IMF の『Rethinking Macroeconomic Policy』(PDF直リンク,19頁,206KB) から「II. What we thought we knew」 を抜粋して訳しました。
まず感謝の言葉を。そもそものきっかけを頂いた田中秀臣さんと night_in_tunisia さんに。大変お待たせして恐縮です。そして、実際に同じペーパーの 「IV. Implications for the Design of Policy」 をすばやく訳出した矢野さん、同じ翻訳でも別の切り口でせまった飯田さんからは、記事を通して訳語や言いまわしのアイディアをいただきました。また Twitter でポイントを示してくれた hicksian さん、このペーパーをネタにやりとりしていた皆さんにも感謝。同じく参考にさせていただきました。
以下に示した目次からわかるように、各章の A ~ F が対応しています。田中さんの『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』(講談社、2006年) とあわせて読むと幸せになれると思います。
誤訳は僕の責任です。読んでいただければ分かるとおり経済学については初心者。そのため、傾向としては、かみ砕く過程で誤ることがありそう。それもまた僕の力不足。自己責任でご利用くださいませ。
最後に、僕が「どひぇ~やっちまったべ...」と思っている時に、淡々と、いつものように「くだらないこと/くだること」を僕の TL に流してくれた数人の方々にとくに感謝したいと思います。今後もよろしく(笑)
以下に関連リンクを。
マクロ経済政策再考
Olivier Blanchard, Giovanni Dell'Ariccia, and Paolo Mauro
マクロ経済学者や政策担当者は「Great Moderation」[1] によって安心し、自分たちはマクロ経済政策の使い方を知っているのだと思ってしまうことになった。今回の危機の発生によって、われわれが自分たちの考えを問い直さねばならないことははっきりしている。本稿において、われわれは危機以前のコンセンサスの主なポイントをふり返っている。われわれのどこが間違っていたのか、危機前の枠組みについての見解のうちどれがいまだに有効なのかを整理していく。そして最後に、今後のマクロ経済政策の新しい枠組みについて、その輪郭を描いてみることにする。
Contents
- I. Introduction
- II. What We Thought We Knew
- A. One Target: Stable Inflation
- B. Low Inflation
- C. One Instrument: The Policy Rate
- D. A Limited Role for Fiscal Policy
- E. Financial Regulation: Not a Macroeconomic Policy Tool
- F. The Great Moderation
- III. What We Have Learned from the Crisis
- A. Stable Inflation May Be Necessary, but Is Not Sufficient
- B. Low Inflation Limits the Scope of Monetary Policy in Deflationary Recessions
- C. Financial Intermediation Matters
- D. Countercyclical Fiscal Policy Is an Important Tool
- E. Regulation Is Not Macroeconomically Neutral
- F. Reinterpreting the Great Moderation
- IV. Implications for the Design of Policy
- A. Should the Inflation Target Be Raised?
- B. Combining Monetary and Regulatory Policy
- C. Inflation Targeting and Foreign Exchange Intervention
- D. Providing Liquidity More Broadly
- E. Creating More Fiscal Space in Good Times
- F. Designing Better Automatic Fiscal Stabilizers
- V. Conclusions
- References
I. はじめに
1980 年代初め以降、景気の循環的な変動[2] が穏やかになっている。そのため、マクロ経済学者や政策立案者たちは、ついつい自分たちがそれに大きく貢献していると考えてしまいがちだったし、自分たちはマクロ経済政策をどう行なえばよいかわかっていると結論づけてしまいそうにもなった。われわれはその誘惑を否定はしない。いずれにせよ、今回の危機によって、われわれがそのような自己評価に疑問を持たざるを得なくなっているのは明らかなのだ。
その疑問がまさに本稿のテーマである。3 段階に分けて論じていこう。まずはじめに、「自分たちにはわかっている」とわれわれが思っていたことについて。次に、それのどこが間違っていたか。最後に、3 つのうちで最も不確かな、新しいマクロ経済政策の枠組みの青写真について論じてみよう。
本論に入る前にまず注意点を。本稿は一般原則に焦点をあわせて論じている。これらの原則を特定の政策アドバイスとして翻訳し、先進国や新興国、そして開発途上国むけに仕立てていくのは今後の課題だ。また、本稿は今回の危機による幾つかの大きな問題にはほとんどふれていない。国際通貨制度の成りたち[3] や金融規制とその監督のしくみ全体などがそれだ。これらについては本稿で取りあげる課題に直接関わる範囲でふれるにとどめた。
II. われわれが知っていると思っていたこと。
まず全体を簡単に描き出してみよう (より細かな差異については後述する)。: 通貨政策の目標はインフレーションで、そのツールが政策金利というように、われわれは単純化して考えていた。インフレが安定している限り産出量ギャップは小幅で安定し、その状況では通貨政策がうまく機能するだろうと見込んでいたのだ。一方で、財政政策は政治的にかなり制限のある本来の有用性を発揮できない補助的なもの、金融規制にいたってはマクロ経済政策の枠外のものとしてしまっていた。
正直なところ、このような見方は研究者に多かった。政策当局者はもっと実際的な人たちである。しかしともかく、政策は多くの人の合意にしたがって立案されていたし、制度設計にしてもそれは同じだった。そこで重要な役割を果たしていたのは人々のコンセンサスである。そして、われわれは上に述べたような考えを徐々に増幅させ、変調させていくことになる。
A. ひとつの目標: 安定したインフレーション
中央銀行の使命に反しない範囲で、低率かつ安定したインフレが一番の目標にすえられた。これはひとつには、経済活動よりインフレを重視したいという中央銀行幹部の世間体[4]の問題だった (当初、彼らは 1970 年代の高いインフレ率を下げたいと望んでもいたのだ)。そして同時に、専門家がニュー・ケインジアンモデルによるインフレ目標政策を支持していたことにもよる。標準的なニュー・ケインジアンモデルによると、インフレの継続は実によい政策なのだ。このモデルでは、インフレを継続させて産出量ギャップをゼロに近づければ、不完全な市場で行なわれる経済活動の産出をもっともうまく引き出せる[5]ことになっている。産出量ギャップとは、名目硬直性がないときにみられる産出レベルからとの差として定義されるものだ (Blanchard and Gali, 2007) [6] 。
中央銀行が自らへの信任を重視し、インフレ目標政策はニュー・ケインジアンモデルによって裏づけられていた。このふたつのめぐり合わせは天啓だ (そう呼ばれてもいる)。しかし、それが暗示していたのは、たとえ政策当局が十分経済活動に配慮しても、可能なのは、せいぜい安定したインフレの維持くらいだということ。経済が「アニマル・スピリッツ」に影響されていようが、消費者の選択にショックを与えるような出来事や衝撃的な技術革新に影響されようが、はたまた原油価格の変化に影響されようが、政策はこのふたつに照らしあわせて考えられることになった。市場がより不完全になり標準的な状況から離れるにつれ、この組みあわせによる政策はうまく行かなくなった。しかし、そこにあったメッセージだけは残った。それがつまり、安定したインフレ状態はそれ自体には問題がなく[7] 、経済活動にとってもよいものなのだというメッセージである。
しかし、実際に中央銀行が行なったことをみればこのような言い方は言いすぎだろう。インフレだけを気にする中央銀行などほとんどなかったと言ってよい。中央銀行の多くは「柔軟なインフレ目標」を採用していたのである。使われていたインフレの安定目標は、その数字を何が何でも守るというものではなく、インフレ率をあるレベル以上に維持する際の基準として扱われるものだった。多くの中央銀行は、原油価格高騰などによる参照インフレ値[8] の変動を考慮していたし、インフレ予想が大きくぶれないよう備えてもいたのである。
B. 穏やかなインフレーション[9]
やがて、インフレーションは安定すべきだけでなく、値もかなり低くあるべきだというコンセンサスが広まった (多くの中央銀行が選んだ数字は 2% 近辺だった。Romer and Romer, 2002.) 。同時に、流動性の罠におちいる可能性があるのに低いインフレ率を採用するのはいかがなものか、という議論もおきた。平均インフレ率を低くすると、短期名目金利の平均も低くなる[10] 。そして、名目金利がゼロに近くなれば、金利の下がる余地はだんだん減っていく。金利にそれ以上下がる余地があまりなくなっていくということだ。これはつまり、景気の足を引っぱる出来事がおきても、通貨政策を使ってインフレをおこす余地が小さくなってしまうということでもある。これが流動性の罠と呼ばれるものだ[11] 。ところが低いインフレ率の危険性は小さいとみなされた。これは次のような論理による[12] 。いま仮に、中央銀行がマネーの名目成長率を高く保つと確約できたとする。つまり、中央銀行が将来的にインフレ率を高めると宣言し、それにしたがってきちんと手を打つことを信用してもらえたらどうなるだろうか。この場合、中央銀行は将来的にインフレ率が上がりそうだという人々の予想を高められる。人々のインフレ予想が高まれば将来の実質金利は下がるので、現在の経済活動を活性化できることになる (Eggertsson and Woodford, 2003.)。経済に大きなショックがなければ、2% のインフレ率は緩衝材として十分そうだし、名目金利がゼロより低くなれない問題[13] を気にしなくてもよさそうに思われた。こうして、中央銀行のコミットメントの重要性と彼らが人々のインフレ予想に働きかける能力は特に重視されるようになったのである。
「大恐慌」の際におきた流動性の罠では、激しいデフレーションと低い名目金利が結びついていた。それは歴史上のお話のように思えたし、今なら避けられる類の政策の誤りのせいでもあった。われわれの行く手には、'90年代の日本のデフレやゼロ金利、長びく景気低迷が不穏な感じで立ちふさがっていた。しかしその日本の状況は、日本の中央銀行が将来のマネーの成長やインフレ率にコミットする能力に欠けていたか、もしくは彼らがそうしたがらなかったのが問題で、その上さらに他の面の改善が遅れがあわさっただけだ。(公平を期すためにつけ加えるなら、アメリカ連邦準備銀行も 2000 年代初頭には日本銀行同様デフレのリスクを心配していたし、彼らが日本の経験に学んだのも確かである。Bernanke, Reinhart, and Sack, 2004. 参照。) [14] [15]
C. ひとつの政策ツール: The 政策金利
通貨政策はだんだんひとつの政策ツールを集中して使うようになった。政策金利、つまり中央銀行がしかるべき公開市場操作によって直接コントロールできる短期金利がそれである。中央銀行がこの政策ツールを選んだ背景には仮定がふたつあった。ひとつめは、通貨政策の実際の効果は金利と資産価格を通じてあらわれ、通貨供給量に直接影響を与えることによってではまったくないのだという点 (例外は、欧州中央銀行の「ふたつの柱」政策だ[16] 。欧州中銀は経済に存在する信用の量に直接注目している。この政策は十分な理論的根拠がない、と馬鹿にされることも多いのだが)。ふたつめの仮定は、金利と資産価格はすべて裁定取引[17] によってリンクしているというもの。そのため、長期金利は適切に重みづけされたリスク調整済みの将来の平均短期金利によって、資産価格はファンダメンタルズ - リスク調整され割引かれた現在の資産価格 - によって決まることになる [18] 。
この仮定にしたがうなら、通貨政策は現在と将来の短期金利の予想に影響を与えるだけでよいことになる。他の金利や価格はすべてそれについてくるからだ。そしてそれを実施するには、暗示的・明示的に、透明性があって予測可能なルールを使えばよい (そのため、透明性や予測可能性がこの20年間の通貨政策のメインテーマだった)。例えば、アメリカ連邦準備銀行の政策を説明するテイラー・ルールでは、現状の経済環境の関数によって政策金利を計算している [19]。短期・長期両方の社債市場のように、一度にひとつ以上の市場に介入しようとすると、重複してしまったり矛盾してしまったりするものなのである。
これらの仮定がなりたっていると、金融の仲介活動のこまごまとした部分はほとんど重要でなくなってしまう。しかし銀行 (特に商業銀行) は例外で、ふたつの点で特殊だとされた。まず 1 点目 - これは通貨政策の運営からというより理論的な文献においてだが - は、銀行の信用は特殊で他のタイプの信用で置き換えられないように思えた。これによって「信用経路 (信用チャンネル) [20] 」の重要性が浮き彫りになった。信用経路という考えのもとでは、通貨政策は準備金の量から銀行の信用を通じて経済に影響を与える。銀行の特殊性の 2 点目は流動性の置き換えにかかわっていた。当座預金は銀行の負債として、融資は銀行の資産として捉えることができる。したがって、これらは取りつけ騒ぎ [21] の問題をはらんでもいる。そのため、政府による預金の保証や、中央銀行の昔からの最後の貸し手としての役割が十分な根拠を持つことになった。こうして、銀行に対する規制や監督を正当化するような政策決定上のゆがみが生じた。結果として、マクロ経済レベルでみた金融システムの残りの部分には、あまり注意が払われなくなってしまったのである。
D. 財政政策の役割の限界
「大恐慌」の後遺症やケインズの影響によって、財政政策は - おそらく代表的な -マクロ経済政策のツールだと考えられてきた。1960年代から1970年代には財政政策と通貨政策の序列はほぼ同じだった。このふたつのツールはそれぞれ -内向きと外向きのバランスという - 別々の目標を目指しているだけのようにみえた。しかし、この 20 年間は財政政策が通貨政策のカゲにかくれてしまっていた。それにはたくさんの理由がある。まず、財政政策の効果に広く疑念が持たれていたこと。リカードの中立命題がその根拠だった [22] 。2 つめは、もし通貨政策によって安定した産出量ギャップを保てるなら、財政政策のような他の政策ツールを使う必要はあまりないのではないかということ。この文脈では、財政政策を使って景気循環を調整しなくてもよくなったのは、金融市場が発展して通貨政策がよく効くようになってきたからかもしれないということになる。3 番目は、先進国が優先するのは、財政赤字を安定させ、できるかぎりそれを減らすことだということ。先進国は多額の財政赤字を抱えているのが普通だ。新興国ではどうかというと、新興国では国内社債市場がまだ未発達で、景気循環を押しとどめるような政策 [23] の余地がどうしても小さくなってしまうのである。4 番目はタイムラグの問題。財政政策を立案してから実施するまでにはタイムラグがある。短期の景気後退に対して財政的な対策をとっても、手遅れになる可能性があるのだ。最後の 5 番目の理由は、財政政策というものは金融政策よりずっと政治的な制限を受けやすいというものだ。
自由裁量な財政政策を、景気循環にブレーキをかけるための政策ツールとして用いることへの拒否感は、とくに専門家のあいだで強かった。しかし、通貨政策と同じで、この言い方は実際に適用された政策をうまく表してはいなかったろう。例えば、1990 年代初頭の危機的状況で日本が財政政策を使ったように、政府の財政出動は深刻な経済ショックに対しては一般的だった。それに、政策当局は「通常の景気後退」期においてさえ、自由裁量な財政刺激策に頼りがちなのものである。このような当局のスタンスは、新興国市場でも - 実践的には分かりにくくはなるものの - 原則的には望ましいものと思われていた。新興国市場では自動安定化機構が未発達だからである。しかし、経済の急成長期に激しい財政慎重論が唱えられることからもわかるように、新興国市場にとってさえ、中期的な政策方針についてのコンセンサスは、自動安定化機能を強化し、自由裁量な財政出動を遠ざけておくことだったのである。
こうして、政策当局の関心の第 1 は財政赤字をいつまで維持できるかということと、それを実現する財政的なルールはどのようなものか、ということに絞られた。先進国の政策当局は、長期的視野に立って、せまりくる高齢化問題が財政にあたえる影響を考えねばならなかった。一方、新興国が注目したのは債務危機の可能性を減らすこと、そして景気循環を促進してしまう財政政策 [24] を抑制できるような制度を用意することであった。新興国はこうしてバブル発生とその破裂というサイクルを避けようとしたのである。自動安定化機構はなすがまま - あくまでそれを融資できるような国々にとってはということだが - であったし、それは財政の持続性とも矛盾しなかったのである。実際、国家経済が発展して政府支出が GDP に占める割合が増えるにつれ (ワグナーの法則)、自動安定化機構の役割も大きくなった。矛盾するようだが、従来の安定化機構も受容できるものとされ、どちらがよりよい仕組みなのかについてはあまり注意が払われなかった。
E. 金融規制: マクロ経済政策の政策ツールではないもの。
C の第 3 パラグラフで述べたように、金融仲介業のマクロ経済の中心としての性質が軽視され、金融規制や監督においては個々の企業や市場が重視された。さらに、個々の企業や市場がマクロ経済レベルでどう関わりあっているかもほとんど無視されてしまっており、金融規制は各企業の健全性や市場の失敗を正すことを目標に定められた。市場の失敗は情報の非対称性や有限責任の存在、また直接・間接の政府保証のような不完全さによって発生する現象だ。先進国はシステム内の密接な関係やマクロ経済レベルでの関係を無視してしまったのだ。しかし、新興国にはこれが当てはまらない国もあった。そのような国では、為替の変動に制限が設けられるなど、マクロ経済の安定のためにプルーデンシャルな[25] ルールが定められていた (このような国では、為替の変動だけでなく外貨建ての融資が完全に禁止されることもあった)。
自己資本比率や融資比率 [26] の規制は、循環要因をコントロールする政策ツールとしては、あまり考慮されなかった (注目すべき例外はスペインとコロンビアで、事実上、この 2 ヶ国は信用の成長にしたがって準備金 (引当金) を変化させていた。Caruana 2005 参照)。金融規制の自由化の波が押し寄せていたが、循環要因をコントロールする目的でプルーデンシャルなルールを使うのは、信用市場の機能に関わるため不適切だと考えられた。
F. The Great Moderation - 長く平穏な時代 -
こうして築かれたマクロレベルの枠組みは首尾一貫しており、しだいに信任も厚くなっていった。これが「Great Moderation」によって強化されていたのは間違いない。「Great Moderation」とは、先進国のほとんどで GDP やインフレ率の変化がしだいに小さくなる現象が見られる時期のことである。ただ、この現象が始まったのはもっと前で 1970年代だけが違ったとみるべきなのか、それとも本当に 1980年代初めの通貨政策の変更ではじまった現象なのかは、まだどちらとも言えない (Blanchard and Simon 2001、Stock and Watson 2002 参照)。他にも曖昧な点はある。「Great Moderation」期に見られる変動幅の減少が、たまたま経済的なショックが小さかったせいによるのがどれくらいで、構造改革の影響はどれくらいなのか、さらには政策改善の影響はどれくらいなのかが、よくわかっていないのだ。在庫管理システムの改善やたまたまおきた急速な生産性の成長、そして中国とインドの世界貿易への参入[27] が何らかの影響を与えていると思われる。とはいうものの、先進国でみられた現象は 1970 年代と 2000 年代の原油価格高騰によく似ており、「Great Moderation」が政策改善によるものだという説を裏づけている。また、「Great Moderation」がインフレ予想とより緊密に連動しているというデータも存在する。これらを根拠に、経済へのショックの緩和に政策改善が重要な役割を果たしたと考え、それは中央銀行がより明確なシグナルを出して行動してきたせいだと考えてもおかしくはない。さらに、中央銀行は 1987 年の株式市場崩壊や LTCM の破綻、IT バブル [28] の破裂をうまく処理した。これらによって、通貨政策は資産バブル崩壊が金融に与える影響もうまく扱えるのだという見方が補強されてきたといえる。
こうして 2000 年代中盤まで、もっとよいマクロ経済政策が実施できると考える理由は特になかった。そして実際、経済をさらに安定させるような政策も実施されなかった。そこに今回の危機がやってきたのである。
訳注 1: 1980年代初初頭から現在までの GDP やインフレ率の変動幅が小さくなっている時代。詳細は下記参照。VOX は短編。後者は「Great Moderation」の名づけ親さんたちの論文(48頁)。
- Olivier Coibion, Yuriy Gorodnichenko 『Does the Great Recession really mean the end of the Great Moderation?』 VOX 16 January 2010.
- James H. Stock, Mark W. Watson 『Has the Business Cycle Changed? Evidence and Explanations』 August 2003.
訳注 2: cyclical fluctuations
訳注 3: the organization of the international monetary system
訳注 4: reputational need (of central bankers). (中央銀行幹部の) 信用、信頼性のほうがふさわしいかも。
訳注 5: the best possible outcome. ニュー・ケインジアンモデルについては、田中秀臣『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』 (講談社 2006. 以下、田中 2006 と略記) p.91あたりなど。
訳注 6: 田中 2006. pp.88 - 90.
訳注 7: "...inflation is good in itself" good = 「問題のないもの」とした。
訳注 8: headline inflation.
訳注 9: Low Inflation. いわゆる「マイルドインフレ」のことかな。
訳注 10: このあたりはフィッシャー効果 (名目金利=実質金利+期待インフレ率) が念頭にあるのだろう。
訳注 11: 「流動性の罠」についてもっと詳しく知りたければ、山形さんによるクルーグマンの『Japan's Trap』の邦訳、『日本がはまった罠』 や『FURTHER NOTES ON JAPAN'S LIQUIDITY TRAP』の訳、『日本の流動性トラップについて:追記』を参照。
訳注 12: formal argument. 以下に、ブランシャールのインタビューから同じ内容を言いかえた部分を訳しておく。
IMF survey online: Central banks have chosen low inflation targets, around 2 percent. In your paper, you argue that maybe we should revisit this target. Why?
IMF サーベイ・オンライン: 中央銀行は 2% 近辺の低いインフレ率を採用しています。今回の論文で、ブランシャールさんはこの値を考え直すべきかもしれないとおっしゃっています。その理由を教えてください。
Blanchard: The crisis has shown that interest rates can actually hit the zero level, and when this happens it is a severe constraint on monetary policy that ties your hands during times of trouble.
ブランシャール: 今回の危機によって、金利が底を打ち、実際にゼロになってしまいかねないことが分かりました。こうなってしまうと、通貨政策が厳しく制限され、問題が起きている時に打つ手がなくなってしまいます。
As a matter of logic, higher average inflation and thus higher average nominal interest rates before the crisis would have given more room for monetary policy to be eased during the crisis and would have resulted in less deterioration of fiscal positions. What we need to think about now if whether this could justify setting a higher inflation target in the future.
論理的に言うと、もし危機前の平均インフレ率が高く、したがって名目金利の平均も高かったなら、通貨政策を使って今回の危機を緩和する余地はもっとあったでしょう。また、財政状況 (finacial position) の悪化もそうひどくはならなかったでしょう。今、考えなければならないのは、このような話が、今後の目標インフレ率引き上げの十分な根拠になるかどうかです。
訳注 13: the zero lower bound. いわゆる「名目金利の非負制約」。
訳注 14: つまり、日銀と FRB はともにデフレのリスクに直面し、日本は失敗したものの、その経験は FRB によって活かされた...ということ。だから OK ってわけでは全然ないのは、僕らが一番よく知っているはず。
訳注 15: 2000年代初頭の FRB については、田中 2006. p. 85 あたり参照。
訳注 16: "two-pillar" policy of ECB.
訳注 17: arbitrage.
訳注 18: 原文は「So that long rates were given by proper weighted averages of risk-adjusted future short rates, and asset prices by fundamentals, the risk-adjusted present discounted value of payments on the asset.」
訳注 19: テイラー・ルールは実際の FRB の行動から導きだされた関係で、必ずしも FRB がこれに拘束されているわけではないことに注意。その最も古典的な形は「産出量ギャップ=潜在産出量-現実の産出量・潜在産出量」で表せるとのこと。田中 2006. p.80、pp.162-165 参照。
訳注 20: credit channel.
訳注 21: 銀行の信用に対する不安の問題。詳しくはググって頂戴。
訳注 22: 原文は「first was wide skepticism about the effects of fiscal policy, itself largely based on Ricardian equivalence arguments.」
訳注 23: countercyclical policy tool. 反循環的な政策ツール。
訳注 24: procyclic/procyclical fiscal policy. 「順景気循環的な財政政策」。もともと存在する景気循環をさらに後押しするような効果のある財政政策。参考: あずさ監査法人 http://www.azusa.or.jp/b_info/keyword/pro-cyclicality.html 具体的にはどのようなものが想定できるだろう?
訳注 25: prudential. 研究社リーダーズには、「慎重な、細心な; 分別のある、万全を期する。(商取引などで) 自由裁量の権限をもつ」とある。
訳注 26: loan-to-value raitio.
訳注 27: the trade integration of China and India.
訳注 28: Long-Term Capital Management. ヘッジファンド。原文では「the tech bubble」だが、たぶん 1987 年頃の IT バブルのこと。
訳注 :
参考文献
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