。

20100911

「さらに膝とペダル軸との位置関係について。+ ペダリング技術 vs ポジション」

ロードレーサーに乗りはじめたとき、困ってしまうのがポジションの問題。ペダルに固定される足の位置や向き、シートの高さや前後の位置、ハンドルの高さ遠さなどなど。文中に出てくる KOPS は "Knee Over the Pedal Spindle" の略称。どの本でも雑誌にもでてくるアレ。

自転車乗りなら知っている cyclingnews.com には 「Fitness questions and answers」 というコーナーがあります。その August 23, 2004 版から抜粋。原文はここ。金がなくて自転車ばかり乗っていた頃、毎回楽しみにしていました。いくつかは自分のために訳したり。下のやつでは読者とスティーブさんのやりとりが印象的です。ふとひっぱりだして掲載。あと、文中の強調は訳者によるものです。

ではみなさん、楽しい自転車生活を!!

スティーブさんはオーストラリアでお店をもってますよ。Cyclefitcentre.com 参照。


膝とペダル軸の位置関係とポジションの問題について。

KOPS とその有効性についての議論を楽しんでいます。

KOPS セッティングは前すぎのように感じて、最近ポジションをいじりはじめました。少し調整するごとに数日乗ってみて、KOPS の理想値より数センチ後ろのポジションで気持ちよくリラックスして乗れるのを発見しました。どこもしびれませんし腕や肩もまったく疲れません。エアロポジションにも支障ありません。膝にもまったく問題ありませんし、手放しテスト (訳注: スティーブさんがポジション決めの際に参考にするテスト) だってパスできます。つまりどんぴしゃってわけです。膝がペダル軸の後ろに来すぎているんじゃないかという心配をのぞけば... 2 センチ以上も後ろなんです。シマノのペダルで固定クリート (訳注: 赤いやつね) を使ってます。

色々いじってみて一つ気づいたのは、お気に入りのサドルのかなり後ろに腰かけるのが好きだということです。というわけで、やり過ぎを心配してます。サドルの後方によい位置を見つけましたが、以前にも座りやすい位置を見つけようとサドルを引いたことがあったのに思いあたりました。よい結果を求めてやり過ぎてしまったのです。

(膝が) ペダル軸のどれくらい後ろだと後ろ過ぎになるのでしょうか?

もっと実際的には、警告ベルが鳴り止むとすればそれはどれくらい後ろの時になるのでしょう。サドルの前後調整についてアドバイスするのは、調整後にサドルの同じ位置に座っているかどうかをなかなか判断できないのでかなり難しいです。なので、もうひとつ別の質問をしておこうと思います。

サドルやその前後についてどうアドバイスしていますか?

乗り手は自然にもっとも快適なサドル位置に落ちついていくのものなのでしょうか。それとも、たとえ見かけは変でも、僕ら乗り手が動いておちついたところが最適な位置なのでしょうか?

Dean Georgaris

Steve Hogg replies:

ポジション調整で、きみが発見したよい点は僕が常々言ってきたことと同じだけれど、はまりやすい所がいくつかあるんだ。

1. ほとんどの人は、上半身にかかる力をある程度取りのぞいてやると、遠いハンドルに手が届きやすくなる。これは数ミリから数センチだろうね。ふつうは同時にハンドル位置も再調整する必要があって、通常は微妙に高くなりステムも変えねばならないかもしれない。

2. ペダル軸からどれくらい後ろに膝があるべきか。これについて確固たる数字はないんだ。僕は数年前に自分の経験を信じるようになってから、この部分を測るのをやめてしまった。これが個人的な値だということしか言えなかったんだ。この値はペダリングしてない時の関係を測っていることに気をつけて。でも実際には僕らはペダリングするわけだ。昔僕がこれを測っていた頃、その幅は 5 ~ 50 ミリで多かったのは 10 ~ 25 ミリ。でもこれは 5 年ちょっと前で、それ以降、僕の考えややりかたは進化し改善されてるってことも覚えておいてね。

3. きみが後ろすぎだとすると、明らかになることがふたつある。シッティングのペダリングからスプリントでのダンシングへの移行がぎこちなくなり、時間がかかるようになること。もう一つは、ハムストリングスのふくらみが厳しい登坂でかなり痛んだり、制限要因になりやすいということだ。

4. きみが書いていることは問題ないみたいなので、心配しなくていい。ただの数字だよ。ひとつ話をしてあげよう。レースの最中、僕にいつもポジションのアドバイスを求めてくる奴がいた。僕はその度「ひどいね、シートチューブが立ちすぎだよ」と言っていた。彼とは数年会わなかった (僕には家族ができていたし) んだが、ある時、Trek OCLV のシートチューブ角が 72 度の一番でかいサイズのフレームを買ったんだって連絡をもらった。すごい。なんて違いだ。彼を見て、やっぱり僕は正しかったと思った。ポジションがよくなったのは自分でもはっきりわかってたけれど、彼はそれでも僕の意見を聞きたかったってわけ。で、TIME のシートポスト (もう売ってない) でさらにサドルを 30mm 引いてあげたら、彼は力を出しやすくてスムーズだって有頂天。今なら、お金を預けてもらって、カスタムフレームを使うところだけれど。シートチューブ角は 69.5 度が効果的だ (彼は普通の人じゃなかった!) って言ったときの "そんなの乗れない!" っていう反応が笑えた。彼は丘陵地帯に住んでいたんで、ポジションの善し悪しはすぐわかるだろう。これで試しに乗ってみてよって言ってさよならした。4 週間以内に、お金を払うか気に入らないからシートポストを返すか電話で話しあうことにしておいた。後の電話で、前よりどれくらいうまく乗れるようになったか、今のシートチューブ角がぴったりなのでフレームを新しく買う気はないことを話してくれた。そう、これはただの数字だ。

5. この話はみんながみんな、サドルをぎりぎり後ろに引けってことじゃない。この経験が僕に何か教えてくれたとすれば、それは、ポジションについてはその人にあわせた答えしかないってこと。そして、包括的なやり方ってのは本質的に無効なんだってことだった。

6. 梃の力が増したように感じるけれど、速く回せなくなるっていうのは後ろすぎだ。正しくやれば、梃の力が増したように感じるのは、強くなったわけじゃなく、広い範囲でクランクに力をかけられるようになったからだ。だから回転もよりスムースになるはず。

きみが言っていることから判断すると、別に心配するようなことはないと思う。そうじゃないって言う時はまた連絡をください。

[Dean then responded:]

特定の人にぴったりのサドルを見つけるのがどんなに難しいかよくわかりました。例えば、先日の新しいポジションだと、ペダルを "踏んで" (訳注: hammering) いなくとも、サドルの前にずれれば好きな時に使う筋肉を変えられます。けれども、これにはサドルが制限要素になってしまうのです。サドルの曲がりがきつすぎて腰をずらし難くなっているのでしょう。

厳しい坂を登ってみて、以前とは違って両脚の前後を均等に使えていることがわかりました。前は大腿四頭筋をより使っていたのとは対照的です。ほとんどの間、ケイデンスは 95 回転なので、大腿四頭筋には問題ありません。腰を引いたポジションにするとたぶんケイデンスが少し減るでしょうけれど、僕の場合は脚の梃の長さが長くなったからですよね?

そのうち、ポジション調整後の数百キロで感じたことを書きこむつもりです。

Steve Hogg replies:

我々が選ぶ機材で、人によって一番異なるのはサドルなんだ。坐骨のまんなかに体重をかけるべきなんだけれど、市場に出まわってるサドルのほとんどは、サドルの先端を 1 ~ 2 度上向きにしないとこれが実現できない。サドルが気になるくらいたわむなら、買い替えの時期だね。軽量サドルは長く使うと断面がハンモックのようになって、いつまでもゆらゆら腰が安定しなくなってしまう。このサドルだけってわけじゃないんだけれど、有名な Selle Italia のフライトシリーズではこの傾向が顕著。僕の場合、お客さんがフライトを使ってるエリートライダーだったら、新品のうちに上にまっすぐなものを乗せて、サドルのへこみ度合を測っておく。ふつうは 3 ~ 4mm だ。うちの店ではこれが 2mm 以上沈んだら取り換えてる。

ふたつめの話は意味がよくわからない。脚の長さやその部分部分の長さが、大人になってから変わるものかどうかわからないし。サドルの後ろに座れば、クランクが描く円のより広い角度で力を加えられるようになる。これは上下の "死点" の影響を教えてくれるものだってこと。上死点付近ではいくぶん早く、下死点付近でもいくらか早く引けるようになる。こうすることで "力が入る" 部分への移行がスムーズになり、力の大きさの変化も少なくなるっていうわけだ。試しに度を越えて後ろに座ってみよう。すると脚の動きを一番うまくコントロールできる位置から外れてしまうのがわかるはず。さらに、きつい坂では重力との関係が変わって、機能的に意味あるシートチューブ角が小さくなる。ペダルを前で引っかいているように感じるのは、脚が下死点に届きにくくなり、力をかけてコントロールするのが難しくなるからだ。

きみが言ってる膝から上の筋肉を "きっかり均等に" 使っている感じは、ぼくらみんなの努力目標にすべきだね。大腿四頭筋のふくらみにぐっと力が入るのをいつも感じるようなら、サドルが前すぎなのはほとんど確実だよ。

ペダリング技術 vs ポジション

[Following on from the above discussion, Dean then asked:]

最後にやっかいな質問を。技術についてはどうでしょう?

オリンピックの水泳選手をみればひとかきひとかきが適切な技術をともなっているのは明らかです。同じ技術は初心者も教えられます。テニスのストロークやゴルフのスイングなど、ほとんどのスポーツでこれは同じでしょう。違いはあるでしょうが、多くは理想的なスイングのように議論されます。

これと同じことがペダルストロークについてなされることがあまりないのは何故なのでしょうか? ランスがペダリングしているのを見て、真似したくなりませんか? 僕は筋力がそれぞれの人で違うのを知っています。でも他のスポーツでは、たとえ初心者レベルでも、適切な技術を探しつづけています。心拍数についてよく耳にするのに、ペダルストロークについてはほとんど耳にしないのは何故なのでしょう? 適切なペダルストローク (があるとして) を実現できれば、驚くような改善が見られるのではないでしょうか。

ポジションについてのあなたの考えは上記のようなことを目標にしているのでしょうか。技術に応じてポジションを調整すべきですか? かわりに技術を完璧に近づけるべきではないでしょうか?

Dean Georgaris

Steve Hogg replies:

すばらしい質問だ。まず、僕は水泳の技術的なことは知らないも同然なんだが、友だちによると "正しい" 技術とされるものの中にも、個人的なスタイルがあるんだそうだ。なんで、きみの例えが適切かどうかははっきりしないということ。まぁしかし、言わんとすることはわかる。自転車界でペダリング技術について言われていることは、水泳のストローク技術で言われていることよりずっと幅広いみたいだ。

例えばフリースタイルで泳ぐにしても、体つきやその機能のしかたで、ひとつの "ポジション" -- 例えばうつ伏せになったときの水面に並行な度合とか -- には人それぞれ違いがあるよね。自転車に乗るにしても体つきやその機能のしかたは人によって違う。自転車の場合だと、この違いは機材選択のちがい、どこをどうポジション調整するかの違い -- サドルやクリート、ハンドルの位置、そしてこれらの相対的な位置関係 -- に直結するわけだ。このことはペダリングスタイルの違いが水泳のストロークの違いより幅広いことを説明してくれる。自転車の乗りがいじくりまわせる機材は水泳選手より多いってことだ。

じゃあテクニックが違うとどんな影響があるんだろうか? 自転車界でメジャーなスタイルは 3 つ。一番多いのはダウンストロークの上半分で踵を落とし、ダウンストロークの下半分のある時点で踵を持ち上げるタイプ。これを山田太郎くんタイプと呼ぼう。で両極端に、つま先下がりタイプと踵落しタイプ。ほとんどの人がどれかなんだけれど、これらのタイプの中でもテクニックには違いがあるってこと、これはお仕着せじゃないってことを誤解しないでほしい。で、他より効率がよいのはどれかっていうのが疑問点なわけだ。

そんなのない。理由は以下。人を (機材やポジション調整抜きに) ある特定のスタイルでペダリングさせようという試みは、レースと同じくらいの強度になった時に失敗するみたい。例えば、心拍数 90% 以上のつらいときなんかがそれ。こんな状況では一回一回のペダリングを考えることなんてできないんで、その人にあった自然なやり方に戻ってしまうってわけだ。そういうわけで、さっき括弧つきで示したように、その人にあったペダリング技術があると僕は思ってる。ペダリング改善したいならたくさん乗ること、そして乗ってないときにも姿勢を矯正しておくこと。自分に自然な動きをなめらかにできるようにするためだ。

ひとつ注意しておきたいのは、プロポーションが同じ人でもペダリングスタイルが違えば、サドルの前後位置や高さも違ってくるということ。極端に踵を落とすスタイルの人は、相応の力でペダリングすればペダリングのたびに自分を後ろに押していることになる。なわけで、そんなに後ろに座らなくても腰が安定する。静止状態で腰を安定させるっていうのは僕がいつも口をすっぱくしていっていることだよね。さらに、このタイプの人はサドルをより低くする必要がある。踵を落とすペダリングでは、サドル高が同じでも踵を落とさない人よりも脚を伸ばさねばならないというのがその理由。他はおんなし。踵を落とす人はつま先下がりの人より足を第二の梃として使う度合も強い。踵を落とすタイプの人を、僕は "小さなストロークでより大きな梃の力を得るタイプ" って呼んでる。

逆に、つま先下がりの人は、足を第二の梃として使う度合があまり大きくなくて、あきらかにサドル高が高くなる。技術のおかげで脚がより遠くに届くからだ。このタイプの人のサドルは、踵を落とすタイプの人にくらべてかなり後ろにくる。つま先下がりテクっていうのは、ペダル上の主なベクトルが後向きになってるってことだからだ。これは同時に体重が前にかかりやすいということでもある。したがって、静止状態で腰を安定させるためにはサドルより多く後ろにひいてやる必要がある。このタイプは "大きなストロークで小さな梃の力" と言ってもいいだろう。

しかーし、僕らの多くはこのふたつの両極端のあいだ、山田太郎くんタイプだ。男は (例外はたくさんあるけど) 踵を落としがちで、女は (これまた例外は多い) つま先でペダリングする傾向がある。

偉大なチャンピオンたちを見てみようか。メルクスは踵を落とすタイプで、イノーは山田太郎くんタイプ、アンクティルはつま先下がりになっている。彼らひとりひとりが史上最高の自転車乗りだ。なかでもアンクティルはたぶん二番手だけど、タイムトライアル選手としては史上最高だろう。三人が三人ともツールドフランスを 5 度優勝し、他のレースでも強かった。僕の記憶では、アンクティルは 14 年間に Grand Prix de Nations で 10 勝はしたと思う。この TT レースを 10 勝もすれば地球最強の自転車乗りの称号にふさわしいと思うでしょ?

きみが機材とポジションに満足なら、メルクスがある少年に尋ねられたときに答えたように、"たくさん乗れ" というのが、僕からみんなへのアドバイスだ。

自転車に乗ってひとつの動作を何百回、何千回、何万回とくり返せば、僕らの姿勢やポジションは鍛えられ、洗練されていくってことだよね。

20100905

セントルイス連銀の記事から: 「インフレ予想について -Expected Inflation Near and Far」

えーっと、『道草』でポールくんのディスインフレネタに出てきた "TIPS (Tresury Inflation-Protected Tresury Securities) " の参考にするために訳していたもの。原文は『Monetary Trends, Feb 2007. by Federal Reserve Bank of ST. Louis.』 (PDF直リンク)。アメリカのセントルイス連銀の記事ですね。


インフレ予想について -Expected Inflation Near and Far

原油価格や非金融的現象の変動は、インフレーションの短期的な見とおしによるものとみなされることが多い。経済学者の多くがこの考えを受けいれているものの、長い期間ではインフレーションは金融政策で決まる。したがって、長い目でみた時のインフレ予想というものは、おもに金融政策当局が目標とするインフレを国民がどう考えるかを反映するものだということだ。言いかえると、金融政策当局があるインフレ目標にコミットしているとみなされれば、原油価格やその他の非金融的現象は国民の見方にはあまり影響がないのである。

予想インフレ率を測定する際、研究者やアナリストはふつう調査や市況をみる。例えば、通常の財務省証券やインフレの影響を受けないよう調整された財務省証券 (TIPS) の同じ満期のものを選んで、そのイールドを比べるのだ。TIPS より通常の財務省証券のイールドが上昇していれば、市場の人々がその証券の満期までにインフレ率が上がると思っていることがわかる。[原注1]



図は 5 年満期の TIPS のスプレッドの月毎の値を 2004 年 1月から 2006 年 11月にわたってプロットしたものだ。2004 年と 2005 年のスプレッドの変動は大きく、不安定な原油価格とカトリーナとリタというふたつのハリケーン後の経済的見とおしの不確実さがあらわれている。それ以降のスプレッドの変化もエネルギー価格の変動と連動している。例えば、2006 年後半にスプレッドの値が急落しているのは、74 ドル/バレルだった 7月の原油価格が 10 月には 60 ドル/バレル以下まで大幅に値を下げたのと同期しているのである。

5 年満期の TIPS のスプレッドの値のような短期の予想インフレ率のものさしはエネルギー価格と緊密に連動しているが、より長期の予想インフレ率のものさしはエネルギー価格の変動の影響はあまり受けない。例をあげると、5-year forward TIPS のスプレッド (5年先以降の5年間の予想インフレ率を反映する) をみると、その値は原油価格より今から 5 年先までをカバーする TIPS のスプレッドに連動している。[原注: 2] 図には 5-year forward TIPS のスプレッドも示してあるが、その値は 2004 年以降 2.25 と 2.75 の間で、原油価格が下がった 2006 年後半でもそこそこ値を下げただけだ。フィラデルフィア連銀が発表する 「Survey of Professional Forcasters」 のように長期間の調査では、予想インフレ率はさらにずっと安定した値をしめしてきた。「Survey of Professional Forcasters」 による 10 年平均の CPI インフレ率の見とおしの中央値は 1999年以降、2.5% から上下 0.10% の幅におさまっているのだ。[原注: 3]

長期にわたる予想インフレ率のほうがより安定しているのは、市場の人々が原油価格の変動の影響は一過的なものだと考えているのをしめしている。国民が連邦準備銀行はインフレ率の低維持にコミットしているとということをしっかり信じつづけていたのがはっきりわかる。万が一、長期間の予想インフレ率が急上昇するようなことがあっても、それは原油価格を反映したものではなく、連邦準備銀行がインフレをチェックして抑制するというコミットメントの信頼性が問題になっているのである。

- David C. Wheelock

[1] An increase could also refrect an increase in inflation-risk premiums. For a discussion od the use of the TIPS yield spread as a measure of expected inflation, see Kevin L. Kliesen and Frank A. Schmid, "Monetary Policy Actions, Macroeconomic Data Releases, and Inflation Expectations," Federal Releases Bank of St. Louis Review, May/June 2004, 86(3), pp. 9-21.

[2] The 5-year forward TIPS spread is obtained by dividing the total inflation expected over the entire 10 years [(1 + 10 -Yr TIPS Spread)5] and then taking this ratio's 5th root (equivalent to raising it to the 0.2 power) to get the average annual rate.

[3] See www.philadelphiafed.org/econ/spf/index.html

まいど前置きが長くなりがちな tmpsoulcage です、こんにちは。イングランド銀行 (BoE) の金融政策委員会 (MPC) のポーゼンさんが 『The Economist』 に寄稿したものを翻訳しました。原文を紹介してくれた hicksian さんに感謝を。

MPC の人たちはけっこう頻繁に講演します。先日の Jackson Hole でも副総裁、チャールズ・ビーンさんが 「Monetary Policy after the Fall」 という題で講演していました。まぁ、65 頁もあるんですが、"まとめ" になっている部分もあるので興味のある方はどうぞ。

個人的なことだけれど、僕のささやかな労力と能力を『道草』をつくってくれた彼に捧げたい。


2010年6月1日の質問:
「世界経済にとってより脅威なのは、インフレとデフレのどちらですか? また、政治家や官僚は構造改革と総需要対策、どちらに力を注ぐべきでしょうか?」
への回答。

アダム・ポーゼン (寄稿者、2010年6月2日 16:54)

大部分のマクロ経済学者はデフレが悪だとかたく信じています。われわれマクロ経済学者は、どうしてそう考えるべきか、理由のリストを作ることもできますよ。1930 年代のデフレーションの不気味な影はとても根づよく残っていますね。それは次の両方のことからきています。ひとつは、1930 年代のデフレが実際の暮らしむきをひどく悪化させたということ。もうひとつは、1930 年代以降、じわじわと悪化するようなデフレというものを私たちがほとんど経験していないということです。このようなデフレの一番最近の事例は日本のデフレなんですが、状況は困惑してしまうようなものになっています。

日本でおきているデフレーションは、上のように私たちが怖がるほど破壊的ではないのかもしれません。とはいえ、かなり長続きしていますし、同時にずいぶん理解の難しい現象なのです。粘着性なのが日本のデフレでして、それは "10年間もいすわって、もっとひどくなるかと思えばそうでもなく、マイナス 1% で安定して" しまいました。それだけでなく、そのペースが速くなったり遅くなったりしましたし、目に見えるどころではない悪影響さえあったんです。標準的なマクロ経済モデルのどれを使っても、こんなデフレは簡単にはつくれないでしょう。それくらい理解するのが難しいということです。

日本では、インフレーションの指標がどれも 1995 年あたりでマイナスになりました。その後も 1999 年にほんの短期間もちなおしはしたものの、少なくとも 2004 年まではマイナスのまんまです。2001 年から 2006 年には、日本銀行がお手製の "量的緩和政策" を実施していました。しかし名目値的にはほぼ効果がなかったように見えます。そうです、2000 年代初期の GDP ギャップがまだ吸収しきれていなかったんですね。ですけれど、その当のギャップがどれくらいなのか、それをまっとうに評価するのが難しい。私自身、日本の潜在成長率を見積もってやってみました。でも、経済回復期にもデフレが続くような状況で、GDP ギャップがどれくらいあるのかを評価するのは難しかったです。仮にそのギャップが物価の下落圧力を受けとめてしまうくらい大きかったなら、どうして 1990 年代にデフレはひどくなっていかなかったんでしょう? 実際には年率でほぼマイナス 1% のままだったので、うまく説明がつかないのです。

デフレのコストについてももっと研究が必要です。私たちが日本のデフレを不気味に思ったのにはちゃんとした理由があると思います。でも、日本ではそのコストが私たちの予想より小さい感じがしますよね。デフレが経済成長の足をひっぱるのは間違いないし、いくら金利が低いといっても、政府が返さねばならない借金の利子分だってだんだん問題になります。日本の株安がつづいたのがデフレのせいなのは確かだし、そのせいで貯蓄に頼る人たちも消費しなくなりました。それでも日本は 2002 年から 2008 年にしっかりした回復をみせ、デフレの勢いはそれを妨げるほどひどくなかったんです。

供給されたマネーが莫大だった [訳注1] のに、それにインパクトがなかったようなのも難問です。現代の経済研究者のおおまかな見解だと、量的緩和政策は国民に対する中央銀行のコミットメントをつうじてインフレや金融政策への予想にはたらきかけるもので、資産やその他の物価をじかに変えるということはまずありません。つまり、日本銀行のデフレ対策で大事だったのは、「インフレ率がプラスで推移するという確かな見とおしが得られるまで、日銀は低金利をつづける」という 2002 年の発表なんですね。けれども、こうした現象を間接的にではなく、はっきり説得力あるものとしてとらえるのは案外むずかしい [訳注2]。そうしたことを私たちはみな心にとめておかねばなりません。近ごろほかの国々の中央銀行によって実施されている非伝統的な (金融) 政策についても同じことが言えるのですから。

2000 年代、日本の実質経済にはよかった頃もありました。そこには、他の主要市場ではなく、2003 年の 金融制度改革のおかげも幾らかはあったでしょう。その影響は広義のマネー [訳注3] の増加にあらわれてしかるべきだったのですけれど、そうなっていないのが現状です。

そういうわけで、デフレがはじまったときに金融政策で何ができるか、私たちはもっと謙虚に考えねばなりません。とくに、金利がゼロあたりまで低くなり、従来とは違った政策 [訳注4] をとる時にはそうでしょう。日本は金融政策をつかって手っとりばやくデフレから逃れることができませんでした。かの国の物価 (今のイギリスでも実はそうなんですが) の動きは、実施された債券買いとりの規模からすると、マネタリストを信奉する人たちの多くが予想したであろう動きとはかなり違っていました。日本をみていると、金融引き締めの不安を払拭するために量的緩和をつかうのはまったく正しいことだったのがわかります。でも、量的緩和政策の結果どうなるかは予測できるものではありません。短期間でデフレを克服できるような大きい成果がえられるかどうかさえわからないんです。

訳注1: 原文は "huge monetary creation"。

訳注2: 原文は "it is rather difficult to discern this effect in any convincing rather than suggestive manner." となっています。

訳注3: "broad money"。 取引や決済に使われる通貨と貨幣だけでなく、財産としてのものも含まれる。

訳注4: 原文は "unconventional measures"。

20100417

FT誌: 日本の議員たちがインフレーションターゲットを求めている。

かえるくんごめん...浮気してしまいました。

しかし、日銀が何をしているかを追っていて、「高校生レベル」でわかりやすく解説してくれる人たちがほしいです。もしこの罠が長期で離れないなら、そして10年先を見すえるなら、必要だと思います。彼らのためにも。

コメントと助言をいただいた night_in_tunisia さんに感謝。

原文は FT誌の 「Japanese MP group to seek inflation target」。


13 Apr 2010 12:00am

日本の議員たちがインフレーションターゲットを求めている。[1]

By Mure Dickie in Tokyo

与党、民主党に属する 130 人ほどの国会議員が、日本銀行に対してイギリス式の明確なインフレーション・ターゲットを課す要求案の準備をすすめている。

これは、最近になって民主党議員が結成した "デフレ脱却議員連盟"[2] によるものだ。日本経済は物価の下落に苦しんでいるが、それに対する中央銀行の腰は重い。この動きによって、与党にひろまっている不満が浮き彫りになったといえよう。

日本のメディアが伝えるところによると、彼らは火曜日の会見[3] で、インフレーション・ターゲットの実施を正式なものとして政策案に取りいれるよう訴えたとのことである。7月に予定されている参議院選挙は民主党にとって非常に重要なものとなりそうなので、デフレ脱却議員連盟は、そのマニフェストにインフレーション・ターゲットを盛りこみたいのだ。

この民主党議員グループの動きによって、日本銀行が新しい緩和政策の実施を強いられると市場は考えるようにはなるだろう。日銀は自らのデフレーションに対する姿勢を、それに疑いを抱いている人たちに納得してもらわなければならないからだ。とはいうものの、中央銀行には公式には独立性というものがある。民主党幹部が、日銀にインフレーション・ターゲットを採用させることにどれくらい意欲的になれるかはまだまだ未知数だ。

民主党の菅直人財務大臣兼副総理は、物価下落問題によりしっかり取りくむよう、日本銀行に公の場で促したことがある。 しかし、彼も中央銀行に対して明確なインフレーション・ターゲットを採用させるという考えを支持するまでには至っていない。実際はといえば、近ごろの彼の日銀に対する態度は軟化している。[4]

日銀の物価安定に対するアプローチは以前に比べれば柔軟になったものの、菅大臣の相手、白川方明日銀総裁は現状を堅持しようと頑なでありつづけている。彼は "現在の金融危機 によって、物価変動にあまりに注目しすぎ、他の経済的要素を無視してしまうことのマイナス面となりかねない部分が示されている。" と言っている。[5]

しかし、目標についての議論の広まりは中央銀行への圧力となるだろうし、日本銀行は少なくとも限定的な政策緩和のようなものを実施しなければならないだろう。それが政府の圧力をかわすためにこれまで用いられてきたようなものだとしてもだ。

このような動きのひとつとして、日銀は先月、銀行が使える3ヶ月の低金利な資金供給を倍額にした。[6] -これは日銀が比較的リスクが少ないと考える政策アプローチだ。しかしながら、アナリストによると、経済はデフレーションにはまってしまっており、ほとんどその効果はないとのことである。

ところが、日銀への政治的な圧力も火曜日に発表されたデータのせいで弱まりかねない。[7] このデータでは原油と原材料の値上がりによって、3月の卸売物価 (年率換算) の下落幅は、2009年1月以降、これまでになく小さくなっているからである。[8]

訳注 1: MP は Member of Parliament の略かと。

訳注 2: 正式名称は「デフレから脱却し景気回復を目指す議員連盟」。原文では "anti-deflation league". 以下、おもに、『金子洋一さんのブログ』から。彼の Twitter アカウントはこちら

訳注 3: 以下に4月13日会合の報道を。

訳注 4: 例えばここにある発言。「平成21年11月20日、菅内閣府特命担当大臣記者会見要旨」 (『菅大臣記者会見要旨』から。これが菅さんの"デフレ発言"についての記事のソースでよいのかなと。)

「私たち自身、デフレ状況という認識を私も申し上げているところで、政府としては、内閣としては、やはりこういう状況の中で金融の果たすべき役割も多いわけですから、今日も日銀の政策会議が行われるわけで、津村政務官が出席をすることになっておりますので、そういう政府としての認識は、機会があればというか、多分機会がありますので、きちっと伝えたいと。」

しか~し。菅さんの 4月バージョン ↓

「白川総裁とは政権スタートから私も当初は経済財政担当という立場で、現在はそれに加えて財務大臣という両面で色々意見交換を続けております。そういう意味で私自身は白川総裁、非常によくやっていただいていると。もちろんそれぞれの独立性とかそういうものをお互いが分かった上で、しかし同時に政府と日銀がある意味では一体となって、特にデフレに対する対応をしてきているわけで、そういう点では私は政府と日銀のこの間の対応は非常に共通の目標を持ってそれぞれの立場で努力するということで、かなりいい形で進んでいる、このように思っております。」 (「平成22年4月6日 菅内閣府特命担当大臣記者会見要旨」)

ちなみに11月20日の菅発言に対する白川発言はこのあたりにまとまってます →JBpress 「白川日銀総裁の正論と菅副総理の危機感 -デフレ問題めぐる2人の発言」

訳注 5: ソースとなる白川発言ですが、いかんせん対応する "日銀文学的表現" が不明なので、検索もできないというあり様でして...すまんそん。

訳注 6: 手前みそだけど、これ→ 「気あいを入れずに化粧をかさねる日銀」。追加緩和と称される "新型オペ" のより詳しい内容については、「日銀が新型オペ拡充」 を参照。ドラめもんさんの辛辣な文体好きなら「「ドラめもんアーカイブ 2010年03月」を "新型オペ" で Google 検索したキャッシュ(色がつくので便利)」。

訳注 7: これのことかな→日銀「企業物価指数」 (2010年4月13日発表、2010年3月分)

訳注 8: この最後の部分、night_in_tunisia さんは以下のようにコメントしています。

"night_in_tunisi: 最後の最後でイギリスのターゲットはコアCPIじゃないっていう弊害が出てるなぁ。。。FT.com / Asia-Pacific - Japanese MP group to seek inflation target http://is.gd/btmEk"

イギリスが使っている消費者物価指数 (CPI) の入口は、「Difference Between RPI, RPIX and CPI」。イギリスの消費者物価指数についてのしおりは 「Consumer Price Indices A brief guide」 (PDF直、1.3M、26頁)。←読まなきゃと思いつつまだ読んでない。イギリスの CPI 関連は Office for National Statictics のサイトにある 「Consumer Price Indices」からどぞ。

20100324

抜粋: ガイルズ・ウィルケス: 『Credit where it's due: 量的緩和を実体経済のために』

Giles Wilkes 『Credit where it's due: Making QE work for the real economy』(2010年 3月、CentreForum 96 頁、2.2M) から 「Executive Summary」のみ。

題名のとおり "量的緩和政策を改善しようぜ" という提案。要約しか読んでませんが、第三者による「まとめ」になっていて、ガイルズさんたちの提案は、「イングランド銀行は名目成長ターゲットを使うべし」と「信用リスクを緩和するために基金をつくりませんか?」 というもの。

イングランド銀行 (BoE) 側による「まとめ」には、金融政策委員会のスペンサー・デールさんの 『QE - ONE YEAR ON 』 (2010年3月12日、16頁、44kb) があります。

イギリスのみなさんは総選挙前なので、今回の危機対策を一旦整理ですな。「よーく考えよー、お金は大事だよー♪」っと。日本のよい子のみなさんはその動きに釣られないようにしましょう (自戒をこめて) 。ま、多くの人がマスメディアにひっぱられると思うので、カウンターが必要でしょうか。

BoE は、つい先日、今年 1冊めの四半期報告 『Bank of England Quarterly Bulletin 2010 Q1』M4 についてのレポートを出版しました。また、それとは別にふたりの副総裁講演も。チャールズ・ビーン副総裁 (通貨政策担当) の 『The UK Economy after the Crisis: Monetary policy when it is not so NICE』 と、ポール・タッカー副総裁 (金融安定担当) の 『Resolution of Large and Complex Financial Institutions』 がそれです。FT にも量的緩和を云々する記事や FSA による規制についての記事が (下記) 。まぁでもやはり、イギリス世間にとっては財政問題がホットなのかしらん。にしても、さっぱり読むのが追いつきません...

おまけの記事リンク:

BoE の量的緩和については → 『"Reasons to be Miserable" UKバージョン』 from FT など。

記事の題についてですが、「Reasons to Be Miserable (His Name is Marvin)」 という歌があるそうです。"Marvin"は、あの 『The Hitchhiker's Guide to the Galaxy』 にでてくる >> 偏執狂のアンドロイド << (←ここ注意) 。えーっとw、マービンといえば BoE のマービン・キング総裁。深読みしすぎですかね? 記事は「Have a good weekend everyone!」で締めくくられてます(笑) ちなみに歌詞はこちら ... "Reasons to be miserable: In my brain a pain, Very little turns me on, Marvin is my name..."。明るい歌...ではないようですw

FSA (金融サービス機構) については → 「FSAの強気なスタンスに City 街はびくびく」『「今は締め上げの時期ではない」 by FSA』 (ともにFTから) など。

今回は 『DeLTA Function』 の にゃんこワンダフルさんに感謝です。まずは原文にある「著者について」から。



著者について

ガイルズ・ウィルケスは CentreForum[1] の主任エコノミスト。2008 年 4 月に金融関係の調査員として当フォーラムに加わった人物だ。著書 『A balancing act: fair solutions to a modern debt crisis』 は "Prospect magazine think tank publication of the year for 2009" を受賞している。他に 『Fiscal Rules OK?』 (Alasdair Murray との共著) や 『Divided we fall: can the G20 save globalisation?』 (John Springford との共著) などの著作がある。

オックスフォード大学出身。1994 年に経済哲学 (Philosophy and Economics) を修了し、ロンドン・ビジネス・スクール[2] 在学中に MBA を取得、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス[3] で 世界史[4] の修士号を得た。この間、出版社に勤務した経験もあり、IG Group (spread-betting and derivatives company) のディーラやマネージャとしても 10 年の経歴を持つ。

訳注 1: CentreForum のサイトはこちら。Centre と Forum のあいだにスペースは入りません。爽やかガイルズくんは「Freethinking Economist」 というブログ (毎日更新) を書いている。

訳注 2: London Business School、ロンドン大学のカレッジのひとつ。MBA 関連コースの評価が高いとか。

訳注 3: LSE、London School of Economics、こちらもロンドン大学のカレッジ。ロンドン大学はカレッジが複数あって、それぞれ結構独立している。"ロンドン大学連合" という訳もあるみたい。そのほうがあってる気がします。

訳注 4: Global History。


参考に目次を。

Credit where it's due: Making QE work for the real economy

Contents

  • Executive summary
  • 1. How we got here: from inflation busting to quantitative easing
  • 2. Has QE worked?
  • 3. Other effects of QE beyond boosting spending
  • 4. Is QE dangerous?
  • 5. Making QE work better through `fiscal dominance'
  • 6. Conclusion
  • Appendix 1: insufficient demand, and its causes
  • Appendix 2: changing your mind about how it works
  • Appendix 3: assessing distributional consequences of asset growth
  • Appendix 4: auction prices for the same gilts before and after QE
  • Appendix 5: has the Bank given too much to the market?
  • Notes

Credit where it's due: 量的緩和を実体経済のために


本稿の要旨

「Quantitative easing (量的緩和、QE)」は、政策金利がゼロになった時、景気回復のためにイングランド銀行が採用した政策である。世の中に流通しているお金を増やして消費を促進するため、これまでに 2000 億ポンド[1] の銀行準備が新たに用意されてきた。これにより、イングランド銀行のバランスシートは住宅金融組合程度から数千億ポンド規模にまで拡大をつづけてきた[2] 。今日、わが国でもっとも重要な投資家はスレッド・ニードルの公務員なのである。[3]

このように膨大なお金を投入したにも関わらず、2009 年の実体経済[4] は急激な景気悪化に見舞われた。その激しさは政府が 2009 年度予算で見込んでいたものの 100 % 以上に達したのである。フランス経済とドイツ経済は (量的緩和なしで) 成長に転じたが、イギリスの景気悪化はさらに半年間も続いている。イングランド銀行による融資は経済回復に失敗し、ブロード・マネー [5] の伸びも目立つほどではない。量的緩和の効果がもっとも小さかったのは、イングランド銀行が影響を与えようとした分野、すなわち通貨供給量の増加であり、支出の増加であったのだ。

イングランド銀行のマービン・キング総裁によれば、量的緩和は従来の金融政策の「延長線上にある」とのことだ。ところが、量的緩和は支出にあまり影響しなかったにもかかわらず、従来の金融政策の延長とはとても思えないほどの副作用があった。政策がスタートしてから 9 ヶ月になるが、この間にイギリス政府が売った英国債は年額で史上最多にのぼっている - しかも政府は比較的小さい借入れコストで国債を売ることができた。その結果、資産価格が尋常でないレベルまで反発している。住宅価格がふたたび上昇しはじめ、株価も 50% 以上の値上がりだ。投資銀行 [5] にとっては豊年となり、あたかも危機がおきなかったかのように多額のボーナスが支払われている。

経済成長への影響がみられないとなれば、量的緩和の副作用が現実問題として取りあげられるだろう。そうなれば、金利の決定とは違って政治家もこれを無視できなくなる。中でも問題なのは、量的緩和によって財政政策と通貨政策の境目がよくわからなくなってしまう点だろう。緊急に支出が求められていた時、政府が安上がりに借金できたのは事実として喜ぶべきことだ。けれど今度は、イギリス大蔵省が財政の健全性を中央銀行に左右されるようになり、困った立場に立たされてしまっている。つまるところ、中央銀行と大蔵省がこのような関係にあると、両者の施策上の独立性が脅かされてしまうということだ。

一連の量的緩和政策は受益者への配分もゆがめてしまっている。量的緩和は多くの大企業や金融業に恩恵をもたらしてきた。社債を発行して資金調達するのは以前よりずっと楽になっている。大企業などによる大口の資金調達[6] は楽になって資産価格もうなぎ昇り、ロンドンの金融街は大もうけである。資産をたくさん持っている人たちにとって 2009 年はよい年だった。典型的な株のポートフォリオ[7] やロンドンの住宅価格は、ほぼリーマン・ショック以前の水準にもどっている。その一方、ほとんどの一般家庭や零細企業にとって、量的緩和で好転したなにかはまだ目に見えてこない。彼らこそ借りられるお金が少しでもないものかと目を皿のようにしている人々だ。そしてそれは、個人や中小企業向けの銀行[8] がいまだに弱気で融資を渋っているからなのだ。

さまざまな意味で、量的緩和は金融業界と富裕層に多額の補助金をわたすようにはたらいてきた。けれど、それと銀行の救済とは別問題。銀行の救済だったなら会計監査というしくみが使えるからだ。量的緩和によるお金の行く先の大部分は不透明で、誰がその恩恵を受けたのかよくわからず、納税者はほとんど蚊帳の外だった。わが国の金融政策当局は、おそらくそれを国家経済を救う唯一の道だと信じ、所得格差が広がってしまうような"力"を使って経済のある部分をえこひいきしているのだろう。しかしながら、彼らのこの姿勢がそもそも議論すべきもので、その議論の結果、副作用による損害が軽くなるとしたらどうであろうか[9] 。

わが国には、このような副作用のある試みにあまり頼らずとも、不況から力強く抜けだしていく可能性がある。ところが、経済の先ゆきがあやしいままなリスクも、それどころか景気が後もどりするリスクさえかなりの程度で存在している。財源は限界にきている。2008 年とはちがって、イギリス政府はこのさき 2、3 年は予算を引き締めるだろう。

イギリス経済はふらふらと後退していく運命なのだろうか。量的緩和が金融街に活をいれるだけでなく、経済全体を効果的に刺激できるかどうかがその鍵になる。では、現時点でのわれわれのアドバイスを以下に記すことにしよう。

  • : 不況のあいだ、イングランド銀行は名目成長 (率) を目標としてはっきり示すべきだ。現在、イングランド銀行は目標をインフレーションにしぼっている[10] 。しかしこのままでは、まだ効果の出ないうちに量的緩和が引っこめられるのではないかという市場の危惧を完全には振りはらえない。市場がそう予想していると、量的緩和政策はひどく弱体化してしまう。イングランド銀行が目標として高い名目成長率をきっぱりと口にすれば、人々は投資家が安心するまで (ひいては彼らが活気づくまで) 流動性[11] が維持されると信じてくれるのではないだろうか。

  • : 低インフレの不況だと、通貨政策と財政政策は力をあわせなければ効果を発揮できない。これはイギリス大蔵省が量的緩和を「信用緩和」[12] に変換するということだ。量的緩和に使われる資金の一部を使って、新しく「信用リスク基金」を設けるべきだろう。金融市場で問題がおきた際、必要な資金をすばやくそこに向かわせ、より早く需要が改善するようにしておくのである。

  • : 信用収縮[13] に苦しみ続けている分野は多い。「信用リスク」基金があれば、彼らへの資金源として有効に使えるはずだ。借入れ保証制度[14] はすでに成功をおさめているし、零細企業への融資につかう基金としてもよい。アメリカで論じられている社会基盤整備銀行[15] のようにしてもよいだろうし、銀行部門への追加資本注入に利用してもよいのだ。

訳注 1: 25兆円超くらい。

訳注 2: ググれば出てくるだろうけど DeLTA Function にグラフがある。「円高とデフレ、あるいは某中央銀行のサボタージュ」や「日米英の"銀行券ルール」参照。

訳注 3: スレッド・ニードル(街) はイングランド銀行がある通りの名前。Google Map で行ってみる?

訳注 4: real economy。「実体経済」は経済のモノやサービスの生産に関わる部分、かな? この文脈では経済の "金融" とは別の部分というくらいの意味でしょう、たぶん。

訳注 5: M4 のこと。『Measures of M4 and M4 lending excluding intermediate other financial corporations』 (PDF直リンク) をみると、2007年9月以降、BoE は M4 をブロードマネーとして扱っています。以下がイングランド銀行のサイトにある説明。引用元は「Monetary & Financial Statistics Brief Background to Tables」。より詳しくは、「Monetary & Financial Statistics Explanatory Notes」以下の M0M3M4 を参照。

  • Notes and coin (Table A1.1.1) is the UK丕サs narrow monetary aggregate, intended to capture money held for transactions rather than as wealth. The level of notes and coin in circulation is likely to be related to economic transactions such as retail sales.

    表「紙幣と硬貨」はイギリスの狭義の通貨総量 (ナロー・マネー) で、財産としてのものではなく、取引や決済に使われる通貨だけを把握しようとするためのものである。

  • M4 (Tables A2 to A4) is the UK's main broad monetary aggregate; M4 is held not only for transactions purposes but also as a form of wealth.

    Measures of M4 and M4 lending excluding intermediate other financial corporations are published in Table A2.2.3. These provide economically more relevant estimates of broad money and credit than M4 and M4 lending based on their traditional definitions. An article in this publication (http://www.bankofengland.co.uk/statistics/ms/articles/art1may09.pdf) sets out the background.

    M4 はイギリスの広義の通貨総量 (ブロード・マネー) の中心的なものである。M4 では取引・決済手段としての通貨だけでなく、財産としてのものも含まれる。

    M4 と"その他金融関連企業"をのぞいた M4 lending を表 A2.2.3. に示した。これらの数字をつかって広義の通貨総量と信用量を評価すれば、従来の定義からの M4 と M4 lending よりも、経済学的に意味のあるものを得られる。われわれが出版した『Measures of M4 and M4 lending excluding intermediate other financial corporations』 (PDF直リンク、以下に抜粋して翻訳) は、その背景について明らかにしている。

Measures of M4 and M4 lending excluding intermediate other financial corporations

By Norbert Janssen

はじめに

2007 年 9月、イングランド銀行は国内のブロード・マネー (広義の通貨総量) の計測法の変更について一般から意見を募った。これは、イングランド銀行がもちいるブロード・マネーの計測法を、急速に発達している世界の金融システムにあわせてアップデートするためであった。そこでの主な提案は、"その他金融企業 (OFCs、other financial corporations) " などが保有する「通貨」をブロード・マネー (M4) から除外することだった。これによって、名目支出により密接なかたちで「通貨」 (の総量) を計れるようになると予想された。本稿は一般公募後の進捗状況を報告するものである。"その他金融企業" による預金や彼らへの貸付け/融資を除外した場合、ブロード・マネーと信用をどのように計るか、その内容についてもまとめてある。そして最後に、このデータをより頻繁に発表するために、われわれがどんな作業をすればよいのかについても軽くふれている。

背景

「通貨」という概念は次の 3 つの条件を満たすモノや財産をさしている。まず、会計勘定や銀行口座、商取引の一単位となるものであること、そして価値を保有するものであること。さらにモノやサービスに対する支払い方法であることがその条件だ。わが国のように金融システムが発達している場合には、経済学的に意味のある通貨総量 (通貨供給量/通貨流通量/マネー・サプライ) は次のようにして計らなければなければならない。すなわち、対象を幅広く広汎にとり、国内で流通している紙幣と硬貨をふくみ、同時に銀行[1] や住宅金融組合[2] が保有する預金もふくめねばならないのだ。預金を含めるのは、銀行と住宅金融組合の負債のほとんどが、支払いの手段としても利用されているからだ。上の条件に照らしあわせると、これらの事業体は「通貨」の役割をはたすものをつくりだし、それを取引して金融業 (MFI、monetary financial institutions) を営んでいることになる。しかし、ある MFI から別の MFI への債務はその部門のなかで相殺されてしまうので、MFI どうしの預金はわが国のブロード・マネーには含めない。そのため、ブロード・マネーを計るときに通貨を保有している部門としてあつかうのは、国内に籍のある民間の非 MFI 事業体、例えば一般家庭や民間の非金融関連企業、それと MFI でないという意味での "その他金融企業 (OFC)" などになる。

OFC 部門には異なる経済活動をおこなう様々な企業がたくさんふくまれている。例えば保険会社や年金基金、証券ディーラなどの預金を預かっている企業や団体がある。それらは資産価格に影響を与える事業体にふくめてもよいだろう。これらの企業が一般家計や 他の一般企業とじかにやりとりすることで、名目支出はきまってくるのだ。

OFC には他のタイプのものもある。彼らの仕事は主に銀行と住宅金融組合のあいだの仲介で、 MFI どうしでみられるような取引を効率的に提供している。仲介業務をおこなう OFC には次のようなものがある。セントラル・クリアリング・ハウス[3] - 彼らは証券取引の決済/調整を手伝ってくれる -、証券化のための特別目的事業体[4] 、担保つき債権をあつかう団体 (MFI はこの種の団体を融資の資金源に使っているし、資産やリスクをバランスシートから移転するのにも利用している)[5] が最も一般的だ。

2007 年 9 月の一般公募での案は、仲介業務にたずさわる OFC を通貨保有部門[6] から除外するような提案だった。この案に沿ってブロード・マネーと信用を計れば、より有意義になると思われたからである。しかし、当時のデータには MFI 企業と仲介にたずさわる OFC 事業体の区別がない。そのため、この区分であきらかにできたのはブロード・マネーの概要だけであった。では次節から、2007 年以降、この計算方法がどう変遷してきたのか説明していくことにしよう。

訳注 5-1: イギリスで "bank"といったら何のことか気になって調べてみた。ところが FSA のサイトには "There is no definitions " とあって、"bank" が実際に何をさすのかはよくわからなかった。だから「bank = 銀行」なのかもわからない。つか、日本の「銀行」についても知らないんだけど。

訳注 5-2: building society。

訳注 5-3: Central clearing couterparty。取引の契約期間が長いと、状況の変化しだいで、債務不履行がおきるリスクが大きくなってしまう (例: 先物取引) 。このようなリスクを減らすため、"特定の機関" が全体の取引の損益を計算して、一定の会員のあいだで儲けた人→損した人のように金額の調整がおこなわれている。この「特定機関」がクリアリング・ハウス (たぶん) 。清算機関には種類があって、"Central" がついてるのは "1箇所にまとめて" という方式のことだと思う。日本では日本証券クリアリング機構や東京金融先物取引所、アメリカではシカゴやニューヨークの証券取引所が該当するみたいです。参考: 『クリアリング(清算)制度について』 (PDF直リンク、2003年)。日銀の『決済について』 も参考になります。

訳注 5-4: securitisation special purpose vehicles。英辞郎95には "資産買取り、資金調達証券発行、信用補完、収益配分を行う会社・組合・信託" とあります。

訳注 5-5: covered bond entities。

訳注 5-6: money-holding sector。

続いて、『インフレーション・レポート 2009年5月版』の13頁の Box から。 (←これは「いつか」そのうち...)

......訳注 5 は ここまで。しかし注釈が長いっすね...

訳注 6: wholesale financing。

訳注 7: ポートフォリオ。"The entirety of the financial assets (and usually also liabilities) that an economic agent or group of agents owns." 経済主体やそのグループが保有する金融資産のまとまり (ふつうは債務も含める)。金融資産には株式、社債、預金、現金がふくまれる。『Deardorff's Glossary of International Economics』より。

訳注 8: retail bank。

訳注 9: But if this is their view it should be debated - and damaging side-effects mitigated.

訳注 10: イングランド銀行 (BoE) 謹製の量的緩和政策のパンフレットには日本語訳があります(『イングランド銀行パンフレット「量的緩和とは何か」』、リンクが張れなかった)。現状、BoE は 2% を目安にインフレをコントロールしてる。"インフレの指標" が上下に 1% 以上目標からずれると、BoE 総裁は金融政策委員会 (MPC) 名義で大蔵大臣に「始末書」を書かねばなりません (「始末書」現物はPDFで公開されていて、こういうもの。"Open letter" っていうらしい。最近では 2010 年 2月のがあります。これはキング総裁の任期中で 3 回目で、リンク先の PDF には、その理由や MPC の見とおし、今後の政策についてもちゃんと書いてあります)。彼らが使っている "インフレの指標"(CPI インフレ率) の内容は、このリーフレット 『Consumer Price Indices - A Brief Guide』 (PDF直、1.3M、2004年) や 『The New Inflation Target: the Statistical Perspective』 (2007年) にあるものかと。たぶん後者を参照したほうがよい。

訳注 11: "The capicity to turn assets into cash, or the amount of assets in a portfolio that have that capacity. Cash itself (i.e., money) is the most liquid asset." 資産を現金に交換できるかどうか。もしくはポートフォリオに含まれる資産のうち、現金に換えられる資産の量。現金 (例えば、通貨) が一番流動的な資産。 『Deardorff's Glossary of International Economics』より。

訳注 12: 信用緩和/Credit Easing は、アメリカの連邦準備銀行が採用している政策。ベン・バーナンキ議長の 2009年 1月の講演でふれられた。両者はともに、ゼロ金利な状況でもちいられるが、量的緩和/Quantative Easing とは異なる政策。

僕はまだそこまで詳しく理解していないので、白塚重典 『わが国の量的緩和政策の経験: 中央銀行バランスシートの規模と構成を巡る再検証』 (2009年 1月) の 2ページ目にある注釈を引用してお茶を濁しておきます。

"Bernanke[2009a]は、クレジット市場を支援する Fed のアプローチを、最初に信用緩和と呼び、日本銀行が 2001~06 年にかけて実施した量的緩和政策との概念的な相違を指摘した。Yellen[2009]も、現在の Fed の政策実践と日本銀行の経験を比較すると「相違点が共通点を上回る」とし、Fed がバランスシートの資産サイドに注目し、特定の市場における与信フローを改善させようとしていることを指摘した。このほか、Bean[2009]は、BOE による量的緩和は、主として民間非銀行セクターから資産を買い入れるよう設計されており、日銀による量的緩和政策と異なるとしている。"

上記引用に出てくるバーナンキとビーンの講演は以下。Yellen さんのは白塚さんの参考文献リストには載ってませんでした。バーナンキさんはアメリカ連邦準備制度の議長、ビーンさんはイングランド銀行の副総裁。

訳注 13: 信用収縮...あとでしらべようっと。

訳注 14: loan guarantee schemes. 具体的には、ビジネス・イノベーション省 (Department for Business, Innovation and Skills、BIS) の零細企業支援策

訳注 15: 「National Infrastructure Bank」 たぶんアメリカで提案されている制度のこと。

20100317

FT誌: 気あいを入れずに化粧をかさねる日銀

FT.com の「BoJ move to be more cosmetic than radical」 の訳です。原文はこちら

...と訳していたら、「日銀:新型オペを20兆円に拡大-特別支援オペ終了に対応(Update2)」 from Bloomberg.co.jp (更新日時: 2010/03/17 13:25 JST) だそうで。

P.S. さっきトイレに行ったらヤモリ (小) がいました。この 10 数年ずっといるんですが、ちゃんと世代交代しているようです。5cm くらいのかわいいやつでしたよ。僕らの世代交代は、いったいどうなるんでしょうか orz...

2010/03/19 追記: "政府~電気会社" のあたりを訂正。東京電力の元副社長が日銀の審議委員になるようで。『過去のドラめもん』 を読んでいて判明。この場を借りて、ドラめもんさんに御礼おば。


2010年3月15日23時11分

気あいを入れずに化粧をかさねる日銀

ロビン・ハーディング、東京発

日本銀行は今週の政策決定会合でトリッキーな決定をおこなった。しかし、その内容は金融政策ではなく、おもに景気見通しの調整についてのものだった。

ウォッチャーの多くは日銀が金融政策をわずかにゆるめるだろうとみている。日銀の考えは、経済が弱りきってしまったわけでもないのに、デフレ対策として自分たちにできることは少ないというものだが、とにかくウォッチャーたちはそう予想している。

ところが、変化を求める声に耳をかたむけると、むしろ政治家の怒りをなだめ (soothe)、市場をしずめ (placate)、消費者を「ゆくゆくは自分たちがデフレを打破しますよ」と説きふせる (persuade) ために、日本銀行が物価の下落を心配しているようにきこえてくる。

東京にいる JPMorgan のエコノミスト、カンノ・マサアキは、「日銀から追加発表する可能性のほうが大きいでしょう、どちらかといえば。」と思っている。

ゴールドマン・サックスのエコノミストも、限定的な緩和が"ありそうだ"と判断している。最近では、政府からも"もっと気あいを入れろ"との圧力が微妙に高まってきた。ノダ・ヨシヒコ財務副大臣は"適切かつ柔軟な政策"を期待していると述べ、日銀は"危機感"を持つよう求めてもいる。

日銀の審議委員政府には電力電気会社の重役もいる。彼なら日銀の政策決定会合による緩和を支持するだろうし、その気持ちはエコノミストより強そうなものだ。

このような状況だが、日本銀行は自分たちがデフレと闘うとは絶対に思われたくないようだ。これでは市場はがっかり、消費者もデフレが続くと思って自分の影におびえるようになりかねない。そうなれば日銀はもっと政治圧力を受けやすくなるだろう[1]。

いっぽうで、日銀の政策決定会合には、日本経済の何が変わってしまったのか、そしてなぜもっと緩和したほうがよいのかを理解していない委員もいる。3月初めのロイター報道によると、「今のところ、1月の私の予想とくらべ、物価下落ペースに何か大きな変化があったようには見えない」、政策委員のノダ・タダオはそう述べたとある[2]。

3月15日月曜日の発表では、日本政府でさえ景気は「わずかだが次第に上むいてきている」としている[3]。実際には 1月末の物価は 1年間で 1.3% も下落しているのに。政府がこんな認識なので、日本銀行が政策を変えたとしても、物価の回復不足を指摘されてしまうかもしれないとはいえる。

日銀は国債を買って通貨を生みだすような積極策には反対で、政策はこけおどしなものになりそうだ。昨年 12月にはじめた 3ヶ月間で 10兆円 (1000億ドル、810億ユーロ、730億ポンド)、金利 0.1% の資金供給[4] を拡大するのが、彼らにとっては当然の選択であろう。しかし、無担保コールレート(オーバーナイト物) を 0.1% からさらにゼロに引きさげるなど、他にも選択肢はある[5]。

日本銀行は 3ヶ月間の資金供給を 20兆円にまで増やしてもよいし、その返済期日を 3ヶ月から 6ヶ月にのばしてもよい[6]。中期金利とオーバー・ナイト金利を押しさげるのが目的である。これらの金利をさげ、安く借り入れができるようにして経済を刺激するのだ。

しかしこのような政策には限界もある。3ヶ月や 6ヶ月の日本国債の金利 (利回り) はすでに 0.12 ~ 0.13% の低さになっているからだ[7]。

それに、これらの国債の金利を 0.1% にまでさげたとしても、その差はわずかだ。銀行からの融資がほしいという需要もまだ少ない。さらには、たとえ銀行が低い金利で安く資金調達できても、それを貸し出せる先がない可能性もある。

このような政策が機能するのは、日銀が無担保コールレートを「より長いあいだ、かつより低く」してくれるはず、と市場が信じているあいだだ。もし市場がそう信じてくれれば、イールド・カーブ (利回り曲線) 全体を引きさげることができるはずである。

欧米の金利が上がりはじめても、日本の金利が低いままなら円安になる。そうなれば輸出は有利になって、日本が輸出主導で回復する、より大きな起爆剤となってくれるだろう。

訳注 1: 日銀さん墓穴を掘ってるんじゃないの? というロビンさんの老婆心ですかね。

訳注 2: 野田氏のセリフの部分の原文は、"I can't observe any moves now that would show much change in the pace of price falls from my forecast in January"。ロイターの記事には、"野田委員は、個人的見方として「1月に私が想定した物価下落幅について、ここにきて、大きいとか、小さいとかはっきり言うほどの動きは観察できていない」としたうえで「1月、2月の決定会合での政策運営方針を、現時点で何か変えなくてはいけないということは一切ない」と述べた。"とある。FTのこの記事は、ロイターの記事をふくらませただけな感じ。ロイターの記事でも文中に出てるターム物についてもふれているし。

訳注 3: 『内閣府月例経済報告、平成22年3月』 (PDF直リンク) より引用すると、「景気は、 着実に持ち直してきているが、 なお自律性は弱く、失業率が高水準にあるなど厳しい状況にある。」平成22年3月15日発表。←ふーん... そしてそれに対する日経の記事はこちらから (Google の検索結果) → 『「景気、着実に持ち直し」 月例経済報告、8カ月ぶり上方修正』

訳注 4: 日銀より、12月2日付 『総裁記者会見要旨』 (PDF直リンク)

訳注 5: 無担保コ-ルレートは日本銀行の政策金利。参考: 「無担保コールオーバーナイト物」 by 野村證券など。ググってね。

訳注 6: 参考: 「コール市場」 by 『よくわかる! 金融用語辞典』。『金利の変動要因』 (PDF直リンク、拾っただけでまだ読んでない...)

訳注 7: risk-free rate = 国債の金利とした。たぶん、ここの「割引短期国債」の金利 (利回り) のこと。「日本の金利について調べる」 by 国会図書館 ← 勉強になりました...

20100305

ブランシャールほか 『 マクロ経済政策再考』より 「I. はじめに」と「II. われわれが知っていると思っていたこと。」

IMF の『Rethinking Macroeconomic Policy』(PDF直リンク,19頁,206KB) から「II. What we thought we knew」 を抜粋して訳しました。

まず感謝の言葉を。そもそものきっかけを頂いた田中秀臣さんと night_in_tunisia さんに。大変お待たせして恐縮です。そして、実際に同じペーパーの 「IV. Implications for the Design of Policy」 をすばやく訳出した矢野さん、同じ翻訳でも別の切り口でせまった飯田さんからは、記事を通して訳語や言いまわしのアイディアをいただきました。また Twitter でポイントを示してくれた hicksian さん、このペーパーをネタにやりとりしていた皆さんにも感謝。同じく参考にさせていただきました。

以下に示した目次からわかるように、各章の A ~ F が対応しています。田中さんの『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』(講談社、2006年) とあわせて読むと幸せになれると思います。

誤訳は僕の責任です。読んでいただければ分かるとおり経済学については初心者。そのため、傾向としては、かみ砕く過程で誤ることがありそう。それもまた僕の力不足。自己責任でご利用くださいませ。

最後に、僕が「どひぇ~やっちまったべ...」と思っている時に、淡々と、いつものように「くだらないこと/くだること」を僕の TL に流してくれた数人の方々にとくに感謝したいと思います。今後もよろしく(笑)

以下に関連リンクを。


マクロ経済政策再考

Olivier Blanchard, Giovanni Dell'Ariccia, and Paolo Mauro

マクロ経済学者や政策担当者は「Great Moderation」[1] によって安心し、自分たちはマクロ経済政策の使い方を知っているのだと思ってしまうことになった。今回の危機の発生によって、われわれが自分たちの考えを問い直さねばならないことははっきりしている。本稿において、われわれは危機以前のコンセンサスの主なポイントをふり返っている。われわれのどこが間違っていたのか、危機前の枠組みについての見解のうちどれがいまだに有効なのかを整理していく。そして最後に、今後のマクロ経済政策の新しい枠組みについて、その輪郭を描いてみることにする。

Contents

  • I. Introduction
  • II. What We Thought We Knew
    • A. One Target: Stable Inflation
    • B. Low Inflation
    • C. One Instrument: The Policy Rate
    • D. A Limited Role for Fiscal Policy
    • E. Financial Regulation: Not a Macroeconomic Policy Tool
    • F. The Great Moderation
  • III. What We Have Learned from the Crisis
    • A. Stable Inflation May Be Necessary, but Is Not Sufficient
    • B. Low Inflation Limits the Scope of Monetary Policy in Deflationary Recessions
    • C. Financial Intermediation Matters
    • D. Countercyclical Fiscal Policy Is an Important Tool
    • E. Regulation Is Not Macroeconomically Neutral
    • F. Reinterpreting the Great Moderation
  • IV. Implications for the Design of Policy
    • A. Should the Inflation Target Be Raised?
    • B. Combining Monetary and Regulatory Policy
    • C. Inflation Targeting and Foreign Exchange Intervention
    • D. Providing Liquidity More Broadly
    • E. Creating More Fiscal Space in Good Times
    • F. Designing Better Automatic Fiscal Stabilizers
  • V. Conclusions

  • References



I. はじめに

1980 年代初め以降、景気の循環的な変動[2] が穏やかになっている。そのため、マクロ経済学者や政策立案者たちは、ついつい自分たちがそれに大きく貢献していると考えてしまいがちだったし、自分たちはマクロ経済政策をどう行なえばよいかわかっていると結論づけてしまいそうにもなった。われわれはその誘惑を否定はしない。いずれにせよ、今回の危機によって、われわれがそのような自己評価に疑問を持たざるを得なくなっているのは明らかなのだ。

その疑問がまさに本稿のテーマである。3 段階に分けて論じていこう。まずはじめに、「自分たちにはわかっている」とわれわれが思っていたことについて。次に、それのどこが間違っていたか。最後に、3 つのうちで最も不確かな、新しいマクロ経済政策の枠組みの青写真について論じてみよう。

本論に入る前にまず注意点を。本稿は一般原則に焦点をあわせて論じている。これらの原則を特定の政策アドバイスとして翻訳し、先進国や新興国、そして開発途上国むけに仕立てていくのは今後の課題だ。また、本稿は今回の危機による幾つかの大きな問題にはほとんどふれていない。国際通貨制度の成りたち[3] や金融規制とその監督のしくみ全体などがそれだ。これらについては本稿で取りあげる課題に直接関わる範囲でふれるにとどめた。

II. われわれが知っていると思っていたこと。

まず全体を簡単に描き出してみよう (より細かな差異については後述する)。: 通貨政策の目標はインフレーションで、そのツールが政策金利というように、われわれは単純化して考えていた。インフレが安定している限り産出量ギャップは小幅で安定し、その状況では通貨政策がうまく機能するだろうと見込んでいたのだ。一方で、財政政策は政治的にかなり制限のある本来の有用性を発揮できない補助的なもの、金融規制にいたってはマクロ経済政策の枠外のものとしてしまっていた。

正直なところ、このような見方は研究者に多かった。政策当局者はもっと実際的な人たちである。しかしともかく、政策は多くの人の合意にしたがって立案されていたし、制度設計にしてもそれは同じだった。そこで重要な役割を果たしていたのは人々のコンセンサスである。そして、われわれは上に述べたような考えを徐々に増幅させ、変調させていくことになる。

A. ひとつの目標: 安定したインフレーション

中央銀行の使命に反しない範囲で、低率かつ安定したインフレが一番の目標にすえられた。これはひとつには、経済活動よりインフレを重視したいという中央銀行幹部の世間体[4]の問題だった (当初、彼らは 1970 年代の高いインフレ率を下げたいと望んでもいたのだ)。そして同時に、専門家がニュー・ケインジアンモデルによるインフレ目標政策を支持していたことにもよる。標準的なニュー・ケインジアンモデルによると、インフレの継続は実によい政策なのだ。このモデルでは、インフレを継続させて産出量ギャップをゼロに近づければ、不完全な市場で行なわれる経済活動の産出をもっともうまく引き出せる[5]ことになっている。産出量ギャップとは、名目硬直性がないときにみられる産出レベルからとの差として定義されるものだ (Blanchard and Gali, 2007) [6] 。

中央銀行が自らへの信任を重視し、インフレ目標政策はニュー・ケインジアンモデルによって裏づけられていた。このふたつのめぐり合わせは天啓だ (そう呼ばれてもいる)。しかし、それが暗示していたのは、たとえ政策当局が十分経済活動に配慮しても、可能なのは、せいぜい安定したインフレの維持くらいだということ。経済が「アニマル・スピリッツ」に影響されていようが、消費者の選択にショックを与えるような出来事や衝撃的な技術革新に影響されようが、はたまた原油価格の変化に影響されようが、政策はこのふたつに照らしあわせて考えられることになった。市場がより不完全になり標準的な状況から離れるにつれ、この組みあわせによる政策はうまく行かなくなった。しかし、そこにあったメッセージだけは残った。それがつまり、安定したインフレ状態はそれ自体には問題がなく[7] 、経済活動にとってもよいものなのだというメッセージである。

しかし、実際に中央銀行が行なったことをみればこのような言い方は言いすぎだろう。インフレだけを気にする中央銀行などほとんどなかったと言ってよい。中央銀行の多くは「柔軟なインフレ目標」を採用していたのである。使われていたインフレの安定目標は、その数字を何が何でも守るというものではなく、インフレ率をあるレベル以上に維持する際の基準として扱われるものだった。多くの中央銀行は、原油価格高騰などによる参照インフレ値[8] の変動を考慮していたし、インフレ予想が大きくぶれないよう備えてもいたのである。

B. 穏やかなインフレーション[9]

やがて、インフレーションは安定すべきだけでなく、値もかなり低くあるべきだというコンセンサスが広まった (多くの中央銀行が選んだ数字は 2% 近辺だった。Romer and Romer, 2002.) 。同時に、流動性の罠におちいる可能性があるのに低いインフレ率を採用するのはいかがなものか、という議論もおきた。平均インフレ率を低くすると、短期名目金利の平均も低くなる[10] 。そして、名目金利がゼロに近くなれば、金利の下がる余地はだんだん減っていく。金利にそれ以上下がる余地があまりなくなっていくということだ。これはつまり、景気の足を引っぱる出来事がおきても、通貨政策を使ってインフレをおこす余地が小さくなってしまうということでもある。これが流動性の罠と呼ばれるものだ[11] 。ところが低いインフレ率の危険性は小さいとみなされた。これは次のような論理による[12] 。いま仮に、中央銀行がマネーの名目成長率を高く保つと確約できたとする。つまり、中央銀行が将来的にインフレ率を高めると宣言し、それにしたがってきちんと手を打つことを信用してもらえたらどうなるだろうか。この場合、中央銀行は将来的にインフレ率が上がりそうだという人々の予想を高められる。人々のインフレ予想が高まれば将来の実質金利は下がるので、現在の経済活動を活性化できることになる (Eggertsson and Woodford, 2003.)。経済に大きなショックがなければ、2% のインフレ率は緩衝材として十分そうだし、名目金利がゼロより低くなれない問題[13] を気にしなくてもよさそうに思われた。こうして、中央銀行のコミットメントの重要性と彼らが人々のインフレ予想に働きかける能力は特に重視されるようになったのである。

「大恐慌」の際におきた流動性の罠では、激しいデフレーションと低い名目金利が結びついていた。それは歴史上のお話のように思えたし、今なら避けられる類の政策の誤りのせいでもあった。われわれの行く手には、'90年代の日本のデフレやゼロ金利、長びく景気低迷が不穏な感じで立ちふさがっていた。しかしその日本の状況は、日本の中央銀行が将来のマネーの成長やインフレ率にコミットする能力に欠けていたか、もしくは彼らがそうしたがらなかったのが問題で、その上さらに他の面の改善が遅れがあわさっただけだ。(公平を期すためにつけ加えるなら、アメリカ連邦準備銀行も 2000 年代初頭には日本銀行同様デフレのリスクを心配していたし、彼らが日本の経験に学んだのも確かである。Bernanke, Reinhart, and Sack, 2004. 参照。) [14] [15]

C. ひとつの政策ツール: The 政策金利

通貨政策はだんだんひとつの政策ツールを集中して使うようになった。政策金利、つまり中央銀行がしかるべき公開市場操作によって直接コントロールできる短期金利がそれである。中央銀行がこの政策ツールを選んだ背景には仮定がふたつあった。ひとつめは、通貨政策の実際の効果は金利と資産価格を通じてあらわれ、通貨供給量に直接影響を与えることによってではまったくないのだという点 (例外は、欧州中央銀行の「ふたつの柱」政策だ[16] 。欧州中銀は経済に存在する信用の量に直接注目している。この政策は十分な理論的根拠がない、と馬鹿にされることも多いのだが)。ふたつめの仮定は、金利と資産価格はすべて裁定取引[17] によってリンクしているというもの。そのため、長期金利は適切に重みづけされたリスク調整済みの将来の平均短期金利によって、資産価格はファンダメンタルズ - リスク調整され割引かれた現在の資産価格 - によって決まることになる [18] 。

この仮定にしたがうなら、通貨政策は現在と将来の短期金利の予想に影響を与えるだけでよいことになる。他の金利や価格はすべてそれについてくるからだ。そしてそれを実施するには、暗示的・明示的に、透明性があって予測可能なルールを使えばよい (そのため、透明性や予測可能性がこの20年間の通貨政策のメインテーマだった)。例えば、アメリカ連邦準備銀行の政策を説明するテイラー・ルールでは、現状の経済環境の関数によって政策金利を計算している [19]。短期・長期両方の社債市場のように、一度にひとつ以上の市場に介入しようとすると、重複してしまったり矛盾してしまったりするものなのである。

これらの仮定がなりたっていると、金融の仲介活動のこまごまとした部分はほとんど重要でなくなってしまう。しかし銀行 (特に商業銀行) は例外で、ふたつの点で特殊だとされた。まず 1 点目 - これは通貨政策の運営からというより理論的な文献においてだが - は、銀行の信用は特殊で他のタイプの信用で置き換えられないように思えた。これによって「信用経路 (信用チャンネル) [20] 」の重要性が浮き彫りになった。信用経路という考えのもとでは、通貨政策は準備金の量から銀行の信用を通じて経済に影響を与える。銀行の特殊性の 2 点目は流動性の置き換えにかかわっていた。当座預金は銀行の負債として、融資は銀行の資産として捉えることができる。したがって、これらは取りつけ騒ぎ [21] の問題をはらんでもいる。そのため、政府による預金の保証や、中央銀行の昔からの最後の貸し手としての役割が十分な根拠を持つことになった。こうして、銀行に対する規制や監督を正当化するような政策決定上のゆがみが生じた。結果として、マクロ経済レベルでみた金融システムの残りの部分には、あまり注意が払われなくなってしまったのである。

D. 財政政策の役割の限界

「大恐慌」の後遺症やケインズの影響によって、財政政策は - おそらく代表的な -マクロ経済政策のツールだと考えられてきた。1960年代から1970年代には財政政策と通貨政策の序列はほぼ同じだった。このふたつのツールはそれぞれ -内向きと外向きのバランスという - 別々の目標を目指しているだけのようにみえた。しかし、この 20 年間は財政政策が通貨政策のカゲにかくれてしまっていた。それにはたくさんの理由がある。まず、財政政策の効果に広く疑念が持たれていたこと。リカードの中立命題がその根拠だった [22] 。2 つめは、もし通貨政策によって安定した産出量ギャップを保てるなら、財政政策のような他の政策ツールを使う必要はあまりないのではないかということ。この文脈では、財政政策を使って景気循環を調整しなくてもよくなったのは、金融市場が発展して通貨政策がよく効くようになってきたからかもしれないということになる。3 番目は、先進国が優先するのは、財政赤字を安定させ、できるかぎりそれを減らすことだということ。先進国は多額の財政赤字を抱えているのが普通だ。新興国ではどうかというと、新興国では国内社債市場がまだ未発達で、景気循環を押しとどめるような政策 [23] の余地がどうしても小さくなってしまうのである。4 番目はタイムラグの問題。財政政策を立案してから実施するまでにはタイムラグがある。短期の景気後退に対して財政的な対策をとっても、手遅れになる可能性があるのだ。最後の 5 番目の理由は、財政政策というものは金融政策よりずっと政治的な制限を受けやすいというものだ。

自由裁量な財政政策を、景気循環にブレーキをかけるための政策ツールとして用いることへの拒否感は、とくに専門家のあいだで強かった。しかし、通貨政策と同じで、この言い方は実際に適用された政策をうまく表してはいなかったろう。例えば、1990 年代初頭の危機的状況で日本が財政政策を使ったように、政府の財政出動は深刻な経済ショックに対しては一般的だった。それに、政策当局は「通常の景気後退」期においてさえ、自由裁量な財政刺激策に頼りがちなのものである。このような当局のスタンスは、新興国市場でも - 実践的には分かりにくくはなるものの - 原則的には望ましいものと思われていた。新興国市場では自動安定化機構が未発達だからである。しかし、経済の急成長期に激しい財政慎重論が唱えられることからもわかるように、新興国市場にとってさえ、中期的な政策方針についてのコンセンサスは、自動安定化機能を強化し、自由裁量な財政出動を遠ざけておくことだったのである。

こうして、政策当局の関心の第 1 は財政赤字をいつまで維持できるかということと、それを実現する財政的なルールはどのようなものか、ということに絞られた。先進国の政策当局は、長期的視野に立って、せまりくる高齢化問題が財政にあたえる影響を考えねばならなかった。一方、新興国が注目したのは債務危機の可能性を減らすこと、そして景気循環を促進してしまう財政政策 [24] を抑制できるような制度を用意することであった。新興国はこうしてバブル発生とその破裂というサイクルを避けようとしたのである。自動安定化機構はなすがまま - あくまでそれを融資できるような国々にとってはということだが - であったし、それは財政の持続性とも矛盾しなかったのである。実際、国家経済が発展して政府支出が GDP に占める割合が増えるにつれ (ワグナーの法則)、自動安定化機構の役割も大きくなった。矛盾するようだが、従来の安定化機構も受容できるものとされ、どちらがよりよい仕組みなのかについてはあまり注意が払われなかった。

E. 金融規制: マクロ経済政策の政策ツールではないもの。

C の第 3 パラグラフで述べたように、金融仲介業のマクロ経済の中心としての性質が軽視され、金融規制や監督においては個々の企業や市場が重視された。さらに、個々の企業や市場がマクロ経済レベルでどう関わりあっているかもほとんど無視されてしまっており、金融規制は各企業の健全性や市場の失敗を正すことを目標に定められた。市場の失敗は情報の非対称性や有限責任の存在、また直接・間接の政府保証のような不完全さによって発生する現象だ。先進国はシステム内の密接な関係やマクロ経済レベルでの関係を無視してしまったのだ。しかし、新興国にはこれが当てはまらない国もあった。そのような国では、為替の変動に制限が設けられるなど、マクロ経済の安定のためにプルーデンシャルな[25] ルールが定められていた (このような国では、為替の変動だけでなく外貨建ての融資が完全に禁止されることもあった)。

自己資本比率や融資比率 [26] の規制は、循環要因をコントロールする政策ツールとしては、あまり考慮されなかった (注目すべき例外はスペインとコロンビアで、事実上、この 2 ヶ国は信用の成長にしたがって準備金 (引当金) を変化させていた。Caruana 2005 参照)。金融規制の自由化の波が押し寄せていたが、循環要因をコントロールする目的でプルーデンシャルなルールを使うのは、信用市場の機能に関わるため不適切だと考えられた。

F. The Great Moderation - 長く平穏な時代 -

こうして築かれたマクロレベルの枠組みは首尾一貫しており、しだいに信任も厚くなっていった。これが「Great Moderation」によって強化されていたのは間違いない。「Great Moderation」とは、先進国のほとんどで GDP やインフレ率の変化がしだいに小さくなる現象が見られる時期のことである。ただ、この現象が始まったのはもっと前で 1970年代だけが違ったとみるべきなのか、それとも本当に 1980年代初めの通貨政策の変更ではじまった現象なのかは、まだどちらとも言えない (Blanchard and Simon 2001、Stock and Watson 2002 参照)。他にも曖昧な点はある。「Great Moderation」期に見られる変動幅の減少が、たまたま経済的なショックが小さかったせいによるのがどれくらいで、構造改革の影響はどれくらいなのか、さらには政策改善の影響はどれくらいなのかが、よくわかっていないのだ。在庫管理システムの改善やたまたまおきた急速な生産性の成長、そして中国とインドの世界貿易への参入[27] が何らかの影響を与えていると思われる。とはいうものの、先進国でみられた現象は 1970 年代と 2000 年代の原油価格高騰によく似ており、「Great Moderation」が政策改善によるものだという説を裏づけている。また、「Great Moderation」がインフレ予想とより緊密に連動しているというデータも存在する。これらを根拠に、経済へのショックの緩和に政策改善が重要な役割を果たしたと考え、それは中央銀行がより明確なシグナルを出して行動してきたせいだと考えてもおかしくはない。さらに、中央銀行は 1987 年の株式市場崩壊や LTCM の破綻、IT バブル [28] の破裂をうまく処理した。これらによって、通貨政策は資産バブル崩壊が金融に与える影響もうまく扱えるのだという見方が補強されてきたといえる。

こうして 2000 年代中盤まで、もっとよいマクロ経済政策が実施できると考える理由は特になかった。そして実際、経済をさらに安定させるような政策も実施されなかった。そこに今回の危機がやってきたのである。

訳注 1: 1980年代初初頭から現在までの GDP やインフレ率の変動幅が小さくなっている時代。詳細は下記参照。VOX は短編。後者は「Great Moderation」の名づけ親さんたちの論文(48頁)。

  • Olivier Coibion, Yuriy Gorodnichenko 『Does the Great Recession really mean the end of the Great Moderation?』 VOX 16 January 2010.
  • James H. Stock, Mark W. Watson 『Has the Business Cycle Changed? Evidence and Explanations』 August 2003.

訳注 2: cyclical fluctuations

訳注 3: the organization of the international monetary system

訳注 4: reputational need (of central bankers). (中央銀行幹部の) 信用、信頼性のほうがふさわしいかも。

訳注 5: the best possible outcome. ニュー・ケインジアンモデルについては、田中秀臣『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』 (講談社 2006. 以下、田中 2006 と略記) p.91あたりなど。

訳注 6: 田中 2006. pp.88 - 90.

訳注 7: "...inflation is good in itself" good = 「問題のないもの」とした。

訳注 8: headline inflation.

訳注 9: Low Inflation. いわゆる「マイルドインフレ」のことかな。

訳注 10: このあたりはフィッシャー効果 (名目金利=実質金利+期待インフレ率) が念頭にあるのだろう。

訳注 11: 「流動性の罠」についてもっと詳しく知りたければ、山形さんによるクルーグマンの『Japan's Trap』の邦訳、『日本がはまった罠』 や『FURTHER NOTES ON JAPAN'S LIQUIDITY TRAP』の訳、『日本の流動性トラップについて:追記』を参照。

訳注 12: formal argument. 以下に、ブランシャールのインタビューから同じ内容を言いかえた部分を訳しておく。

IMF survey online: Central banks have chosen low inflation targets, around 2 percent. In your paper, you argue that maybe we should revisit this target. Why?

IMF サーベイ・オンライン: 中央銀行は 2% 近辺の低いインフレ率を採用しています。今回の論文で、ブランシャールさんはこの値を考え直すべきかもしれないとおっしゃっています。その理由を教えてください。

Blanchard: The crisis has shown that interest rates can actually hit the zero level, and when this happens it is a severe constraint on monetary policy that ties your hands during times of trouble.

ブランシャール: 今回の危機によって、金利が底を打ち、実際にゼロになってしまいかねないことが分かりました。こうなってしまうと、通貨政策が厳しく制限され、問題が起きている時に打つ手がなくなってしまいます。

As a matter of logic, higher average inflation and thus higher average nominal interest rates before the crisis would have given more room for monetary policy to be eased during the crisis and would have resulted in less deterioration of fiscal positions. What we need to think about now if whether this could justify setting a higher inflation target in the future.

論理的に言うと、もし危機前の平均インフレ率が高く、したがって名目金利の平均も高かったなら、通貨政策を使って今回の危機を緩和する余地はもっとあったでしょう。また、財政状況 (finacial position) の悪化もそうひどくはならなかったでしょう。今、考えなければならないのは、このような話が、今後の目標インフレ率引き上げの十分な根拠になるかどうかです。

訳注 13: the zero lower bound. いわゆる「名目金利の非負制約」。

訳注 14: つまり、日銀と FRB はともにデフレのリスクに直面し、日本は失敗したものの、その経験は FRB によって活かされた...ということ。だから OK ってわけでは全然ないのは、僕らが一番よく知っているはず。

訳注 15: 2000年代初頭の FRB については、田中 2006. p. 85 あたり参照。

訳注 16: "two-pillar" policy of ECB.

訳注 17: arbitrage.

訳注 18: 原文は「So that long rates were given by proper weighted averages of risk-adjusted future short rates, and asset prices by fundamentals, the risk-adjusted present discounted value of payments on the asset.」

訳注 19: テイラー・ルールは実際の FRB の行動から導きだされた関係で、必ずしも FRB がこれに拘束されているわけではないことに注意。その最も古典的な形は「産出量ギャップ=潜在産出量-現実の産出量・潜在産出量」で表せるとのこと。田中 2006. p.80、pp.162-165 参照。

訳注 20: credit channel.

訳注 21: 銀行の信用に対する不安の問題。詳しくはググって頂戴。

訳注 22: 原文は「first was wide skepticism about the effects of fiscal policy, itself largely based on Ricardian equivalence arguments.」

訳注 23: countercyclical policy tool. 反循環的な政策ツール。

訳注 24: procyclic/procyclical fiscal policy. 「順景気循環的な財政政策」。もともと存在する景気循環をさらに後押しするような効果のある財政政策。参考: あずさ監査法人 http://www.azusa.or.jp/b_info/keyword/pro-cyclicality.html 具体的にはどのようなものが想定できるだろう?

訳注 25: prudential. 研究社リーダーズには、「慎重な、細心な; 分別のある、万全を期する。(商取引などで) 自由裁量の権限をもつ」とある。

訳注 26: loan-to-value raitio.

訳注 27: the trade integration of China and India.

訳注 28: Long-Term Capital Management. ヘッジファンド。原文では「the tech bubble」だが、たぶん 1987 年頃の IT バブルのこと。

訳注 :

参考文献

  • Bank of England, 2009, "The Role of Macroprudential Policy," Discussion Paper, November.
  • Baunsgaard, Thomas, and Steven A. Symansky, 2009, "Automatic Fiscal Stabilizers," IMF Staff Position Note SPN/09/23.
  • Bernanke, Ben, Vincent Reinhart, and Brian Sack, 2004 "Monetary Policy Alternatives at the Zero Bound: An Empirical Assessment," Brookings Papers on Economic Activity, No. 2, pp. 1-100
  • Blanchard, Olivier, and Jordi Gali, 2007, "Real Wage Rigidities and the New Keynesian Model," Journal of Money, Credit, and Banking, Vol. 39, No. 1, Supplement, pp. 36-65.
  • Blanchard, Olivier, and John Simon, 2001, "The Long and Large Decline in U.S. Output Volatility," Brookings Papers on Economic Activity, No. 1, pp. 135-64.
  • Caruana, Jaime, 2005, "Monetary Policy, Financial Stability, and Asset Prices," Documentos Ocasionales No. 0507, Banco de Espa‰a.
  • Eggertsson, Gauti, and Michael Woodford, 2003, "The Zero Bound on Interest Rates and Optimal Monetary Policy," Brookings Papers on Economic Activity, No. 1, pp. 139-233.
  • Elmendorf, Doug, 2009, "Implementation Lags of Fiscal Policy," presentation at the FAD/RES Conference on Fiscal Policy, June.
  • ------, and Jason Furman, 2008, "If, When, How: A Primer on Fiscal Stimulus," The Brookings Institution.
  • Feldstein, Martin, 2007, "How to Avert a Recession," The Wall Street Journal, December 5.
  • Holmstrom, Bengt, and Jean Tirole, 2008, "Inside and Outside Liquidity" unpublished manuscript.
  • Mishkin, Frederic, 2008, "Challenges for Inflation Targeting in Emerging Market Countries," Emerging Markets Finance and Trade, Vol. 44, No. 6, pp. 5-16.
  • Musgrave, Richard A., 1959, The Theory of Public Finance (New York: McGraw-Hill).
  • Phillips, A.W., 1954, "Stabilization Policy in a Closed Economy," Economic Journal, Vol. 64, pp. 290-323.
  • Romer, David, and Christina Romer, 2002, "The Evolution of Economic Understanding and Postwar Stabilization Policy," in Rethinking Stabilization Policy, Federal Reserve Bank of Kansas City.
  • ------, 2007, "The Macroeconomic Effects of Tax Changes: Estimates Based on a New Measure of Fiscal Shocks," University of California, Berkeley.
  • Seidman, Laurance, 2003, Automatic Fiscal Policies to Combat Recessions, M.E. Sharpe, New York.
  • Stock, James, and Mark Watson, 2002, "Has the Business Cycle Changed and Why?" in NBER Macroeconomics Annual, ed. by M. Gertler and K. Rogoff, Cambridge: National Bureau of Economic Research.
  • Williams, John, 2009, "Heeding Daedalus: Optimal Inflation and the Zero Lower Bound," Brookings Papers on Economic Activity, forthcoming.

20100215

抜粋: ブランシャールほか 『 マクロ経済政策再考』より 「I. はじめに」

いやぁどじっちゃいました。あとで辞書をひいたら「曲解」の意味を適当に理解してたんですね。朝っぱらから TL 汚してすみませんでした → 各位。というわけで、IMF の『Rethinking Macroeconomic Policy』(PDF直リンク,19頁,206KB) から「I. Introduction」のみ抜粋です。ちびちびで申し訳ないけど、かぶるのも嫌なのでご容赦を。


抜粋: マクロ経済政策再考

Olivier Blanchard, Giovanni Dell'Ariccia, and Paolo Mauro

I. はじめに

1980 年代初め以降、景気の循環的な変動[1]が緩やかになっている。マクロ経済学者や政策立案者たちは、ついつい自分たちがそれに大きく貢献していると考えてしまいがちだったし、自分たちはマクロ経済政策をどう行なえばよいかわかっていると結論づけてしまいそうにもなった。われわれはその誘惑に耐えられなかったのだ。しかし今回の危機によって、われわれがそのような自己評価に疑問を持たざるを得なくなっているのはあきらかである。

まさにそれが本稿でやろうとしていることである。3 段階に分けて論じていこう。まずはじめに「自分たちにはわかっている」とわれわれが思っていることについて。次に、それのどこが間違っていたかについて。そして最後に、3 つのうちで最も不確かなこと、すなわち新しいマクロ経済政策の枠組みの青写真について論ずることにする。

本論に入る前にまず注意点を。本稿は一般原則に焦点をあわせて論じている。これらの原則を特定の政策アドバイスとしてどのように翻訳し、先進国や新興国、そして開発途上国むけに仕立てていくかは今後の課題となる。また、本稿は今回の危機によってもちあがった幾つかの大きな問題についてもほとんどふれていない。国際通貨制度の成りたち[2]や金融規制とその監督のしくみ全体などがそれにあたる。これらについては本稿で取りあげる課題に直接関わる範囲でふれるに留めた。

訳注1: cyclical fluctuations

訳注2: the organization of the international monetary system

抜粋: ブランシャールほか 『 マクロ経済政策再考』より 「V. 結論」

Twitter で話題になっている IMF の『Rethinking Macroeconomic Policy』(PDF直リンク,19頁,206KB) から「V. Conclusion」のみ抜粋。4% 云々が話題ですが「自動安定化装置」が本題だと思うな。参考文献にも載っている BoE のワーキングペーパー同様、もっと議論しようぜということだと思います。ブランシャールさんに釣られたんじゃないの~(笑) 田中先生ありがとうございます。つぶやき、勉強になります。この場をかりて感謝 m(_ _)m

お詫びと訂正: 上記取り消し線部分、僕のTwitter 上における同様の発言について、田中先生から「読み違いである」との厳しいご指摘をいただいたので訂正しました。リンク先の発言にある「曲解」という言葉についても、不用意な発言と考え取り消させていただきます。Twitter での引用を含め、田中先生にご迷惑をおかけしたことをこの場を借りてお詫びします。2010年2月15日8:44


抜粋: マクロ経済政策再考

Olivier Blanchard, Giovanni Dell'Ariccia, and Paolo Mauro

V. 結論

今回の危機はマクロ経済政策が引きおこしたものではなかった。しかしながら、危機によって従来の政策枠組みの欠点が露呈し、政策当局者は危機のさなかに新しい政策を探し求めざるを得なくなったし、われわれとて今後のマクロ経済政策の構成について考えさせられているような状況である。

様々な理由から、全体としての政策枠組みに変更を加えるべきではない。その枠組みの究極の目標は、これまで同様 GDP ギャップ[1]とインフレーションを安定させることであるべきだ。とはいうものの、今回の危機のおかげで、GDP の内訳や資産価格の動向、異なる金融主体の資産構成[2]など、政策当局には監視せねばならない指標が多いのがはっきりしたし、彼らが自由に使える政策ツールについても、危機以前よりずっとたくさんありそうなことが明らかになってきた。これらの政策ツールの一番効果的な使い方を学ぶことが課題である。従来の通貨政策[3]と規制ツールをどう組みあわせるか、また財政政策上よりよい自動安定化装置とはどんなものなのかが、今後のもっとも有望な取り組みである。われわれはこれらのテーマについてさらに探っていかねばならない。

最後になるが、今回の危機はわれわれがいつも意識してきた教訓を補強してくれたし、危機を経験することでその教訓をさらに深く心に刻むことにもなった。平時に財政赤字の規模が小さければ、必要な時に大胆で効果的な政策をとる余地ができる。われわれの経済システムをうまく機能させるには、規制に細心の注意を払い[4]、通貨・金融・財政上のデータをわかりやすくかつ入手し易くして[5]、うまく手はずを整えておくことが必要不可欠である。われわれに課されているのは、今回の危機の経験を利用して創意あふれる新政策を考えだすことだけではない。ここで述べたような教訓から生じる困難だが必要な政策の修正や改革において、一般国民の助けとなっていくこともまた、われわれの仕事なのである。

訳注1: output gap

訳注2: the leverage of different agents

訳注3: traditional monetary policy

訳注4: prudential regulation

訳注5: transparent data in ...

20100214

抜粋: ピーター・テミン「大不況は再び起きうるだろうか?」

天から降ってきたのではなく、地から沸いてきたテミンさんの 1993 年論文の一部を訳しました。「Journal of Economic Perspectives Volume 7, Number 2 Spring 1993 pp.87-102. Peter Temin "Transmission of the Great Depression"」 の pp.99-100 の翻訳です。まいどお世話になりますです(業務連絡w)。

1993 年とちょっと古い話で、ここで述べられている"危機"は 1992年の欧州通貨危機です。ヨーロッパはマーストリヒト条約でごたごたしていましたし、まだユーロにもなっていません。話題になっている通貨制度は「欧州通貨制度(European Monetary System)」で、当時は原則的に為替レートの変動幅が年 ±2.25% 以内とされていたそうです。1992 年 9月 17日、イギリスは欧州通貨制度を脱退。ポンド危機あたりを参照してみてください。

テミンさんの邦訳が読みにくく、でもやだやだ言っててもしかたがない...で、いただきものの翻訳に逃避してみました(笑)


「大不況」は再び起きうるだろうか?

「大不況」は、為替レートの固定以上に、金本位制度という政策枠組みへのこだわりによって世界中に拡大した。われわれが再び時代遅れのイデオロギーに執着し、世界経済をぶちこわしてしまうことはあり得るだろうか?

1992 年 9月におきたヨーロッパ通貨危機は、この文脈では好ましいニュースであったといえる。通貨危機というマクロ経済的ショックに直面したヨーロッパ各国の政府は、教条主義的 (訳注: ドグマティズム、コチコチに頭の硬い) にではなく柔軟に対応したのである。最優先すべきは通貨危機のショックを回避することであったと言えよう。万一これが達成できなかった場合、次善の策は 欧州通貨制度 (European Monetary System) が命じている変動幅の小さい為替レートを一時停止することであった。

1992 年の通貨危機は、東西ドイツが統一されたことと、そのドイツ国内でコール首相 (訳注: 旧西ドイツ首相) が増税に足踏みした (もしくは彼にはそもそも増税できなかった) こと、のふたつがあわさっておきた。歴史家は東ドイツ再建にかかるコストが選挙前 (訳注: 1990年の選挙、東ドイツでもおこなわれた) にわかっていたかどうか論じあうだろうが、統一前にはわからなくとも、きっと選挙後すぐそのコストは明らかになったはずだ。マクロ経済的にみて、統一ドイツにとっての最善の選択は、一時的に増税し、それを旧東ドイツへの投資に使うことであった。

コール首相は借金によって旧東ドイツへの投資を融資することにし、これとは別の道を選んだ。マクロ経済的にみると、かなりの財政拡大政策を非常にタイトな金融政策が押さえ込んでいるというのが統一ドイツであった。このように設定された政策によって、ドイツはヨーロッパ経済と欧州通貨制度に大きな衝撃を与えることになったのである。

しかしながら、ヨーロッパを襲ったこのショックは真新しいものではない。 1980 年代のアメリカもレーガン政権下でまったく同じ政策をとっていた(Blanchard, 1987)。財政拡大政策 - 東ドイツ再建にくらべれば、アメリカのそれはまっとうな目的には欠けるが - とタイトな金融政策との組みあわせは、多額の資本流入をまねくような政策であり、結果としてドル高をもたらすものでもある。数年後、ドイツは同じ政策をとったわけだが、それはアメリカのものと同じ効果があるはずだった。

ドルは他の通貨に固定されてはいないし、マルクにしてもそれは同じだ。しかし、欧州通貨制度がヨーロッパの他の通貨に対するマルクの上昇を許さなかった。その結果、まわりの国々に大きな圧力がかかって、ヨーロッパ各国は政策金利を上げて自国の通貨を守らねばならなくなり、 (見当違いな) ブンデスバンクへの激しい非難が巻きおこったのである。

この緊張によって、1992 年 9 月にフランスでおこなわれたマーストリヒト条約批准を決める国民投票があやうくなったのである (訳注: 結果はほぼ半々の僅差だった)。1930 年代初頭と同じで、欧州通貨制度による為替レート固定へのこだわりがマクロ経済的ショックをヨーロッパ全域に広めてしまう恐れがあったのだ。ところが、フィンランド・イタリア・イギリス政府は、戦間期の為政者たちとは違って、自国経済が深刻な影響を受ける前に欧州通貨制度を破棄したのである。

この通貨危機がヨーロッパの通貨体制にどう影響するかを判断するのはまだ早い。しかし、抽象的な理想への奴隷的な盲従や固執ではなく、柔軟さと創意にあふれた対応が予想できる。新しい均衡状態が訪れるまで、投機行為がおきたり不安定になったりするかもしれない。しかしそれでも、「大不況」が示唆するのは、新体制構築にともなう痛みは従来の体制にしがみつこうとしてこうむる痛みに比べれば小さいだろうということだ。かつて金本位制に遅くまでしがみついた国の多く(訳注: "the gold bloc"、フランス・ポーランド・ベルギーなどかな?) は、(少なくともしばらくは) 欧州通貨制度を維持しようとしている。これらの国々が 1930 年代中頃のような経済収縮を再現してしまう運命にあるかどうかは、時間が経ってみないとわからない。

「大不況」がまわりの国々へと伝わっていく様子は、現在のわれわれに次のような教訓を残してくれている。マクロ経済的ショックを避けるのが一番の方法だというのがそれだ。しかし、そのショックに遭遇してしまったなら、次善の策は為替レートを固定している縛りを一旦解くか棄てるかすることである。「大不況」の初期、各国は為替レートの固定によって結びついていたのだから。そのマクロ経済的なショックが 欧州通貨制度のような枠組みを放棄せねばならないくらい強くて大きなものだったら? 政府と中央銀行はどれくらい早く反応すべきか? これらについては、歴史をつかさどる女神クレイオーも沈黙を守ったままだ。「あまり待ちすぎないように」としか彼女は言っていない。ラルフ・ホートレイ(訳注: 1879-1975、イギリスの経済学者でケインズの友人) は、1931年のポンド切り下げ後、イングランド銀行がインフレと闘うために金利を上げた時、「それは間違っとる。それは"ノアの洪水のさなかに火事だ火事だと叫ぶようなもの"だ」と言っているのだが(Hawtrey 1938, p.145)。

■ コメントをくれたベン・バーナンキとエルハナン・ヘルプマンに感謝したい。誤りがあれば、もちろんすべて私の責任である。

20100210

バラバラな援助: 国際援助の断片化はなぜ問題なんだろうか?

VOX のコラムの翻訳です。この話題って、これまでに誰か考えたことがなかったのかな? まさかね... 実際に市場メカニズムを組みこむのが、色々と面倒なのかもしれない。

色々やった方がよいんだろうけど、僕らの税金も、彼らの時間も限られてるわけで。ともかく有効活用しませう。

原文は 「Crushed aid: Why is fragmentation a problem for international aid?」です。


バラバラな援助: 国際援助の断片化はなぜ問題なんだろうか?

Emmanuel Frot と Javier Santiso
18 January 2010

ドナー[1]によって提供される援助がどんどん細切れになり、援助を受けとる国々の多くにとってそれが重荷になっています。私たちがこのコラムで主張したいのは、援助が細切れになりすぎたのが問題なのではなく、援助を提供する側に競争が少なすぎることが問題なのだということです。

国家間の開発援助 (ODA、official development assistance) は急速に発展してきました。100年前はドナーが数えるほどしかなく、補助金を受けとれる国もわずかでした。しかしそれ以降、援助活動は驚くほどの勢いで広まってきています。新しいドナーが登場し、途上国も次々とそれらの国と協力関係を結ぶようになりました。さらに、昔は受け入れ先だった途上国が、今日では援助を提供する側にまわるようになっています。援助される側から援助する側になった国々は、ブラジル・中国・ロシア・サウジアラビア・ベネズエラなど多くはないものの、これによって援助拡大の流れはますます勢いを増しています。

このように援助業界の舞台にあがる役者が増え、援助の分配され方も大きくさま変わりしました。今の援助はてんでバラバラ。つまり、細切れになった(少額の)案件が、多くのドナーからたくさん提供されるという風です(Deutscher and Fyson 2009)。このような援助の断片化は、今ドナーが優先的にとり組みたいと思っている問題です。これまでのところ、ドナー側は調整や分業で援助の断片化を防ごうとしています。この課題は OECD の『援助の効果に関するパリ宣言、およびアクラ行動計画』[2]でもはっきりと示されており、OECD 開発援助委員会 (DAC 委員会、Development Assistant Committee [3]) が断片化の状況を熱心にモニタリングしています。

援助の断片化は緊急課題だと考えられています。なぜかというと、援助の受け手にかかる断片化のコストが、援助の効果を著しく低下させるくらい大きいからです。援助にはドナーが設定した目的や必要条件があまりに多く、事業に関わってくるコンサルタントもたくさんいます。援助の受け手はこのような状況に対応しなければならず、これが負担になって援助の価値が著しく減ってしまうのです。このような作業には相当数の人手が必要で、援助を受けるような国々には管理運営にたずさわる能力のある人が少ないのも普通です。それに、彼ら(のように有能な人たち)はどこか他で働いたほうが国のためにもなるでしょう。これから、私たちの最近の研究成果 (Frot and Santiso 2008, Frot 2009, Frot and Santiso 2010) を使って、問題の広がりや深まりをざっと見てみようと思います。そうすることで援助の断片化についての議論に一石を投じたいのです。

訳注:

[1] 援助を提供する国・国際機関・民間の非営利組織など。このコラムは OECD のデータを使っているので「政府」に限られる(はず)。詳細は Frot, Emmanuel and Javier Santiso (2010), "Crushed Aid: Fragmentation in Sectoral Aid", OECD Development Centre, Working Paper, No. 284. 参照のこと。

[2] 原文は"2005 The Paris Declaration on Aid Effectiveness and the 2008 Accra Agenda for Action"。前者は外務省では「援助効果向上に関するパリ宣言」と呼ばれている。パリ宣言には国際協力銀行による邦訳があるが、アクラ行動計画の邦訳は見つからない。"2008 Accra Agenda for Action"の原文は『The Paris Declaration on Aid Effectiveness and the Accra Agenda for Action』に収録されている。

[3] OECD の開発援助委員会のメンバーは 24ヶ国。オーストラリア、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、アイルランド、イタリア、日本、韓国、ルクセンブルグ、オランダ、ニュージーランド、ノルウェイ、ポルトガル、スペイン、スウェーデン、スイス、イギリス、アメリカ、欧州委員会。出典: OECD 「DAC FAQ」


援助はどれくらいバラバラなんだろうか?

援助の断片化についての数字はかなり刺激的です。援助の分配ががらっと変わってしまった様子をつかむため、ふたつの簡単なグラフでこの40年間の変遷を見てみましょう。

図 1 ではそれぞれのドナーが提供した援助の数を数えてみました。すべてのドナーについて援助の数を数え、ドナー全体の平均値をとって点でおとし、線でつないだグラフです。上の線は私たちが使ったデータに含まれていた開発途上国の総数。つまり、それぞれの年にドナーが援助できる国の上限です。1960 年代のドナーは平均 50ヶ国に援助していました。2006 年にはその数が 100ヶ国以上に増えていることがわかります。もっとも大きなドナーに限って言うと、最近の援助の数は途上国の総数に匹敵するほど多くなっているのが実情です。しかし、このグラフは平均値を使っているため、そのような特定のドナーがどのように援助を分配しているかまではわかりません。

ドナーがより多くの国を援助するようになったため、開発途上国がますます多くのドナーから援助をもらうようになったのは明らかです。1960年には途上国 1ヶ国あたり平均 2つのドナーからしか援助を受けていませんでした。これが 2006年になると平均 28 以上にまで増えているのです。それを示したのが図 2 です。

Figure 1
図1. ドナー 1ヶ国あたりの援助関係の平均 (1960年-2007年)

Figure 2
図2. 援助の受け手 1ヶ国あたりのドナーの数の平均 (1960年-2006年)


援助の断片化の進行状況。

援助の断片化が意味しているのは、単にドナーやその相手国の数が増えたということだけではありません。現状の援助の多くは少額で、普通その管理コストは途上国が格安で負担しています。図 3 はそれぞれのドナーの相手国の数[4]を数えてその平均値を計算したもの、そこに含まれる援助のうち「緊密な援助関係」に該当するものの平均です。DAC 委員会の断片化の定義では、「ある途上国がもらっている援助総額において、あるドナーからの援助額が占める割合」が「そのドナーが実施している援助の総額が世界全体での援助総額に占める割合」より少なければ、「緊密な援助関係」ではないとされています。[5]

Figure 3.

図 3 を見ると、ドナーが援助している国の数と「緊密な援助関係」の総数とのギャップが開いてきているのがわかります。これが断片化の進行です。図 3 の上の線はドナーが相手国をどんどん増やしているのを示しています。それにも関わらず、図 3 の下の線が示しているように「緊密な援助関係」の数はほとんど増えていません。

典型的な場合だと、ドナーの援助予算総額の 80%以上が「緊密な援助関係」に費やされます。「緊密な援助関係」は相手国の総数に比べれば少ないにも関わらず、そのような状況になっているのです。同様に、ある途上国が受けとる援助総額の 80%以上が「緊密な援助関係」にあるドナーからのお金です。ドナーはこれまで相手国を大幅に増やしてきました。たとえそれによって、相対的に少額の援助しか受けられない国々が出てきたとしても、ドナーはそうすることを選んできたということになります。

訳注:

[4] 原文は "the average donor portfolio size"。ドナーの「事業数」の平均かもしれない。上の線が図 1 のものとなぜ微妙に違っているのかは不明。

[5] OECD の「緊密な援助関係」の定義については「訳者によるおまけ」参照。


もう少し掘りすすめてみる: 断片化はセクターで起きているのだ。

ここまでは援助の断片化を国レベルで見てきました。しかし、そこからは断片化の概要しかわかりません。もし DAC 委員会がアドバイスしているように、分業によって断片化を確実に防げるなら、どの部分を補完してやれば断片化を減らせるのでしょうか。それを理解するには、断片化をもっと詳しく見てみる必要があります。

2010年、私たちはセクターごとに断片化の分析を行って、「Crushed Aid: Fragmentation in Sectoral Aid」という論文を書きました。その結果、どのセクターでも断片化が起きていて、その度合いも深まっていることがわかりました。断片化がもっとも激しかったのは社会インフラセクター[6]で、このセクターでは断片化がさら進みそうでした。このセクターが他と違う理由は次のふたつです。

  1. まず、農業・工業・エネルギー関連から社会インフラセクターへと援助項目ががらりと移ってきたこと。社会インフラセクターは今ではかなりの数の援助を獲得する分野になっています。
  2. 通常、社会インフラセクターは投資額が少なくてすむ分野で、他より断片化の影響を受けやすい分野であること。

このように、数を増やしやすい小規模プロジェクトが好まれてきたことも、断片化を生む原因になっているのです。

セクターごとの分析からは、ひとつの国の国内の断片化でさえ複雑な現象なのだということもわかりました。他が断片化していなくとも、社会インフラセクターだけ断片化が激しいのはよくあることなのです。ある国の状況を他の国々にも当てはめるのは難しいと言ってよいでしょう。

こういう事情があったので、私たちは各セクターの断片化がひと目で分かるよう、クモの巣グラフ[7]を使うことを提案しています。これで国どうしの比較が楽になります。この図を比べれば、どの国のどのセクターが一番断片化の影響を受けているかが見えてくるでしょう。

訳注:

[6] 原文は "social sectors"。教育・保健・政府関連のことかと。

[7] レーダー・チャート。あの6角形や星形のグラフ。


断片化を他の切り口で見てみる。

援助に関わる国々がふつう議論するのは断片化の激しさです。ドナーが多すぎるという議論もよくあります。しかしながら、世界には、援助を提供してくれるドナーがほんの数えるほどしかいない国がたくさんあります。そのため、断片化の度合いが小さくなりすぎて、援助をもらえない国が出てきても[8]困ります。この問題をより的確に言いあわらすなら、ドナーどうしの競争が少なすぎるのが問題だということです。

2007年、ある国では一度に 2000件もの事業が同時進行していました。その一方で、ひとつのセクターあたりの事業数の中央値は 19件、平均では 44件になっていました。この数字を見た私たちは、ある特定のドナーがこの国の援助関係を独占しているのではないかと考えました。そして、そのような状況にある開発途上国を見分ける指標をつくることにしたのです。特定のドナーが相手国国内でたくさんのセクターに資金提供しようとすると上の数字のような状況になるのです。

これまでの断片化の研究では、たったひとつの優勢なドナーが得をするのだとするのがふつうでした(例えば、Knack and Rahman 2007)。文献に目をとおしたかぎりだと、データや観察にもとづいた研究も同じような見方をしています。ところが、このように競争がない状況では、私たちの身近な市場のどれもがそうであるように、援助にかかる費用は増えてしまうものなのです。つまり、援助にかかる費用は、(市場原理で決まったものではないので) 実は適切な価格ではないのです。ところが、援助に関する文献をみても、その解決策として挙げられているのは「非競争的な」手段なのです。文献に出てくるのは、例えば、ひもつき援助だとか、外部から影響を与えるだとか、高価なコンサルタントを雇うなどといったものです。

援助「市場」には供給する側が欠けている、という指摘は奇妙ですね。経済学では、ほぼどんな市場でも、競争があったほうがうまくいくことがはっきりしているのですから。けれど、援助業界にはドナーがたくさんいるにも関わらず、競争によって援助の価格が決まるという風にはなっていません。それどころか、援助のコストがかさんだり管理運営上の手続きが増えたりといったことのほうがふつうです。先ほど、相手国を独り占めするような援助を行なっているドナーがいることに触れました。援助を独り占めすると、競争がないせいで、ただでさえ膨れあがっている費用がさらに値上がりするのはあきらかです。しかし、独占的な援助というかたちをとることがコスト削減につながるならば、という理由で好まれているようなのです。

訳注:

[8] 援助が分配されるセクターが少なく、援助の幅が狭いこと。


競争の欠如にどう対処しようか?

私たちの意見はシンプルで、援助の断片化問題の核心は「競争がほとんどないこと」なのだということを示しています。

数え切れないほど多くのドナーが独占状態にあって、競争の恩恵に授かることのないまま、ただコストを倍増させています。ドナーたちが断片化をなくそうと懸命に努力している状況には、そんな裏があるのです。現在とられている方法は、ドナーと相手国が国際会議で約束を交わし、国や組織レベルで断片化を防ごうというものです。約束が守られているかを監視するのは、多くの国々が関わる OECD の DAC 委員会です。ところが DAC 委員会は強制的に約束を守らせることはできません。DAC 委員会にできるのは「悪いのはどっちかな~?」と、まるでお遊びのように問題をデリケートに扱うことだけなのです。

OECD のやり方に効果があるかは怪しいと思います。管理運営コストが大きすぎて困っているのに、さらに DAC 委員会のような管理組織をつくって問題を解決しようとするのは皮肉な感じがします。このような新しい体制で処理コストを減らせるかどうかはまだわかりません。分業体制についても同様です。なかなか分業しようとしないのがドナーの常ですから。OECD のアプローチの問題点は、援助がなぜ断片化するのかという根本的な部分を無視していること。彼らはドナーやその相手国のインセンティブを変えようとはしていません。ですから、彼らの振舞いも大きく変わる見込みもありません。はっきり言えば、OECD のやり方は断片化を生む「競争の欠如」を軽んじているのです。

「中央集権的でない」、OECD とは違った視点でみてみましょう。援助市場において、ドナーはより効率的に、かつもっと説明責任を果たせるようになろうとします。そのため、援助市場を改革し発展させてやれば、断片化を減らすことができるはずです。援助市場がうまく機能すれば、受け入れ国側はもっとも経験豊富で効率的なドナーを選べるようになるのです。このような世の中が実現すると、「緊密でない援助関係」[9] は非効率なので駆逐されてしまいます。また、多くのドナーが競争するようになり、ただコストだけが増えていくような状況にとって換わると思われます。このテーマ、援助業界でどのように市場メカニズムを築くか、について書かれたのが Barder の 2009年の論文です。

中央集権的でない(市場メカニズムを利用した)視点からわかるのは、ドナーどうしが競争しない今の体制が行きついた結果、援助の断片化がおきているということです。市場メカニズムによる方法は、相手国との約束に頼って断片化を阻止するのではありません。そうではなく、競争原理を使って、援助の断片化が長続きしないようにしてしまうやり方なのです。難しいのは、決まり事をつくってインセンティブを適切に設定してやること、そしてドナーにそれを受け入れさせることです。これは決して簡単な作業ではありませんが、今の体制よりやりがいのある将来有望な取り組みでしょう。

援助ドナーたちは、これまで失敗してきたにも関わらず、中央集権的な DAC 委員会方式を採用しました。このような失敗のくり返しが、貧しい国々にとって残念な出来事なのは当然です。援助体制の改革は切実な問題ですが、ふたたび遅れることになりそうです。

訳注:

[9] 原文では "insignificant partnerships" 「緊密でない援助関係」と訳したが、定義は以下のものだろう。以下に続く「訳者によるおまけ」も参照のこと。

III. FRAGMENTATION ON THE DONORS' SIDE

We make use of the OECD DAC definition of fragmentation and extend it to sectors. In each recipient-sector-year, donors・ shares are computed and compared to donors・ shares in the sector at the global level. If the former is smaller than the latter then the partnership is said to be insignificant. Assume for instance that Austria provides 2% of total health aid to Vietnam. If Austria provides 5% of global health aid then its partnership with Vietnam is considered as fragmented or, in other words, insignificant.

訳: われわれは OECD の開発援助委員会による断片化の定義を用い、それをセクターまで拡張した。それぞれの援助受け入れ国における各セクターへの年間割当て額とドナーのシェアを計算し、それを当該ドナーの援助額が世界の援助総額に占める割合と比較した。前者が後者より小さい場合、その2国間の関係を「緊密ではない援助関係」と呼ぶことにする。例えばオーストラリアがベトナムの健康分野の援助で 2%を占めているとする。また、オーストラリアの援助は世界の健康分野における援助総額の 5%だったとしよう。この時、この2国間の関係は断片化していると評価され、「緊密ではない援助関係」にあたることになる。

This first measure suffers from a negative bias towards large donors. Small donors・ global shares are often so low that they correspond to quite small amounts of money for a recipient. It is therefore more often the case that a small donor・s partnership is more significant than that of a large donor. Large donors・ portfolios are likely to appear more fragmented because of this bias. For this reason OECD DAC also takes into account, as a complementary measure, if the donor is among the group of donors that together disburse 90% of total aid to the recipient.

訳: このひとつめの基準には、規模の大きいドナーを過小評価する傾向がある。小規模なドナーの援助は相手国への提供額がごく少なく、世界の援助総額に占める割合も小さくなる。そのため、大規模ドナーの援助に比べて、小規模ドナーの援助のほうがより「緊密な援助関係」だと評価されがちになる。このようなバイアスがあるため、見かけ上、大規模ドナーの援助がより断片化したものだと評価されてしまうのだ。このバイアスには OECD 開発援助委員会も配慮し、当該相手国が受けとる援助総額の 90%の金額で線引きし、当該ドナーによる援助がそのラインを越えるかどうかで欠点を補おうとしている。

出典: Frot, Emmanuel and Javier Santiso (2010), "Crushed Aid: Fragmentation in Sectoral Aid", OECD Development Centre, Working Paper, No. 284. p.20


訳者によるおまけ

「significant partnership」というものの内容が分からなかったので探してみた。たぶん以下がそれ。まとめると、こういうことではないかと... 一応、原文も残しておいた。

基準 1:
「当該ドナーの援助総額が世界の援助総額に占める割合」(A)を計算する。この数字(割合)と、「当該ドナーからの援助が当該相手国がもらっている援助総額に占める割合」(B)を比べる。
基準 2:
当該ドナーの援助額が当該相手国が受けとっている援助総額の 90% を越えるかどうか。
  • B > A、かつ 90% 以上 : 「集中し、かつ重要」
  • B > A、かつ 90% 以下 : 「集中」
  • B < A、かつ 90% 以上 : 「重要」
  • B < A、かつ 90% 以下 : 「特に目立った関係ではない」
Concentrated and important:
(集中し、かつ重要な援助関係)
The donor gives more aid to this recipient than its global share of aid would suggest, and is among the larger donors that together provide at least 90% of this recipient・s aid (i.e. the answer to both questions above is yes).
Concentrated:
(集中した援助関係)
The donor gives more aid to this recipient than its global share of aid would suggest, but is still among the smaller donors that together account for less than 10% of this recipient・s aid (i.e. yes to question 1 and no to question 2).
Important:
(重要な援助関係)
The donor gives less aid to this recipient than its global share of aid would suggest, but is among the larger donors that together account for at least 90% of this recipient・s aid (i.e. no to question 1 and yes to question 2).
Non-significant:
(特に目立った関係ではない)
The donor gives less aid to this recipient than its global share of aid would suggest, and is among the smaller donors that together account for less than 10% of this recipient・s aid (i.e. no to both questions).

Box 4.1. Examples of a donor・s relative presence at country level

Sweden・s core aid amounted to USD 1.1 billion in 2008, representing 1.5% of global core aid. This was extended to 68 recipient countries, of which 31 were priority countries (which received 79% of total Swedish core aid). The average core aid in its priority countries was USD 28 million - versus an average in its non priority countries of USD 6 million.

訳: スウェーデンの援助総額(2008年)のうちコア援助に該当するのは 11億ドルで、世界のコア援助総額の 1.5%である。スウェーデンはこれを 68ヶ国に分配している。68ヶ国中 31ヶ国が(OECDが決めた)「優先的に援助すべき国」で、スウェーデンの援助総額に対する 31ヶ国の割合は 79%。一方、世界の「優先的に援助すべき国々」がもらっているコア援助の平均は 2800万ドル、それに該当しない国々では平均 600万ドルになっている。

  • In Macedonia, FyR, Sweden provided USD 9 million in 2008 representing 4.9% of all core aid to the country. Therefore Sweden・s core aid contribution to Macedonia, FyR is concentrated. Furthermore, Sweden is among the “top 90%” donors in Macedonia, FyR and therefore important in terms of significance. This aid relationship is in category A (concentrated and important).
    訳: マケドニア FYR はスウェーデンから 900万ドルの援助を受けた(2008年)。これはマケドニアがもらったコア援助総額の 4.9%である。したがって、スウェーデンからマケドニアへのコア援助は「集中」状態に該当する。さらに、スウェーデンからマケドニアへの援助額は、マケドニアがもらっている援助総額の「90%」を越えている。そのため、援助関係の「重要性」は「重要」にも該当することになる。すなわち、この 2ヶ国の援助関係はカテゴリー A、 「集中し、かつ重要」な関係であるとされる。
  • In Sudan, Sweden provided USD 12.3 million, representing 1.6% of total core aid to the country and therefore above its global share. However, in Sudan, Sweden is not among the top 90% donors. This aid relationship is in category B (concentrated).
    訳: スーダンはスウェーデンから1230万ドルの援助を受けた。これはスーダンがもらっているコア援助の 1.6%、スウェーデンのコア援助が世界のコア援助に占める割合である 1.5%よりも多い。しかし、スウェーデンからスーダンへの援助は、スーダンがもらっている援助総額の「90%」を越えるほど多くはない。したがって、スウェーデンとスーダンの援助関係はカテゴリー B、「集中」した関係にだけ該当することになる。
  • In Vietnam, Sweden extended USD 32.6 million representing 1.3% of core aid to the country. Despite this smaller share, Sweden is among the top 90% donors. This aid relationship is in category C (important).
    訳: ベトナムは金額にして 3260万ドル、コア援助全体の 1.3%をスウェーデンから受けとっている。割合は小さいながら、スウェーデンからベトナムへの援助は、ベトナムがもらっている援助総額の「90%」以上だ。したがって、この 2ヶ国の関係はカテゴリー C の「重要」な援助関係に該当している。
  • In Sri Lanka, Sweden provided USD 6.4 million, representing 0.7% of total core aid to the country, significantly below its global share. Sweden is also not among the top 90% donors to that country. This aid relationship is in category D (non-significant).
    訳: スリランカはスウェーデンから 640万ドル、コア援助総額の 0.7%の援助を受けている。0.7%という数字は、先程の 1.3%からかなり低い数字だ。また、スウェーデンからスリランカへの援助総額も少なく「90%」ラインを越えていない。このような関係はカテゴリー D、「特に目立った関係ではない」援助関係に該当する。

出典: 『2009 OECD Report on Division of Labour: Addressing fragmentation and concentration of aid across countries』 (pp.19-20. PDF直リンク、全66頁、4MB)

References

  • Barder, Owen, (2009), "Beyond Planning: Markets and Networks for Better Aid", Centre for Global Development, Working Paper 185.
  • Frot, Emmanuel and Javier Santiso (2008), "Development Aid and Portfolio Funds: Trends, Volatility and Fragmentation", OECD Development Centre, Working Paper No. 275.
  • Frot, Emmanuel (2009), "Early vs. Late in Aid Partnerships and Implications for Tackling Aid Fragmentation", Working Paper, 2009.
  • Frot, Emmanuel and Javier Santiso (2010), "Crushed Aid: Fragmentation in Sectoral Aid", OECD Development Centre, Working Paper, No. 284.
  • Deutscher, Eckhard and Sara Fyson (2008). "Improving the Effectiveness of Aid", Finance and Development, September, Volume 45, Number 3.

20100207

FT論説 - 量的緩和が中断されたが、英国債市場は冷静なのである。

さて、2 月4~5 3 ~ 4 日、イングランド銀行の金融政策委員会が開かれました。金利はすえ置き、資産買取りプログラム(APF)は一時中断とのこと。ちょっと動きましたね。ニュースリリースはこちら。議事録は 10 日に公表され、イングランド銀行のサイトでダウンロードできるようになるでしょう。インフレーションレポートも10 17 日発表。現地時間 午前 10 時 30 分からオンラインで会見が見られるようです。再び麗しのキングさまの動くお姿に...いや何でもありませんw

この記事の本意は、イギリスで今年行なわれる選挙を見すえて、イングランド銀行をせっつくことであって、量的緩和が駄目だと言っているわけではないことに注意。くれぐれも誤解なきよう。イギリス総選挙に向けての今後の動向から、何らかの教訓が得られるかもしれないですね。原文はこちら

2010年2月10日: 日付の誤りを訂正しました。


量的緩和が中断されたが、英国債市場は冷静なのである。

クリス・ガイルズ、経済部・編集者、4 Feb 2010 8:14pm

木曜日、イングランド銀行は資産買い入れによって通貨を供給する(creating money)プログラムの中断を発表した。しかし、イギリス政府債市場は砂漠のオアシスのような穏やかさを保ったままだ。

2009年3月に始まった量的緩和制度は、300 年のイングランド銀行史上はじめての試みで、マネーの量を増やして国内の支出が増えるようにし向けるための政策であった。

懸念されていたのは、イングランド銀行が政策金利を 0.5 %に据えおき、マネーの供給を 2000 億ポンドで止めてしまった場合、英国債の利回りへに上昇圧力がかかるのではないかということだった。イングランド銀行はこれまで英国債の最大の買い手だったからである。

しかし、投資家はイングランド銀行の分かりやすい振舞いを読み取っていたし、資産買取りで発生した負債を政府が払い戻す能力も心配してはいなかったということになる。木曜日の英国債 10 年ものの利回りは、発表があった正午過ぎに跳ねあがったが、すぐに下がったのだ。

この日、エコノミストたちは量的緩和が機能していたかどうか議論し続けていた。イングランド銀行の金融政策委員会によると、2000 億ポンドの資産買取りは「しばらくの間、国内経済に金融的刺激を与え続けるのには十分」だろうとのことだ。しかし、量的緩和の効果には具体例が少ないと指摘することもできるだろう。

野村證券のピーター・ウェスタウェイは「量的緩和の導入は(市場の)動向に大きく影響したと思っています。」と述べているが、ファソム・コンサルティングのダニー・ガーベイは「イングランド銀行の量的緩和プログラムによって、何か実質的な変化がおきたことを示す説得力ある証拠はほとんど見つかりませんね。」と主張している。

誰も本当にはっきりしたことは言えない。イングランド銀行が 2009 年 3 月に行動をおこさなかった場合の結末が分からないのは、われわれにとって大問題である。

量的緩和の効果には状況証拠があるものの、効果があると言い切るには証拠がまだまだ足りない。2009 年第 4 四半期、イギリス経済はなんとか景気後退を抜けだし、第 3 四半期には現金支出が 1.1 %上昇してもいる。ともに、不況を阻止して回復を支えるというイングランド銀行の目標をいくぶんは満たすものだ。

この回復が量的緩和のおかげかどうかがはっきりしない。現在、見通しがわずかに上向いているのは、他にたくさんある要素の影響でもあるからだ。経済にはもともと成長する傾向があるし、財政刺激もおこなわれてきた。エネルギー価格は安価で、世界的に見れば資産価格も上昇している。景気見通しの回復にはこれらも影響している。

量的緩和の効果をはかる中間指標には残念な結果に終わっているものもある。一般家計と非金融関連企業の手元にあるマネーの伸び率(平均、年率換算)は、量的緩和後も衰え続け、2009 年 12 月にやっと前年比 1.1 %上向くだけに留まっている。イングランド銀行は量的緩和がなかったなら、その伸び率はもっと小さかった可能性があると指摘する。しかし、そもそも彼らが目指していたのは、この 10 年間の多くの年でみられたような 7 ~ 8 %の伸び率ではなかったか?

社債市場において、イングランド銀行は社債を買い取ってきた。量的緩和の開始とともに、イングランド銀行の買取り要件を満たす証券の利回りが他の証券に比べて下がった。しかしこの効果はやがて弱まってしまった。

政府債市場でも、量的緩和やそれを拡張するような施策が発表されると、政府の借入れコストははっきりと下がった。しかし、2008 年末の金利引き下げに比べればその影響は小さかったし、これまた時とともに減衰してしまうこととなった。

ひとつ成功したのではないかと思われる印がある。それはイギリスの社債市場で企業が - 事実上、(一般の)銀行を通さずに - より多額の借金をするようになり、昨年に比べて社債市場が流動性を増してきているように見えることだ。

このように量的緩和の効き目は証拠不十分。エコノミストも肩をすくめ、量的緩和には「まぁ害はなかったみたいだね」と言っている。しかし、イギリスがジンバブエのようなハイパーインフレに見舞われることはなかったし、経済も今のところは回復しているように見える。

このように、量的緩和について確信のあることを言えないのが問題だ。これから、政治家が財政赤字削減の適切なペースを論ずることになるだろう(訳注: イギリスでは 2010 年前半に総選挙が行なわれる)。その際の討論を有意義にしたければ、金融政策が財政引き締めをうまく相殺できるということを政治家に理解させておく必要がある。イングランド銀行がまだそれを保証できないでいるのは問題として残っているということだ。

20100130

FT論説 - デフレーションにはまっている日本のとある一日。

テミンさんの本ばかり読んでいるので、英語がご無沙汰... というわけで、こっそりと。

原文はこちら


デフレーションにはまっている日本のとある一日。

January29, 2010 10:38am by RobinHarding

今日、日本の"コアコア"消費者物価指数が発表された。コアコア消費者物価指数は食料とエネルギー関連物価をのぞいた物価指数だ。日本の12月のコアコア消費者物価指数は前年比 マイナス 1.2%、1971年以来最大の下げ幅である。日本の政治経済界でデフレーションの議論が盛んだった 2001年当時より悪化した数字だ。

ところが、東京のエコノミストたちはこれに無関心なようである。日本銀行の火曜日の会合でもたいしたことは言われていない。日本銀行自身が 2010年と 2011年にもデフレーションが居つくだろうと予測しているにも関わらず、である。大臣から日本銀行への働きかけは形だけで、2001年から続けられてはいるものの、日本銀行への圧力にはまったくなっていないと専門家は言う。

本誌名物の「Lex コラム」は、水曜版で自信たっぷりに次のように書いている。(訳注: 該当する「Lex コラム」はこちら。「Lex column」は Jo Johnson が編集担当。)

「さらに、データは日本銀行のさらなる金融緩和の十分な根拠にもならない。デフレーション(訳注: 日銀の英文統計レポート、PDF直リンク)は改善していないが、悪化してもいない。円相場もまだ本当に危機的なわけでもない...(中略)...白川氏がまだ強硬なのはもっともである。」

驚きましたね... デフレーションは日本経済に10年も毒を盛りつづけてきた。今回、コアコア消費者物価指数の下げ幅は記録更新している。もちろん、物価の下落幅はエネルギー価格の値上がりで緩和されるだろうが、人々はこの状況に頭を悩ますべきだ。物価はただただ下がりつづけ、これ以上ひどくなりようがないところまできている。デフレ期待がしっかり根を張ってしまえば抜けだすことはほぼ不可能になってしまう。

議論が盛んかどうかは別にして、極端な金融政策に反対意見があるのは理解できる。しかし、デフレーション(もしくは、そのようなもの)が10年以上続いたにも関わらず、まだこのような意見があること自体、日本や日本銀行がいかに物価の下落を成りゆきまかせにし、ほとんど対処してこなかったかを示しているように私には見えるのだ。(政策的)態度がこんなでは、デフレーションに終わりがくるなどと楽観的になれるはずもない。「期待」が経済に果たす役割は大きい。人々が楽観的になれなければ、デフレーションも終わらないだろう。

20100121

FT論説 - イギリスのインフレ警報に騙されてはいけない。

イギリスでインフレ率が上がってきました。ハイパーインフレになるんですかねw この記事は、そういう人たちへの苦言でありクギを刺すような内容です。

文中に登場するキング総裁の言葉、「ディスコ...云々」は「Speech by the Governor, Mervyn King(To the University of Exeter Business Leaders’Forum)」(PDF直リンク)に納められています。僕は未読。

原文はこちら


FT論説 - イギリスのインフレ警報に騙されてはいけない。

Published January20 2010 20:16 | Last updated January20 2010 20:16

イギリスのインフレ率が予想よりずっと早く上昇してきている。消費者物価指数(前年比)は 11月の 1.9% から 12月の 2.9% へと跳ねあがった。神経質な人たちが騒いでいるが、インフレが制御不能になるという懸念にはほぼ根拠がない。イギリス経済にとっては、依然デフレと低成長のほうがずっと危険なのである。

いくぶんのインフレ率上昇は多くの人が予想していたことでもある。政府のインフレ指標は物価水準が前年からどれくらい変化したかを調べている。つまり、一年前に物価がどれくらいだったかを見て、それを今の物価と比べるわけだ。最新の数字がこのように大きく出たのは、2008年12月の特殊な状況にその多くを負っている。2008年12月の物価は、付加価値税率引き下げ・小売り業の必死の値下げ・原油価格暴落で低下していたのだ。

これらすべての揺りもどしが今きていると考えてよい。加えて、劇的なポンド安も小売価格低下の追い風になっている。今週イングランド銀行のマービン・キング総裁が講演をおこなったが、彼もこの数字を重く見てはいない。総裁はご自分の言葉を引用してこうおっしゃっている。マクロ経済データは「時代遅れのディスコダンス - 意外な向きに急に動いたほうが人を興奮させられるもの。五月蠅い騒音のおまけつき。」のようであると。

今回はディスコのビート音が特に大きくなっているのかもしれない。2.9% という数字はエコノミストが予想していた 2.6% より随分大きい数字なのだ。キング総裁の喩えがうまいかどうか判断は読者にまかせよう。しかしとにかく、彼のメッセージ全般 - あなたがお立ち台の上にいようが下にいようが - とにかく落ち着くように、というメッセージはまったく正しいのである。

物価上昇圧力が賃金に飛び火しないかぎり、やがて一時的な要素が除かれインフレ率は再びゆっくりと下がっていくだろう。本当の懸念はインフレ率が上がってこないことのほうなのだ。これはすなわち、イギリス経済にデフレ圧力が居すわってしまうことを意味するのだから。

キング総裁が指摘したように、危機がおきなければイギリスの国家収入は今より 10% 増えていたはずだ。一部は永久に失われてしまったかもしれないが、国内生産能力にはまだかなりの余裕があるのである。火曜(訳注: 2010年1月19日)発表の雇用統計は失業率の低下を示している。しかし、それとてこの見方を変えるようなものではない。その統計では被雇用者数も同時に減っているからだ。つまり、労働者は職を得て失業状態から抜けだしたわけではなく、労働力が活用されることなくすっかり放置されたままになっているということである。そしてそのような状況にもかかわらず、半年経っても職を探しつづけている人々の数はまだ増え続けている。

このような状況で、インフレを危惧するあまり、積極的な金融政策の足をひっぱるようなことは断じてしてはならない。英国債買い入れによる「量的緩和」を含め、イングランド銀行による緩和的な政策は今もまだ適切である。物価連動債と名目債の利回り格差をみると、市場は今後10年の小売価格のインフレ率を平均 3% と考えている。これまでの英国小売物価指数(RPI、訳注)を調べると RPI は CPI より 0.66% 大きい。したがって、市場の期待インフレ率はイングランド銀行のインフレ目標、CPI 成長で 2% という値に近いのである。

訳注: イギリスの消費者物価指数には CPI と RPI のふたつがある。バスケットの中味・重みづけ・対象人数・計算式などが違う。CPI は国民所得勘定から計算し RPI は数千戸の追跡データを使う。そして CPI の値は常に RPI より低く出る。国際基準に沿っているのは CPI のほう。その違いについてはイギリス統計局の「Consumer Price Indices - A Brief Guide」ページにある「Consumer Price Indices - A brief guide」というブックレット参照(24頁)。

実際、イングランド銀行の現状の計画からは量的緩和の終わりが間近であることが読みとれる。彼らが購入できる英国債の上限は2000億ポンド。その上限まであと50億ポンドしか残っていない。再度量的緩和にとり組むことを考えれば、今インフレのデマに騙されてイングランド銀行の足をひっぱるべきではない。

20100120

Great Moderation はどとめをさされたってか?

Twitter で hicksian さんが「Great Moderation、まだまだ続いてます(今後も継続しそうだよ)」とつぶやいていた。Great Moderation ってナニ? と思ったので、紹介されていた Vox の論文をチラ見してみた...

ボラティリティ? (調べる) ほーほー。Great Moderation? (また調べる) ははぁ...(笑)。グーグル先生にお伺いを立てると"The Great Moderation" は「大平穏(期)・超安定化・大いなる安定・マクロ経済の安定(Great Moderation)・大安定(化の時代)...」と訳されている。僕は「マクロ経済の安定(Great Moderation)」が親切だと思うけど、night_in_tunisia さんは「今のところ大安定期がしっくりくる」と言っている。ちなみに日銀は「大いなる安定」を使っている。皆さんはいかがでしょうか。

イメージとしては海の「大凪(おおなぎ)」がぴったり来るんだけどなぁ。あとは「間氷期」とか。もし、あなたのところに翻訳の神様が降臨してひらめいたら、こっそり教えてくださいませ。

原文は「Does the Great Recession really mean the end of the Great Moderation?」です。


今回の金融危機で Great Moderation が終わったというのは本当なんだろうか?

Olivier Coibion Yuriy Gorodnichenko
16 January2010

はたして Great Moderation は「たまたまおきたこと」だったのかな?  いやいや、金融政策がうまくインフレを手なずけたんだよ、僕らはこのコラムでそう主張するつもりだ。現在の景気後退が歴史的にみてもひどいのははっきりしてる。でも、ボラティリティは 1970 年代のレベルにはもどらない感じだ。以下ではそれについても述べていこうと思う。

「Great Moderation の原因についてはっきり知っている人はどこにもいない。金融市場がより洗練されてきたからだと言う人もいれば、FRB の叡智うんぬん...と言う者もいる。しかしだね、それがたまたまだったってことは分かってるんじゃないかね?」-ロバート・ライシュ、2008年7月15日。

Great Moderation は終わったのか?

戦後最悪の不況が目前にせまってきた時、たくさんの人が Great Resession が Great Moderation に終止符をうつぞと騒ぐようになった。Great Moderation の研究者は「たまたまだったなw」とか「グッド・ラックwww」などと嘲笑された。(訳注: 後述のように Great Moderation の原因には「たまたま運がよかっただけ」説と「よくできた政策のおかげ」説がある。で、ここでは、運がよかった="good luck" にかけて嗤っているわけです。後ろのやつは「あーあ、君これからどうすんのよ?」的に。)

Great Moderation は、とくに「よくできた政策」説をこきおろすことで劇的な終わりを迎えたようにみえる。「よくできた政策」説というのは、ポール・ヴォルカー元FRB議長の姿勢 - インフレには積極的な金融政策で対応し、インフレをおこしそうなイベントに厳しく対処したりインフレ率をしっかりコントロールしたりする - をベースに Great Moderation の原因を説明するお話だ。 (Clarida, Gali, and Gertler 2000, Boivin and Giannoni 2006, Lubik and Schorfheide 2004, and Coibion and Gorodnichenko 2009)

「今の金融政策だって上のヴォルカーの態度とそんなに変わらないんですがなにか?」

僕らが Great Moderation の終わりを主張する人に言いたいのはそういうことだ。

それはとっても誇張されているのデス(A greatly exaggerated death)

僕らが思うに、今の不況は Great Moderation の終わりなんかじゃない。たしかに景気後退はとても厳しいけれど、ボラティリティは 1970 年代に比べればかわいいもんだ。ということで図1。図1 は実質GDP成長率(四半期)を年率換算してその標準偏差をプロットしたもの。上のグラフで使ったのはこれまでの研究にあった値の5年平均、下は同じものの幾何平均に脚注のように重みづけしてある。

1990 年代のボラティリティが 1970 年代の半分くらいになっているのがはっきりわかる。これが Great Moderation。5年平均グラフ(上)にあるボラティリティの跳ねあがりは、Great Moderation 期におきた景気後退だ。今回の景気後退によるボラティリティ上昇が他より大きいのもわかるでしょう。とはいえ、現在のボラティリティもマクロ経済評論家やフィラデルフィア連銀のようなプロの予測値(2009年 12月)も 1970 年代のまだずっと下なんだけどね。

幾何平均に重みづけしたグラフ(下)をみると、ボラティリティがそのピークを過ぎたことがよーくわかる。僕らが使った重みづけは時間的に離れた期間の影響を軽くするようなもので、2009 年のボラティリティのピークがよりはっきりわかる。さらにさらに、プロの予想屋さんたちの最悪の予測でさえ、1970 年代のボラティリティに比べればずっと小さいのもよーくわかるんじゃないでしょうか。

図1. 実質GDP成長率の標準偏差(上: 重みづけなし、下: 重みづけあり)

Great Moderation の原因には「たまたま運がよかっただけ」説と「よくできた政策のおかげ」説がある。どちらも景気後退がおきないだろうなんてことはほのめかしもしてないし、それがひどい景気後退になるかもしれないなんてこともまったく言ってない。アメリカ経済は 1980 年代からつい最近まで安定していたけれど、今後はどうなんだろうか? 意外なことに、ふたつの説が描くアメリカ経済の将来はまったく違っている。「たまたま」説によると、このさきも安定するなんて可能性はほとんどない、運はつきちゃったから。逆に、「よくできた政策」説は著しく大きいボラティリティなどあり得ないと言っている。というのも、マクロ経済学者や為政者には 1970 年代の有用な教訓があるから。彼らは経済を安定させる方法についてそこから学べるというわけだ。図1 は「よくできた政策」説を裏づけているようにみえる。今回の景気後退は歴史的惨事ではあるけれど、だからといって 1970 年代のようなボラティリティが戻ってくる感じではない。今回の事件も、せいぜい穏やかな時代に嵐が激しく荒れ狂ったくらいのものだろう。

脚注

1 僕らがやった幾何平均の重みづけというのは次のようなものだ。現在値の重みづけを1とする。その前の期間 t-1 にはδの重みをつけ、そのまた前の期間 t-2 にはδ2 とやっていって、δt-19まで。δは 0.9 とした。このδ値は、短期ノイズが最少になる値と時間的に離れたデータの down weghting を均衡させるような値になっている。

インフレ目標2%を断行せよ